17. 2018年1月14日 20:34:13 : mVj3ara2O2 : ZVzP4Ah_Qa0[1]
猛烈に抗議する日本政府と、それを擁護し、韓国を批判するマスコミの大合唱。その攻撃的な論調に恐怖を感じます。(大本営発表と一緒になって対外強硬論を煽っていた戦争中のマスコミ報道も、基本はこんな感じで始まったのでしょう)
そこには、慰安婦の人たち、つまり被害者の立場に立った視点が欠如しているように思います。自分や自分の身近な人が慰安婦の境遇に置かれたら、そんなことに巻き込まれたら、どんな気持ちなのか? 想像してみること。それが今の私たちに一番求められていることではないでしょうか。
どのような理由をつけようとも、この問題については、私たちは、加害者の立場にあったことを忘れてはいないでしょうか? 70年前のこととはいえ、加害者側の立場にあった私たちが、被害者の立場にあった国や人たちに、どうして「強く抗議」出来るのか? どうして「合意の実行を強く求める」(安倍首相)とか、「1ミリも動かない」(菅官房長官)とか、高圧的な態度に出られるのか? 政権に批判的な報道をしてきたメディアや批評家までもが日本側の抗議に「一定の理解」などと言っているのが、私には、どうしても理解できません。
報道をよく読むと、韓国政府も「再交渉を求めない」として、「自発的で誠実な謝罪」を日本に求めているだけだと分かります。もともと慰安婦問題については、日本は謝っている立場なのですから、なにを怒ることがあるのか。私には分からないのです。なんと言い訳しようと、こっちは迷惑かけた加害者で、被害者の人に「ちゃんと謝ってやってくれ」と言われているのですから、「もう謝った」とか言わず、逆ギレせず、また謝ればいいじゃないですか。それが大人というもので、ずっと「和」を重視して生きてきた日本人には、よく分かっていることではないですか。
慰安婦合意は、慰安婦の人たちに相談もなく、秘密裏に進められ、合意文書もなく、その詳細な内容も明らかにされていません。また合意の当事者であった朴槿恵元大統領は、合意の直後、一連の不祥事で国民の信頼を完全に失い、罷免されています。また、安倍首相はかつて、慰安婦問題を正式に謝罪した「河野談話」の見直しを強く主張していた人物として知られています。この二人は合意の会場に姿を見せていませんし、調印式もなく、当事者や互いの国民に向けたきちんとした声明も発表していません。
韓国側、とくに実際に被害にあわれた方々、支援者の人々にとっては、不信感がつのる合意で、「謝るし金もやる。でも二度と文句いってくるな」と受け取られてても仕方ない内容です。被害者や韓国の人々を刺激してどうするのでしょう? なんのための「謝罪」と「合意」なんですか?
どんなときも、相手の立場に立って、寄り添い、頭を下げることができる「やさしさ」。過去の失敗を反省・検証し、今後に活かしていく「カイゼン」精神。これこそが日本人の美徳であり、私たちの誇りじゃないですか。
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