4. 2016年7月17日 16:58:46 : LnAuCc3UrI : 8JPYd00nl1E[1]
確かに、1から7は手段としてはあるように見える。しかし、物事はいきなり神の啓示のように起きるものでもない。 しかも、1−7のような愚劣で俗悪なものが神の啓示では困るだろう。
当事者および場合によっては特定の被害者、加害者の関係が存在した上での、大衆や事情がよくわからない第3者に対しての工作であると見るべきであろう。
司法的な関係がどのように機能しうるか、阻害要因がどのように存在しているかで、おおよそわかるのではないか。 それ以外の事情であれば、また考えるべきものだろうが、権力や既得権なる勢力のくだらない思惑でこじれているものが少なくないだろう。
神の啓示のごときに見せかける工作も含め、最初は個別の件が物事の発端だろう。
(1)攻撃相手にレッテルを貼る。
(2)スローガンで自国の正義を煽り立てる。
(3)権威付けで、正当性を強調する。
(4)権威者・カリスマに協賛(ステマ)してもらう。
(5)自分たちが味方であると一体感を強調する。
(6)メリットを最大限に強調、デメリットは矮小化。
(7)これが流行っているとブームを作る。
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