22. TondaMonta[481] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2018年6月16日 09:42:11 : yi1C65ZU9g : ZTh8_NqVdJA[1]
愛犬の話がない。犬の事例を知りたい。できれば他の飼育動物も。小学校ならウサギやヤギぐらい飼っているだろう。このソーラーパネル設置付近にはないのかな。
また,行政の怠慢は免れない。電力発電施設に限らず,結婚式場が葬儀場に代わっていいものかどうか。霊園が近所にできていいものか。
もちろん,民主主義とは話し合いが基本。絶えざる話し合い,対話が必要。何でも行政のせいにするのはダメ。
パネル設置が小規模であれ大規模であれ,民家の近くに建設することが許されるのか。被害の証明をするのは被害者というのは最近の裁判傾向を無視している。加害者と言われている側が無害であることを証明する必要がある。
オウムサリン事件で長野県警は,河野氏を犯人として逮捕・起訴。無実であることを,サリンをいくらか吸引して障害を起こした河野氏が証明することは難しい。
ソーラー・パネル一基でも風力発電でも被害が出れば(出る前でも)設置者が調査するのは当然であろう。欧州では住民との対話が必ずある。日本はない場合が多い。他人に迷惑をかけてはいけないのが道徳だろう。
行政や業者の一方的な説明で終わる対話はない。それを「対話」とは言わない。
今治市のように住民に説明しないで大学を誘致したりする場合もある。
人体に有害なサリンや細菌や毒ガスが今治キャンパスから流れ出たら,役人はどうするのだろう。事前に何も調査・規制しない今治の役人の給料は3割以上カットだ。削減だ。
ガスや電気がない時代よりもある時代の方が文明的であろう。しかし何のためにガス利用や電気利用が考えられたのだろう。企業の儲けのためか。
そうではないだろう。まず住民の受益がまずあって,それと共に企業が潤うために新技術は利用されるべきであろう。ゆえに電気代は「公共料金」とされているのだ(これができれば,発明できればもうかるぞーというのは,住民が損するものなら製品が完成しても売れるわけがない。まず住民利益があって企業利益がその後に従うのが自然であろう)。
上下水道費用も公共料金。公衆衛生という言葉もある。下水道がなくて各家庭で汚水を垂れ流せば,河川は汚れ,地域が不衛生になる。公害の街に戻していいのかどうか。
公衆電話がなくなってきている。維持費が大変だということだ。しかし携帯も固定電話を利用できない低所得者には公衆電話は必要であろう。緊急に事故が起こった場合も携帯を持っていない場合は,公衆電話は必要であろう。そのために維持費が大変でも設置するのが役場の仕事である。
役人の天下り先(電気博物館や科学・美術博物館や〇✖記念館等)を造るのが役人の仕事ではないだろう。
公衆、大衆のためにあるのが役場である。立派な建築物の霞が関,警視庁などなど住民に奉仕しない,政治家やアメリカに奉仕する官公庁。最近の財務省など一私人に奉仕している。昭恵総理夫人をかくまうため,文書改竄・隠滅・廃棄が行われたのである。これは公衆衛生や公衆道徳とは無縁である。
「公」という字を泣かせてはいけない。
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