9. 2016年6月01日 12:14:43 : 46EnRy6sT6 : 5WOy0cO0ERA[1]
政府とは、統治システムである。江戸期、諸外国からの介入でリビアのごとく徳川の軍事政権はつぶされ(首都壊滅にはならなかったが)、フランス・イギリス・ドイツ・アメリカなどと技術導入(つまり今のリビアや中東の占領施策)し、多国籍政府の後見の元、各国通の人物が統治の要に据えられた。そして政府からのお抱え外国人としてそれらから技術者を雇い入れた。結果軍隊は陸軍がフランス式(のちにドイツ式)、海軍がイギリス式に、教育関連・開拓分野ではアメリカ人が多く雇われた。明治元年からお抱え外国人の国籍内訳は、イギリス人1,127人、アメリカ人414人、フランス人333人、中国人250人、ドイツ人215人、オランダ人99人、その他252人である。また期間を1900年までとすると、イギリス人4,353人、フランス人1,578人、ドイツ人1,223人、アメリカ人1,213人とされている。
つまり、明治は多国籍占領軍の海外派兵によって成立したのだが、現イラクのごとく表上現地人(西洋かぶれの日本人)が主導で構築した形式になっている。
システムとしては、江戸期の日本は連合政府とほぼ同質であったため、中央が各地をコントロールする集権化を行い、その骨子として宗教(天皇)を据え、神道以外の宗教を管理から外し(廃仏毀釈など起こる)、国家資金で神道を運営した。
これにより、潤沢な国家資金で宗教を賄い、日本人の精神を侵し、もって国の建設根拠をまでも神道で形作り、キリスト教徒や他原理主義のごとく指導者の一声で一丸となって動く日式統治システムが誕生した。それが日本帝国。
その日式統治システムは、日清・日露・第一次世界大戦のなかで得られたコロニーにて実践再生産され、周辺国家へ現代のOS商品のごとく現地統治システムを塗り替え、組み込まれていった。第二次世界大戦まで続くことになる。
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