5. 2018年4月26日 02:09:09 : fFAu4LaqKs : zig_wle0Tws[1]
フィンランドに関してはそうした結論がでると予想していた。理由はここにいる識者の言う通り。
そもそもベーカムの真価は既存社会の中で結論に至ることはない。ベーカムとは段階的に理解されていくものである。ベーカムは金権主義である既存社会のあり方を根本から変えていくものだからである。
こんな単純な実験結果に左右されるものであるなら、はじめから予測できたものだし、そもそもしないで済む。だが、ベーカムの真価とはそんなものではない。
理想の社会、社会全体の再構築といった話の先駆けとしてベーカムが語られる限りは、金権欲にまみれ洗脳支配された金権主義者たちの反発は必至であり、到底彼らに理解されるものではない。つまり今回もそうした反発にあったというだけの話だ。
しかしながらベーカムの有意義さを改めて理解する市民たちは、自分の一生で自分たちの力を出し切りたいとするだろうし、こうした運動は直も市民には受け入れられることになる。ベーカムが実施されればこれだけよくなる、変わると云うことをベーカムを理解すると云う識者は積極的に伝えることだ。
いまは、それどころかまったく食うことすら、生きる事もままならない人間が多数いるわけで、国家としては理不尽な格差が進行している。国家として見ても、企業間の競争は非合理的であり、無駄な生産性(多くは廃棄処分となる)はただ国力の無駄使い、非効率的な状況はまったく改善をみない状況である。
すべての国民には意欲的になんどでも失敗を怖れずチャレンジすることのできる手だてが必要だ。
ベーカムは国家民に愛される優秀な企業にはやさしい。ブラックには手厳しいだけのものとなる。何故なら、好かれる企業には国民は安価で契約内容に柔軟な働き手となりえるからだ。そしてまた働き手も自分の得手不得手を理解し、マッチングしなければどんどん職を変えることが出来るようになる。マッチングすれば合うところであれば専門的に高給で企業側がスカウトすることになる。つまり、国民一人一人が国家、または企業となって、対等に横の繋がりで契約すればいいのである。そうして圧力のない、結束力の強い新たな組織のあり方が生まれることにもなる。
ベーカムは国力の削(殺)ぎ合いを止めさせることができる。国民同士がうわべたけで繋がる詐欺師養成所のような今の社会を変えることが出来る。社会的ストレスがなくなっていく。犯罪心理が生まれなくなっていく。互いに意見をいい合い、国家民に必要なものを手を取り合って、協力し、十分に作ることができるようになる。
個々人の労働力は抑えることになっても、生産性の効率はあがる。そして誰も痛まない。ベーカムが保障するからである。
暇ができた国民は、自分たちの力で行政を動かしていける。自分たちに必要な娯楽も全部自分たちで作れば良い。政治も政治家だけに任せずとも良くなる。皆が意見をし、より優れた案を採用し、皆で執り決めていけば良い。
ベーカムはその理念を理解するさきがけである。人々に必要なのは終着駅としてのベーカムそのものではなく、その先の未来である。
なんどでも自分のしたい仕事(自営)を模索し、失敗しても挑戦しつづけることのできる社会的な下支えが我々全体に有意義な美意識と発展をもたらす。われわれに必要なのは誰もが自分の力を最大限に活かすことの出来る社会であり、その為にベーカムを提案するのである。
すべてがすべてのその機会を有効に活かせるとも思わなくていい。それなりそれぞれは自分の持てる力を余す所なく発揮したいと考えたくなる社会を皆で共有すれば良いのである。ベーカムはそうしたことを考えるきっかけになればそれだけでもいい。
つまりベーカムによる恩恵とはまず、そうした根本的な価値観の改革にあり、それが起動すると、金権主義的な人間は次第に潰えて、地位を求めるようなことも消滅していく。そんなことに意味など見出せなくなるからだ。誰もが横並びの対等な関係性に結ばれれば、持てるエネルギーをなんら出し惜しみすることにも意味を見出せなくなるだろう。
誰もがそこでは率先して自分たちだけでなく他国の発展、そしてそれらのインフラの維持を下支えする人間が顕われ、名誉よりもそれが単に楽しいというだけとなる。何故なら喜びがあるからだ。形ばかりの栄誉や金よりも喜びが上位になるわけだ。好きなことと喜ばれることがひとつとなる。それを誰もがやろうとする。互いに相手を同質の仲間と見やるからこそ互いの信頼が担保される。そうした力のもとに、あらゆる垣根は飛び越えられることとなる。
つまり、既存の企業の組織的な支配体制が根強く、競争が激しい間は、無駄な生産性も異常に多く、国家としては無駄に非効率な状態で、ストレスをただ溜め込み、精神的にも病気になりがちで、甘えた訴えだけが募り、やる気も起こらず、怒りと衝動的な食欲と性欲で満たされないものを満たそうにも、すぐに肉体的にも限界を迎えることとなる。これでは精神的には常態的にダメダメなわけだ。そこに来て一部だけが救われてる社会なんてのはまったく実験としても意味がない。その真逆をいくためにベーカムとは全体性に対して推進されゆくもので在ると云うことだ。
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