15. 2017年12月26日 11:38:18 : 2gJAR7qkAw : XDk1EQdrPAs[1]
70年代は平和思想にかぶれてモテるためにフォークギターを持ち、
80年代はアメリカ礼賛でアメリカ的価値観で生きようとし、90年代はバブルの後遺症で清貧だの真似事をして、
00年代は小泉礼賛でカイカクだの「新しい」ものに何でも飛びつき、10年代はネトウヨにかぶれアイコク日本教に走る。
流されるなか「カッコいい・悪い」でしかみれない。それをシンポと思い込んでいる。オレは違うと思うのもいる。
だが、その成長は70年代から変わっていない。武田の発想はその典型。哀れとしか言いようがない。
それ以前に「政権批判していているオレってカッコいい」的発想は自己反省なのか知らないが、
すでにオジさんの記憶にしかない時代錯誤的な妄念でしかないのだが、
彼らには安倍政権を批判すると自分に酔いしれているようにみえるらしい(笑)
「これがリベラルだ」域に達するまで時間もかからないだろう。
その一方で、流されてもカッコいい武田や松本と違い、ごく普通な大人もたくさんいる。
その差は何か。一定のブレーキがあるかないかだ。このままでは戦争につながりかねないと思えば、
誰がどうだろうと、たとえ「カッコ悪く」ても意思表示をする。ただの大人である。
もちろん支持しない、したくないと思うだけでも立派な意志表示である。
永六輔は自分でできることをやればいいと言った。その通りである。
しかし武田や松本は違うそうだ。本人らはそれを口にしない。反対側を冷笑して卑怯だけいう。本人たちの
「安倍さんの悪口を言う人はカッコ悪いね。」「政権にかみついているのはカッコ悪いよね」は、
「安倍さんカッコいいよね」「安倍政権は素晴らしくカッコいい」の趣旨返しにしかすぎない。
世の中には沈黙しているが安倍政権を支持していない人がたくさんいる。支持する人も気乗りせずに支持している人もいる。
日和見を気取って「カッコ悪い」発言を繰り返しても、その本人は政権や思想の支持者でしかなく、
カッコいいとは言えないから、反対の人を見てカッコ悪いという空気を作り出したい。
批判する人は後ろ向きで、批判しない人は前向きという印象操作と同じ。
なんら中身はなく、空気で貶める印象操作の一つでしかない。
ずるいという言葉はそのままお返したいと思う。
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/572.html#c15