22. 母系社会[1157] leqMbo7Qie8 2016年3月06日 09:20:03 : EmYqILkk6U : 0BoF9sVCSSA[1]
>>21さん
>経済学というのは国家がどのようにしたら豊かになれるか考える学問です。
21さんは学問、つまり科学理論と科学技術とは、本質的に別のものということ知った方が良いでしょう。無知が栄えた試は無いそうですから。
●ほとんどの日本人は、日本人科学者自身も含めて、21さんのように科学理論と科学技術とを区別せず、曖昧な意味で科学とか、学問という言葉を使っています。
しかし、本来は学問=科学理論と科学技術とは別のものだったし、また、これを区別しないと科学理論も真理と考えるような誤解が生じます。学問=科学理論、たとえば、現在では定説となっている宇宙の「ビックバン説」なども、厳密に言えば、あくまでも仮説という「身分」しかありません。
しかし、仮説である「ビックバン説」も、それを否定する科学者がほとんどいないと定説となります。そして、科学理論と科学技術とを区別せず、両方とも科学とか学問と考えると、<アルミは鉄はよりも軽い>とかの科学技術的知見を駆使して、実際に役立つ機械も造れるので、科学技術的知見は単なる仮説ではないことから、「ビックバン説」も真理と誤解してしまう人が出てきてしまうわけです。
しかし、科学の歴史は「ニュートン力学」のように定説となっていた理論が何度も覆ってきた歴史ですから、やはり、「科学者共同体」では共通認識となっている定説も、厳密には仮説でしかありません。
●技術者には、<なぜアルミは鉄はよりも軽いのか>というような学問的知見はさしあたりは必要がなく、技術者に必要なアルミや鉄についての知見とは、<どの程度軽いか>とか、<どの程度強いか>などの何かを作製したり、修理する場合に使える実用的な知見です。
しかし、技術者も何らかの機械を造るのに、アルミよりも軽くて強い金属が必要となれば、アルミや鉄についても、学問レベルの詳しい知識が必要となる。だから、技術者と学者の研究には全く接点が無いわけでもないが、科学理論(基礎科学)と、その成果を実用的に使えるものにする技術理論(応用科学)とは、本質的に異なる知見なので科学理論と科学技術とは区別しなければなりません。
これは、もともと学問とは実用的に役立つような知的活動ではなく、単に「これは何であるか」というような疑問や、真実が知りたいという知的好奇心に答える知見だったからです。このことは、エジソンは大学で学んだことは無い人だったことでもわかるように、実用的な科学技術的知見は学者ではなく、日本で言えば大工や製鉄のたたら師、刃匠、鋳物師、陶芸家などの技術者が担当してきたからです。
★だから、「国家がどのようにしたら豊かになれるか」というのは「経済政策論」であり、宇野経済学で言えば「現状分析」に当たるわけで、自然科学でいえば応用科学=科学技術のことであり、厳密に言えば技術論であって学問=理論ではないのです。
★学問としての経済学というのは、資本主義経済における商品の「価値」とは「何であるか」、それが資本主義経済システムでは、<どのように資本や貨幣などに姿を変えて関係し合い、どのように機能して資本主義経済が変化しつつも存立・作動してきたか>を研究する学問です。
★したがって、資本主義経済(市場経済)が消滅すれば経済学も終わる。なぜなら、商品自体が消滅してしまうので、生産者の関係性が物象化した「価値」の研究は無意味になるから。経済学はせいぜい学問史の一部として残るぐらいでしょう。
社会主義経済学なるものも、市場社会主義が終われば消滅し、その後の「社会主義共同体」は「東北大震災」の時の自治体や被災者、ボランティアらが、相互に助け合って生活していた時のように、あるいは、かつての狩猟採取時代の人類共同体のように、労働は「個人労働」ではなく「協働」と考え、「互酬」や「贈与」、「再配分」などの全く別の原理で作動するようになると予想されているわけです。
