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[政治・選挙・NHK198] 慰安婦問題を決着した安倍首相の正しい評価はこれで決まりだ  天木直人(新党憲法9条) 赤かぶ
51. 2016年1月01日 10:39:25 : pF2qSJk8c2 : Exarta2dJCc[1]
事実関係を無視した”トンデモ”なコラムだ。

日本政府が回復すべきは「日本と日本国民」の名誉と尊厳であって、存在しないありもしない日本軍強制連行を主張する「元慰安婦」の名誉と尊厳などではない。

日本政府は支援金10億円について撤回しろ。どうしても払うというのら朝日新聞と河野洋平に払わせろ。

韓国は慰安婦問題を何度も蒸し返していて到底信用できない。

慰安婦問題を巡る経緯

1965年12月18日
日韓両国間の賠償問題は個人も含めて「完全かつ最終的に解決された」とする日韓請求権協定が発行
1983年7月31日
吉田清治氏の著書「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」が発行
1991年12月6日
元慰安婦の金学順さんらが日本政府に賠償を求めて東京地裁に提訴
1992年1月11日
朝日新聞が、慰安所の設置や、慰安婦募集への国の関与を示す資料が防衛研究所図書館に所蔵されていることが分かったとする記事を掲載
1992年1月16〜18日
宮沢首相が訪韓し、日韓首脳会談で慰安婦問題について謝罪
1993年8月4日
河野洋平官房長官が慰安婦問題で「おわびと反省」を表明する談話(河野談話)を発表
1995年7月19日
元慰安婦への「償い金」支給などを行うアジア女性基金が発足
1996年4月19日
国連人権委員会がクマラスワミ報告に「留意する」決議を採択
1996年10月8日
小渕首相と金大中大統領が会談。金大統領は「韓国政府は今後、過去の問題を出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と発言
2004年7月21日
盧武鉉大統領が日韓首脳会談の共同記者会見で、歴史問題を「任期中には公式に争点としない」と発言
2005年8月26日
韓国政府が、日韓請求権協定にかかわらず、慰安婦問題などの不法行為には日本政府に法的責任があるとして追及する方針を表明
2007年3月16日
日本政府が河野談話を巡り、強制連行を示す資料は見当たらなかったとする答弁書を閣議決定
2007年7月30日
米下院が慰安婦問題について、日本に公式謝罪を求める決議を採択
2011年8月30日
韓国の憲法裁判所が、元慰安婦の賠償請求権について、韓国政府が解決に努力しないことを「違憲」とする判決
2011年12月14日
ソウルの日本大使館前に、「慰安婦」像が設置される
2011年12月18日
李明博大統領が、日韓首脳会談で野田首相に慰安婦問題での対応を要求
2013年7月30日
米カリフォルニア州の公園に、「慰安婦」像が設置される
2014年3月1日
朴槿恵大統領が「3・1独立運動」の95周年記念式典で、「(元慰安婦の)おばあさんたちの傷は癒やされなければならない」と演説
2014年6月20日
日本政府が河野談話作成過程の検証結果公表。日韓両国で綿密にやり取りして作成したことが明らかに
2014年8月5日
朝日新聞が「吉田証言」を虚偽と認め、16本の記事を取り消し
2015年8月14日
戦後70年の安倍首相談話を閣議決定。慰安婦問題を念頭に、「多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻み続ける」と明記。
2015年11月2日
安倍首相が朴大統領と会談。首脳会談は3年半ぶり。慰安婦問題の早期妥結を目指すことで一致
2015年12月28日
日韓両国が外相会談で、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決」することで合意

日韓長年の懸案 慰安婦問題のポイント

日韓両国の外相は2015年12月28日の会談で、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的に解決」で合意した。長年関係改善の障壁となってきた慰安婦問題のポイントを開設する。

戦後賠償1965年解決済み

日本政府は韓国との戦後賠償問題について、1965年に締結した日韓請求権協定で解決済みとの立場を堅持してきた。同協定は、賠償問題は個人も含めて「完全かつ最終的に解決された」と明記しており、日本政府は元慰安婦への賠償問題も解決したとの姿勢を取り続けた。2015年12月28日の合意でも、同協定の効力は維持された。

慰安婦問題は戦後、日韓両政府の大きな政治・外交問題ではなかった。顕在化したのは、1990年代初めになってからだ。

1991年、元慰安婦だと名乗り出た韓国人女性らが日本政府に賠償を求める訴訟を日本の裁判所で起こした。その後、朝日新聞が1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しを付けた記事を掲載。日本軍が慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制したことを示す資料が、防衛庁(当時)の防衛研究所に所蔵されていることが分かったとする内容だった。

記事が軍関与の証拠資料として挙げた陸軍省の通達は「慰安婦を募集している民間業者が問題を起こす例が少なくないので、軍が統制、監督するように」と命じたものだ。記事には「従軍慰安婦」について、「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万人ともいわれる」と説明する用語解説も添えられていた。しかし、資料は、軍の「関与」を示すものではあったが、「強制連行」を裏付けるものではなかった。

