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[政治・選挙・NHK204] 岡田への絶望感がもう止まらない。(岩下俊三のブログ) 赤かぶ
75. 2016年4月11日 12:57:06 : D01H7eqoKU : 0J1cwAxlOW8[1]
横からですが、私も一主婦さんは工作員などではないと思いますよ。
読んで名の通り普通の一主婦さんでは。同じくズボンさんも独特ですが個人的には工作員などではないとは思いますね。

レッテル貼りは余り好きではないですが、これまで見ている限りでは、自公政治を是としないという意味に於いてはやり方は違えど大筋で方向は同じだと思いますね。

その方法論と目指す勝利の形に多少の違いはあれど、大同ではやはり脱自民政治という事になるのでしょうか。

まるで中々一つに纏まらない野党連携の縮図を見るようですが、何とか我々国民側も一つに纏まる事が出来ないかと常日頃考えてしまう事は多いのは誰もが同じ思いのような気もします。

確かに私も両名と大同では同じ思いでも正誤は別として、やはり別の少々風変わりな考え方を持っていたりします。

先のコメントを踏まえて誤解無きように書きますが、私は別にさくらの木を否定している訳ではありません。寧ろ、元ネタであるその小沢案は昨年からそれしかないと思っておりましたし、残る力はやはり国民の後押ししかないと思っています。

言いたい事は、そろそろ旧民主党執行部の対応に一喜一憂するのではなく、相手方に対する期待は手放すの事が精神衛生上も非常に宜しいかと思うのです。これはマスコミに対しても同じです。
期待が叶う事は非常に稀ですし、それに相手を変える最短の道はやはり我々国民自身が変わる事だと思います。

普段新聞を読まないのでよくは知りませんでしたが、このさくらの木構想は一応党派を超えて議員単位で参加のような事も書いてありました。確かに未だ憶測の段階のようですが、つい先日小沢一郎の会見か何かを見た時に、小沢一郎自身が自分には全く声が掛かっていないと発言しておりましたので、それを元に私も少々懐疑的に見過ぎていた感ががあったかもしれません。

今更政党同士の連携を目指すのではなく、昨年の政党同士の連携頓挫の経過を踏まえた上、その後の段階としての党派を超えて良識ある市民側議員の受け皿作りを目指すならば、それはそれで昨年の小沢案の趣旨にも合致していると思いますので案としては非常に良いですね。
後はその土台に流し込む実効性のある戦略の問題かと思います。

問題は良識ある議員をその市民側の届け出政党という新たな受け皿に参加させる魅力が持てるかどうか。もう、これに尽きると思います。要は政治家ですからどちらが自身の保身になるかという天秤に掛けた時、さくらの木の方が後々得だぞという魅力があれば良いのです。

結論から先に書くならば、このさくらの木の代表に小沢一郎、または山本太郎。この両名の何れかを立てるならば可能性としては無くはないのかもしれません。

理由は長くなりそうなので敢えて省きますが、様々な理由を鑑みた上で、この両名どちらか、特に、仮に小沢一郎を立てる事が小林教授などに出来るのならば、もしかしたら2009年政権交代の再燃になる可能性をもあるかもしれません。

しかし、それ以外の方法であるならば、昨年から書いていたように、やはり植草氏や天木氏、それち古賀茂明氏の構想のように時間と共に埋もれて頓挫してしまう可能性が高いと思います。

問題はさくらの木の代表に誰がなるか、それも小沢一郎かそれ以外かで結果は天と地ほども変わると思います。

勿論、小林教授や植草氏他の良識ある著名人、それにシールズやママの会などの市民団体。彼等は何も野党の分断などを計るつもりで事を越している訳ではないでしょう。

それらは善意からの行動であるように私には見えますし、その行動力は尊敬と賞賛に値すると思います。

ただ、個人的に欲を言うならば、旗印として自公という巨大権力側の表看板に対峙できる役者を立てる事をもう少し深く掘り下げて考えてみて欲しい。要は言葉は悪いですが中途半端なのです。これは人物批判などでは無く、あくまでも市民側勢力である政治家が国政を担う為には巨大権力や巨大メディアに対峙するという意味に於いてです。

小林教授や植草氏、それに政治家で言えば亀井氏などの名が挙がっておりますが、具体例を申し上げれば現象として彼等は然程マスコミから叩かれる事は実際余りありません。

それは端的に言えば、脅威になりえないという事であり、敵にすらならない、舞台に上れない、役者が違う、要は舐められているという事です。

本当に自公政権に勝つつもりならば、先ずは敵にならなければいけません。

逆説的ですが、マスコミから叩かれる人物、特に言われ無き罪で排除された者。行く行くの結果としてはそのような人物こそが我々市民側の代表たる旗印とすべきだと私は考えます。権力と対峙する訳ですから指針としては分かりやすいとも言えます。

ここ阿修羅に集う人達や、シールズなどの市民団体やその他声を上げている人達。この層はもう良いのです。ある程度分かっていますし、政治の欺瞞に気付いている意識が高い層なのですから。要はそれ以外の無関心層が問題であり、彼等を眠りから覚ますにはマスコミから叩かれるべきだと私は思います。力で勝てないものを只々批判し続けるだけでは無く、逆にその力を利用させてもらう方が良いのです。力では絶対的に勝てない我々が勝つには知恵を駆使するしかないのですから。

その先方はやはり小沢一郎、山本太郎位しか思い当たりません。一番叩かれる人物こそが唯一自公政権の脅威になれる可能性を秘めているのですから、何故彼等を前面に立てないのでしょう。

勿論、この両名自身は自ら最前線に立とうとはしないでしょう。それも当然であり、その根拠は自らが立てばマスコミに叩かれて市民の皆さんにご迷惑が掛かるからというものかと思います。しかし、当のご本人がこう思うのはある意味仕方がない事であり、我々市民側が出来る事は、自ら立てないとわかっている人物こそ、我々市民の後押しで今一歩前に押し出してあげる事ではないでしょうか。

叩かれない人では、はっきりいって勝てませんよ。そうではなく、最も叩かれる人物こそを市民側のリーダー的役割である著名人が根拠を示した上で先導した方が良いと思います。

勿論、理解など得られる事はないでしょう。一番叩かれる政治家を代表と立てましょうという一見すると訳の分からない論理なのですから。しかし、そうする事こそが自公政権の最大の脅威であり、その脅威を我々市民が支えてこそ本当の改革が出来るのではないでしょうか。

昨年から書いていた、旧民主党主導でない形での政権交代を成し遂げる為には、現時点でこれ以外の方法は思いつきません。

これは想像になりますが、きっと中途半端な受け皿では、民進党という泥舟と天秤に掛けた時、日和見議員はまだ泥舟を選ぶでしょう。

さくらの木をやるならば、最大の問題点はその代表に誰を立てるかであり、これが先の両名以外では折角の案、それも人真似では無く自らの考えで提言していた発案者でもある小沢一郎。
この自らの考えの元に方法を示した人物を立てなければ、政治の深みまで理解した上での折角の方策ももしかしたら芽を出す事無く潰えてしまうかもしれません。

それは選挙で勝つか負けるかという事ですが、本当に勝ちたいならば、実現は難しいでしょうが、小沢一郎を立てる以外インパクトのある方法、相手方の脅威になり得る方法は他にいないように思いますね。折角現役政治家で唯一相手方の脅威になり得る人物がいるのですから相手方と意見を同じくしてその脅威を排除していては改革への道筋は果てしなく遠い彼方へ行ってしまうと思います。まあ取り敢えずは今後の動きに注視したいと思います。


都民
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/243.html#c75

   

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