●近代経済学者が主張する「経済政策論」は、最新の「金融工学」なるものも含めて全て破綻し、近代経済学者だった埼玉大大学院客員教授の水野和夫氏もマルクスを再評価すると述べるようになった。実は、「経済政策論」なるものは、巨大資本が導入を望む経済政策を、あたかも実際に効果がある「正しい経済政策」であるかのように粉飾したものに過ぎない。
それで「経済政策」、つまり様々なタイプがある現実の資本主義的な国民経済システムの破綻を防ぐために、実際に役立つ「経済政策」を研究するのは、学問ではなく「経済政策論」という応用応用科学的な技術論。
だから、学者よりも現実の経済運営を担当している現場の「エコノミスト」の<勘>の方が適切な「経済政策」を生み出す場合もあるわけです。現場の「エコノミスト」も、一応学者のように尤もらしい説明をするのですが、まずは<勘>で結論を出し、その後であれこれと理由を捏造しているだけで、彼らの主張の核心は<勘>で得たものでしょう。
経済現象には、自然環境の変化や人間の心理も含めて、この世のありとあらゆることが関係しています。だから、経済予想するには多くの仮定を置いて行うしかなく、「経済政策」が「的中」した場合でも、必ずしも、当初考えた根拠が正しかったかどうかは、本当はわからない。「経済政策」が的中した場合、その根拠が正しかったように思えるだけ。結局は、試行錯誤的に妥当と思える「経済政策」を実行して見るしかなく、アベノミックスは絶対に効果があるなどと確言するのはプロパガンダです。
今でも実用的な「経済技術論」としては、マルクスの「再生産表式」を改修して創った「産業関連表」ぐらいしかありません。それで今でも、この「産業関連表」が世界中の政府で使われています。
再生産表式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E7%94%9F%E7%94%A3%E8%A1%A8%E5%BC%8F
産業連関表
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%80%A3%E9%96%A2%E8%A1%A8
●東洋と西洋とはでは、同じ市場経済の資本主義でも、基盤となる文化が大きく異なるので、西洋と東洋の資本主義は別の資本主義。人間が行う経済現象には、文化が大きく影響する。それで、西洋では有効な政策でも、東洋でも同じように有効な効果が出るとは限らない。
だから、IMFが援助する場合に、西洋でも東洋でも、どんな国にも同じ「緊縮財政政策」を強要するのは誤り。同様に、TPPでわかったように、米国が東洋の国にも米国式のルールを押し付けるのも誤り。
たとえば、西洋社会は個人主義的なので、株式市場を利用して不特定多数から資本を集めることになる。一方で、東洋の資本主義では顔がわからない不特定な人は信用せず、同族、同郷、同業同士の信用を重視して、仲間内で資金を集め、情報交換も仲間内で済ませて外に漏らさない文化。だから、東洋では西洋のように株式市場で不特定多数から資本を集めるようなことには熱心ではなく、株式市場に期待する企業は少ない。(日本だけは、両者の中間ですが)
それで、中国株が暴落しても西洋ほどは実体経済には影響しないし、株が暴落しても政府も把握していない「地下経済」で儲けた人たちが日本で爆買いをしている。北京政府も経済の実態を把握するのが困難で、政府は正確な所得税が集められず、格差がそれだけ激しくなる。
★そもそも、人間には猿に毛が3本生えた程度の知性しかない。だから、過去30年間、毎年外れても、「中国は崩壊する」と叫び続けているアホなウヨク評論家たちのように、一度「中国が崩壊しないはずがない」と思い込むと、その<先入観>からは簡単には逃れられなくなる。だから、どんな人でも、自分の<先入観>を常に検証・吟味し続けることが大切なのである。
(中国の地下経済は、日本のようにヤクザがらみのケチなものではなく、地下経済企業が普通の企業として堂々と営業し、最低でもGDPの20%はあるという。EUでさえも15%ぐらいはあると推測されているし、日本も地下経済は10%程度はあるというので、中国の地下経済はEUの倍ぐらいはあるかもしれない)
http://www.asyura2.com/16/hasan106/msg/145.html#c22