韓国国内では記事の影響もあって批判が噴き出し、韓国政府も態度を硬化させた。当時の宮沢喜一首相は、記事掲載直後の1992年1月16日から訪韓した。宮沢氏は盧泰愚(ノテウ)大統領との首脳会談で、慰安婦問題について「衷心よりおわびと反省を申し上げる」と述べ、謝罪した。

歴代政権は以降、謝罪を繰り返してきた。

1993年8月には、元慰安婦へのおわびと反省の意を表明する「河野洋平官房長官談話」を発表した。1995年7月には、政府の支出や国民の寄付を原資に「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を設立し、元慰安婦に「償い金」を支給する事業を始めた。同基金は2007年に解散するまで、元慰安婦285人(フィリピン211人、韓国61人、台湾13人)に1人当たり500万円(韓国・台湾)・1人当たり320万円(フィリピン)の償い金などを支給した。首相の「おわびの手紙」も添えられた。

2015年12月28日の日韓両外相共同記者発表で、岸田外相は、こうした日本政府の取り組みについて意義を強調した。その上で、韓国政府が新たに設立する財団に日本政府が資金を拠出し、日韓両政府で「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う」とした。

韓国何度も蒸し返し

「アジア女性基金」による償い金事業が始まった後も、慰安婦問題は何度も蒸し返されてきた。

村山首相は1995年8月、先の大戦について「痛切な反省の意」を表明する「戦後50年談話」を発表した。小渕首相は1998年10月、韓国の金大中(キムデジュン)大統領と会談し、韓国国民に対して過去の日本統治への「反省」と「おわび」を表明した。金氏は会談で「韓国政府は今後、過去の問題を出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と約束し、歴史認識問題に終止符を打つ考えを示した。

2004年には、韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が歴史問題を「任期中には公式に提起しない」と発言した。2008年に就任した李明博(イミョンバク)大統領も、当初は日本に融和的な姿勢を示した。

しかし、韓国の憲法裁判所が2011年8月、元慰安婦の賠償請求権に関し、「韓国政府が解決に努力しないのは違憲」との判断を示すと、韓国の反日世論が急速に熱を帯びた。同年12月14日、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」はソウルの日本大使館前に、慰安婦を連想させる少女像を設置した。

韓国政府は、慰安婦問題での要求を再び強めるようになった。

少女像設置の4日後、李氏は野田首相との会談で、慰安婦問題に関する対応を強く求めた。李氏の行動はエスカレートし、2012年8月には韓国が不法占拠を続ける島根県の竹島に上陸。日本が慰安婦問題の解決に「消極的」であることが上陸の理由だと説明した。

強硬姿勢は朴槿恵政権にも引き継がれた。朴氏は2014年3月、日本の統治に抵抗した「3・1独立運動」の95周年記念式典で「(元慰安婦の)おばあさんたちの傷は癒やされなければならない」と演説した。

慰安所 主に民間で経営

慰安婦とは、戦時中に日本軍将兵の性の相手をするため、戦地などに設けられた慰安所で働いた女性のことだ。

日本政府が1993年8月4日に公表した調査報告などによると、軍の要請により、主として民間業者が占領地などで慰安所を経営した。目的は、将兵の性犯罪や性病の流行を防ぐためだった。慰安婦たちは対価を得ていたが、戦地では外出制限などもあり、不自由な生活を強いられた。

日本政府の調査などによると、慰安婦の出身地は、日本の統治領だった朝鮮半島と台湾のほか、中国やインドネシア、オランダなど様々だ。日本人慰安婦もいた。慰安婦の総数は明確になっていない。現代史家の秦郁彦氏は、日本兵の数などから計算して約2万人だったと推計している。

慰安婦問題を理解するには、売春を巡る時代背景を知る必要もある。

日本では当時、売春が合法的に認められ、公的に管理する「公娼制度」も存在した。貧しい家庭の女性が売られる「身売り」もあった。慰安婦制度は、こうした公娼制度が戦地に持ち込まれたという側面もある。

しかし、慰安婦は軍組織に所属する「軍属」とは区別された民間人だった。このため、政府は「いわゆる従軍慰安婦」などの表現を使っている。

他国でも慰安婦と同様の制度があった。

秦氏によると、第2次大戦中のドイツは、兵士の性病感染や秘密漏洩の防止のため、日本の慰安所に類似した施設を設けた。旧ソ連には慰安所のような制度がなかった一方、最前線の兵士による女性への乱暴が黙認されたり、奨励されたりしたという。

国家予算2年分の経済協力

日韓請求権協定
1965年の日韓国交正常化にあたって結ばれた協定。日本は韓国に5億ドル(無償3億ドル、借款2億ドル)の経済協力などを行い、これで日韓の賠償問題については「完全かつ最終的」に解決すると明記した。5億ドルは当時の韓国の国家予算のほぼ2年分に相当する。朴正煕(パクチョンヒ)大統領(朴槿恵大統領の実父)は大半を道路やダムなどの社会資本整備に充て「漢江の軌跡」と呼ばれる経済成長につなげた。

河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/825.html#c51

   

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