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[雑談・Story41] 60歳〜に、なった〜ら! 蒲田の富士山
33. 蒲田の富士山[108] ipeTY4LMlXiObY5S 2015年12月30日 13:43:01 : JrvOCAZoDQ : DIf6@KFylFc[1]
↑またもやまるっきし説明無しの引用すみません。
この方は、「村田 征昭」という方(らしいです)。
日蓮宗の人。
無断引用すみませんでした。
  
ところで、Wikipediaからも引用しときますね。
 
浄土宗の学僧、林彦明(はやしげんみょう)は「専修学報第1号・安土宗論の真相に就て」で、これを指摘した。また作家の井沢元彦も『逆説の日本史』10「戦国覇王編 - 天下布武と信長の謎」において、この一言で法華宗の負けが決まったと指摘した。
 
即ち、もしこの発言が従来より法華宗側が言っている「浄土宗側が卑怯な手を使った」のであれば、法華宗側はその場において「方座第四の『妙』」を意味不明・解釈不能であるという態度を徹底的に貫かねばならず、それをしなかった法華宗側は『造り名目』でない事を認めてしまった事になる。つまり田中智学も認める通り「方等会座(方等座)における四教並説中の『円教』に所談(語っている所)の『妙』である」。
 
五時八教の教判では、釈迦仏は華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時に分けて教えを説いたが、方等時で「蔵・通・別・円」の四教を並説したとされる。このうち「蔵・通・別」は小乗の教えで、第4番目の「円」が大乗の最高の教えとされる。「円教」では当然、妙(妙法蓮華経=法華経)に象徴される完全な教えを説いたとされている。この教判は天台宗の教学で智が考案し、それを後の法華宗が採用継承した。
 
つまり、貞安の問いである「方座第四の「妙」の一字を捨てるか、捨てざるか」というのは、「もし天台教学の考えを以って、法華以前の教えをすべて“方便(真実に導く手だて・手段)”として否定するなら、方等時において説いた円教=妙も捨てるのか、捨てないのか?」というのが真相であるとされる。
 
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/262.html#c33

   

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