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wXTTuWa6a1A コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK241] 超大スクープ!! 安倍晋三の叔父が加計孝太郎で叔母が浜田まき子だった岸信介の晩年 ラムセス
14. 2018年3月11日 02:47:29 : tF6WVmFYes : wXTTuWa6a1A[1]
>13
詳しいですね。なるほどです。先祖とする個我意識のバックボーンとしてのグループ総体はそのように集団性の課題を引っさげて輪廻していると言えますからね。魂の単位は個人単体のみにあらず、課題の規模内容に応じて、種、群れ、村、街単位で存在しているものです。

祭祀形態にさまざまに違いが出るのも信仰対象に対する解釈の差し違えが生じているからで、時節ごとのより強大な使命感に束縛されてしまえばそれが優先され、些細な事には目を瞑るといったことが総じてやがて大きな過ちを生むことに繋がっていく訳です。ですから、縄文時代の政治にあるように一番些細とされる搾取行為、人のものを盗むこと、命もしくは家族関係へ亀裂を入れる行為などに対して大罰を与える。しかしそれさえ守れば、社会はまた民全体を守ると約束するとして関係性があったため成長持続拡大しつづけたわけです。そう云う事を常に率先してやってきたのが我々の先祖にいた訳です。そのように根本さえ守れば、良いものは改善しつづけ、自らの生き方を常に厳しくその自身の態度を見つめる。再び、その都度不適合部分を変えていけるようにやり直せばよいだけです。単純に自分の生き方を権威者に捧げ支配させる。そんなやり方では現代のような不正極まりない社会が築かれる。そんなことは縄文時代の頃のネイティヴは皆わかっていた。もちろん、AIでも答えは同じでしょう。神がいるなら神も同様の理解を示しているはず。だから彼ら縄文期の人間が生きた政治の場においては本来的に生け贄の風習は肯定されえぬものとして、正当化されることもなく、生き物を乱獲せず、出来るだけ野生の実などを食していた。単純に狩猟民族と謳える生き方をしていなかったということはかつてのアボリジニの宗教観、また生活を記した書物などでも理解出来るはずです。

どちらにしても生きる環境が最悪であれば、そこでの飢餓状態が長引く程狂気が駆り立てられますでしょう。そのため社会は、また政治とは、健全な取り組みだけが期待される場だということになるはずです。
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