5. 2016年5月12日 23:18:51 : CUtWaldnFQ : @NH4EMSqtbc[1]
我々が子孫に残すべき日本は、国家権力が国民を監視する社会などではなく、個人の考え方が尊重される社会である。言論の自由は保障される。人々の自由は意見の相違によって弾圧されることのない社会の確立は必要である。
そういった自由な思想の中で、本当に社会や国家にとって有益な情報が人々に共有される。そういう社会を子孫に残すことは、我々の義務であろう。我々が守るべきものはこういった社会であり、思想信条の違いによって暴力的に弾圧される社会ではない。そのような社会になった時点で私の理想とする国家は死んでしまったも同じなのだ。
私はそういった国家を作ろうというものを拒否する。
日本人として生き、日本人として死ぬ。これは私の理想ではあるが、国民を監視し、弾圧を加えるような国家は私が守りたい日本ではない。そういったことが行われる時代において、私の理想とする国家は死んでしまう。
私は言論の自由のある社会では、共産主義者であろうが自由主義者であろうが、本当の課題に協力し、理想の社会を国民と一緒に作るべきであろう。独裁国家とはまた違ったものとなる。
私の宗教観は、太陽と人間。太陽の光は世界を照らし、その光は人によって差別されることはない。もし、太陽と人間の間に立ちはだかるものがあり、光の配分をかえるようなことがあってはならない。神と人間の間の距離感も同じであり神の教えを説くものもその一人であると考える。
私は天皇陛下を象徴とし、その間にそういった者を置かず、天皇陛下を自分たちの都合で利用するものがない平等な社会を目指すべきだと思う。自由主義者も共産主義者も自分たちだけが特別であるという考え方を持たず、国民の幸せを追及することで力を合わせてほしいと考えている。
人と違った考え方を持つだけで暴力的に排除されることのない社会を私は望む。
今必要とされなくとも、きっとその人の考え方が評価される時代が来るかもしれない。そういった人を排除することは社会にとって損失である。
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