1. 仁王像[734] kG2JpJGc 2015年12月20日 06:48:55 : 1NUqwy3fgY : 525YrDSVzqQ[1]
序文 自らの意志でムスリムとなるということ
イスラームとはもともと「服従」を意味するアラビア語です※。宗教としてのイスラームは、超越神アッラーへの絶対服従、帰依を意味しています。
※)(第一章から)イスラームという言葉自体は、「平和」「無事」などを意味する「s-l-m」という三語根の派生語で、「服従すること」「帰依すること」を意味する。
しかし、現実にムスリムと呼ばれる人々が、アッラーに帰依し、絶対的な服従を捧げているかというと、そんなことはありません(エジプト留学時、痛切に感じた)。
これはイスラームだけに言えることではありません。キリスト教や仏教のような世界宗教であれ、ヒンドゥー教や神道などの民族宗教であれ、多くの信徒が教義を理解しておらず実践もしていないことはありふれた現実です。
しかし、エジプト人ムスリムの中にも、ほんの一握りではありますが、アッラーへの絶対服従というイスラームの意味を真摯に受け止め、実践に努めている人たちもいました。ところが、彼らの中には現実のムスリム諸国の政府から迫害を受けている者が少なくなくあります。
真面目にイスラームの義務を果たしているだけで、「過激派」呼ばわりされて、弾圧を受けたり、拘引されたりするという現実を、私はエジプト留学時代にたびたび目にしてきました。
このような経験を経て、私の中にはイスラーム世界と日本人に向けて二つの異なった目標が生まれました。イスラーム世界に対しては、アッラーへの絶対服従を目指して精進する求道者とともに、イスラームの理想を裏切る現状を改革する道を学問的に明らかにする。
日本人に向けては、ムスリム世界では善人も悪人も賢者も愚者も誰もがムスリムであること、つまりムスリムであることは限りなくやさしい、ということを伝える。この二つが、私の役割だと思っています。
残念なことに、日本人に伝えられているイスラームは、解放の教えとしての真のイスラームではなく、イスラームを覆い隠すノイズに過ぎない墜落したムスリム社会の因習、スキャンダルばかりです。