7. 2017年1月21日 03:03:57 : 3Ty0YaRJqg : ZSis7NhDONo[1]
1950年、朝鮮動乱に世界の注視が向けられている最中、
チベット解放という名の侵攻を行った。
人民解放軍は富裕層や地主らを公衆の面前で銃殺に処し、あるいは生き埋めにし、
僧侶も撲殺・焼殺するなどしてチベット人を根絶やしにしようとした。
犠牲者は、なんと120万人に及ぶ。
こんな国が何言っちゃってんの。
良識を取り戻してほしい?
どの口が言っとんじゃい!
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チベット解放という名の侵攻を行った。
人民解放軍は富裕層や地主らを公衆の面前で銃殺に処し、あるいは生き埋めにし、
僧侶も撲殺・焼殺するなどしてチベット人を根絶やしにしようとした。
犠牲者は、なんと120万人に及ぶ。
こんな国が何言っちゃってんの。
良識を取り戻してほしい?
どの口が言っとんじゃい!
初期の報道としては、南京陥落半年後に、英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員ハロルド・ティンバリーが、日本軍の暴行批判記事を書いた。この記事は記者が一度も南京に行かずに書いた伝聞記事だった。それを基にティンパーリは、昭和13年(1938)7月に『戦争とは何かー中国における日本軍の暴虐』を発行した。
ティンパーリは本書に、ベイツ教授の主張を掲載した。ベイツは「非武装の4万人近い人間が殺された。そのうち約3割は非戦闘員だった」と主張した。ここに4万人殺戮説が唱えられた。
ティンパーリは、中国国民党宣伝部に雇われたエージェントだったことがわかっている(立命館大学・北村稔教授)。国民党国際宣伝部は、宣伝目的のために、ティンパーリに『戦争とは何か』の執筆を依頼したのだった。そのうえ、ベイツ自身も、国民党中央情報部顧問だったことがわかっている。
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/443.html#c8
お説ご尤も。
申し訳ございませんでした。
と言っていた時代が噓のようだ。
遂に日本人も自虐史観の呪縛から解き放たれたんだなあ。
感無量である。