2. 2016年7月28日 15:49:22 : mkCpsiC5CY : C1FaJ9HzQRM[1]
新潮の記事、文春の記事とグラデーションが異なっている。
女性に直接インタビューしたのは新潮、この女性の夫(某大学教授とされる、上智大学かとも噂されるが)から又聞きして書いたのが文春。
2003年に取材した新潮の記事では鳥越氏と彼女は、文春の夫の証言よりもう少し深い仲として描かれている。
共通すること。
文春、新潮双方ともに証言の確実性にいずれも乏しいこと。
日にち、場所、新潮文春共にあやふやである。
はっきり言っておくが、これが裁判になるなら文春と新潮はほとんど勝ち目はない。
記事の構成において証言のあやふやさは記事全体の一行でさえ、事実検証の対象になる。
一行の証拠検証で、日にちや場所が曖昧だと事実認定と見做されなくなってしまう。
先述したように文春の記事と、今日出た新潮の記事では証言内容が食い違っており、鳥越氏の弁護団は新潮、文春ともに訴えているので分離裁判になるが、双方で証言が違っていることをまずどう整合性を得て証拠を提供するのかということになると、証拠の真実性を巡って双方とも異なる証言と事実を記事を出しているので、いずれが正しいのかを問われることになる。
もちろん長い裁判になる。
断っておくが、この裁判、挙証責任を負うのは新潮、文春編集部であって、訴えた鳥越氏側(弁護団)はその責はない。
はっきり言って新潮も文春も相当に苦労するだろう。
早いうちに和解勧告が出されて終わるほうが無難。
もちろん、新潮文春側の実質敗訴ということになる。