5. 2018年10月10日 07:55:16 : rom9hbtFeU : zjjx5Rd@Tgs[1]
敵対する訳ではまったくないので勘違いして欲しくはないのだが、情報の信憑性として個人的な見解が強く差し挟まれた情報にはバランスを採る意味で注意喚起しておきたい。
ここにある情報のソースが、サイト「シャンティフーラ」経由で訳されたベンの個人の「独自的判断材料を元に生まれた見解」としてもたらされた断定(きめつけ)である、ということは各々きちんと理解しておかなくてはならないはずだ。しかし、一方でベン自身が、程度の差こそ在れ、情報提供者として自分に近づく人間に対して警戒を怠っていないということと、その情報源の信憑性を独自に分析判断し、きちんと「自分の責任として負っている」事も評価しておくべきである。そうして全体としては彼の情報は大変この時期に我々に役に立つものだが、しかしながらある一定の線引きをしている彼の助言も100%支持して構わないと云うものではない。
新たな時代の幕開けを遅らせる一端がどこにあるのかといえば、必要な情報が表に出ても隠されるといったことや、または「真実が表に出て来ずらい状況」を我々が気付かずに維持しているということにもある。つまり、我々にも原因があるということである。
それを踏まえて私の言いたい事とは以下の例えに要約される。
我々と動物界、植生界といった自然界との関連の仕方がある。一例として、我々が彼らを食料として家畜をもつことに躊躇いを生まなかったり、クマを見てすぐ害獣と判断して撃ち殺せてしまうということがある。それは何故に起こりうるのだろうか。
捕鯨して補食するのが当然と云った認識は何故持たれたままなのだろうか。つまり我々は真実よりも何か別のものを優先するきらいがある。それは国家間、国や人種と云った概念下に於ける戦争においても同じ事である。
時にそうして、無知に裏打ちされた怖れは「批判」的な「排外的な壁」となり、真相を覆い隠したり、そことの繋がりを断ち切る事にもなっている。そうしたところに偽旗作戦による弊害というものもまた現れているとすれば、真実とは誰がどのようにして会得すべきかを理解する所となろう。
我々に刷りこまれた情報が我々の生きる現実生活の場を作り上げることとなっている。
ある事実を隠す為に、またはその対象への信頼度を下げるための謀略の一環として、偽旗作戦が行なわれてきたという事実があるなら、隠されてきた事実、真実の歴史を開示を受け容れるには、多くの勇断もまた必要となるだろう。これまでの自分が持つ固定観念を一端外す必要が出てくる。
そのことをよく踏まえれば、思いつく限り違った面、角度から物事を精査し、認識し直す事がこれから必要となるはずだろう。
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