56. 2017年1月05日 11:06:23 : DkE64fXbA2 : ZQBTvk@hSKw[1]
>いつ何時動くか分からない民進党の行動に期待を寄せる小沢一郎よりも、彼等は自らが先導に立って動かれる小沢一郎を待っているのではないか。
>他の組織のの長の出方を伺い、座して待つだけの組織の長ではいけません。
>ここに集う同士の方々は、自らが旗を振るべきと進言する事はないのだろうか。
>ちと不思議ですね。
これですね。
小沢を支持するものよし、でも、どうして上記の事が言えないのか。
一政治家としてならば、今でも小沢を認めよう。
しかしながら、小沢に期待していたものは一政治家ではなかったはず。
大の大人が相手を信頼し、支持をすると言うのは、何でもかんでも無条件にとはいかないものであろう。
教祖として小沢を見るなら別であるが、同志としてリーダーとして小沢を見るなら、いろいろと不満があってよいはずである。
そんなことは会社勤めの場合でも十分に経験しているはず。
100%信頼できる上司などいるものか。
企業というもの、政治活動というものは切磋琢磨して成就するもの。
どうして、小沢を、そのように見れないのか。
政治家として、我々のリーダーとして、小沢は、そんなに完全無欠なものであるのか。
小沢が周りにイエスマンだけをそろえたことが小沢の能力の限界であったように、小沢信者と言われる方々の存在は小沢のためにはなってはいない。
阿修羅においても、このような対応は、他者から見て、小沢への信頼感を貶めているだけの事。
そのことを認識するべし。