19. 2016年3月21日 08:28:24 : t7qI1KiPEA : 3FzZJ4Vkf3g[1]
>>01コメントは4153こと木卯正一ですよ。
頭がおかしいのは当然ですよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/227.html#c19
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頭がおかしいのは当然ですよ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/227.html#c19
そんな公明党と組まないと政権が維持できない安倍は華麗にスルーする木卯正一 ♫
顔に自分の吐いたツバが滴り落ちていることだろうよw
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/197.html#c10
イメージ的にはそうだが実は違う。
ネトウヨはけっこう学歴の高い者(大卒および現役)も多いようだ。
ただ、学歴が高い=知識と論理的思考に長けているという図式が当てはまるわけではないことはネトウヨに限らない。
非正規社員の鬱屈した意識が保守に吸い寄せられた結果ネトウヨに転化したという見方もあるが、これはほとんどないものと思える。
もちろんネトウヨに堕ちる中にそういった例がないわけではないが、ネトウヨに堕ちる人たちのほとんどはネットの《真実》に頭を侵された人々であるという認識が正しいと思う。
ネットの《真実》とは要するに陰謀論の全貌をネットで告発するサイト運営者の言葉をより集めたものであり、受け手がその解釈如何によって現体制を唾棄すべきか、現体制を擁護し陰謀を張り巡らせる相手と戦うべきだと思い込む、俗にいう痛い人たちを生み出す製造機の造語である。
阿修羅掲示板もネットの《真実》に侵された投稿者が吸い寄せられやすいサイトであるが、2ちゃんねるの吸い寄せられ率にはまるで及ばない。
阿修羅にやってくるネトウヨがなぜ少ないかといえば、阿修羅ではネトウヨのネットの《真実》がまるで賛同を得ないからである。
なぜ賛同を得ないかというと、阿修羅を利用しているユーザーが比較的高齢であるということも作用していると思う。
ネトウヨの年齢層は大体が30代から40代前半が多く、この年代はバブル消失期に少年期や青年期を送った世代であり、90年代中期の政治的混乱を背景にしているが政治にさしたる興味もない漠たる不安を抱えた層である。
いっぽう阿修羅ユーザーの場合、バブル期を体験したしそれ以降のバブル消失期も政治的混乱も経験してきた世代であり、ネトウヨの語る2000年代の自民×民主の政権奪取における陰謀史観なぞというチンケな陰謀論に振り回されるほど純情ではない、鍛えられた層でもある。
そういう世代間のギャップの壁を越えられない脆弱で貧弱な陰謀論を振りかざすネトウヨたちにとって、慰めの場所となるのが前述した2ちゃんねるやヤフコメやSNSということになる。
一方シールズの若者たちにとっては陰謀論そのものが「なにそれ?」というレベルのもので、彼らの行動原理は総論賛成各論反対でとりあえずは一緒にやれるはずという、行動原理を変えることに主眼が置かれている。
従ってシールズに参加する若者たちひとりひとりは総論(安保法案廃棄、9条を守れ)は賛成だが、各論(集団的自衛権は憲法違反だが従来の日米安保維持および自衛隊も保持)×(どちらも無くすべき)×(一方に限定すべき)等々の様々な意見を持ちながらもまずは行動することを前提にしているから、これをネトウヨ側から見ると理解不能な集団にしか見えないのは道理だし、逆に阿修羅ユーザーの中にはどっちつかずは権力に取り込まれやすいのでは?という疑念を持つ意見も散見されるが思想闘争が無効な日本にあって、行動原理を変えるだけでもデモはできるよとやって見せたシールズはなかなかのタマだと俺は思っている。
言うは易し行うは難しって言ってさ、高橋洋一の言う車や部屋をシェアしあうのと人間をシェアしあうのとではぜんぜん役割が異なるんじゃないの?
思い起こすのは介護ビジネスにいち早く打って出たワタミがその後どうなったかだ?
2015年10月01日 11:46
ワタミ、メッセージ〜老人ホームビジネスが大混迷(前)
http://www.data-max.co.jp/kodama/271001_mn01/
記事では介護ビジネスはワタミを筆頭に企業の参入が相次ぎ、様々なサービスを売りに一時隆盛を誇ったけれども、過当競争の末、利用料金の値下げなど利用者の事情に配慮した低料金の介護ホームに落ち着くようになり、同時に介護士の報酬もカットされるようになり介護士の肉体面だけでなく精神面への負担を強いた。
ホーム内で介護者への暴力虐待や、最近では殺人事件などが深刻な問題として介護ビジネスの将来に影を落とし、金融機関の融資に歯止めがかかっている。
ワタミも介護部門の売却を大手企業に頼んでいるが、二の足を踏んでいる状況だという。
つまりワタミは介護ビジネスに大失敗したということである。
高橋洋一は待機児童問題をビジネスとしてとらえなおし、シェアし合うことで金を生む相互活用ビジネスのモデルになりうると言いたいようだが、もし仮にそれを取り入れるにせよ個人がいきなりシェアしますよというわけにもいくまい。
企業が介在し、契約や報酬、手配などの差配をすることになるのだろう。
企業参入が相次げば介護ビジネスの二の舞になりかねないとも言えなくはない。
ビジネスは儲けが出るからやるのであり、顧客は少しでも利用料金の安いが安心できるサービスを望むものである。
相反した二つを人間を相手にビジネスとして成立させることは可能なのか?という問題が介護ビジネスの破たんで露わになった。
預ける側も、保育する側も同じ人間であり、車や部屋ではない。
高橋洋一はそういったことに無神経すぎるのではないか?
Qいま戦争やってんですか?
Aやってない
Qなんでやめろと?
Aやろうとしてる
Qどこと?
A安倍が知ってる
Q次期首相は誰が適任?
Aとにかくやめさせる!
…だそうです
ほう・・・
なるほど、戦争やってないんだから戦争やれる法案なんか反対だってのはおかしかないだろう。
その一点だけで反対を言うことのどこがヘンなのか俺にはわからんね。
不確定なことに反対意見は言うなとでも?
このツイッターの主のツイートを読むとわかるが、自身がツイートしているもののほとんどは不確定な意見に対する確定意見(つまり反対意見ね)と冷やかしばかりではないかw
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/240.html#c3
俺にか?それとも貴方にか?それとも天皇か?国家にか?
日本死ねと言われても、俺も貴方も天皇も国も死ねといわれたと取るだろうか?
むしろ、日本という国で生きにくさが行き着いた絶句の言葉と受けとるのが一般的だろう。
一方で津川が言ったとされる、ブログ主個人への××ねばいい(死ね)は特定されている。
こちらのほうが言った当人の思想や感情がもろに表れているし、非常に幼稚で下劣な言い捨てであることが浮き彫りである。
言葉というものはいつどこで発するかによって、受け止め方は変わるものであり、解釈も異なるものだ。
一様じゃない。
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