52. 2017年1月14日 09:26:33 : wujfDoRqyw : WCehfTltxqc[1]
日本の神道くらい、いい加減な定義のものは他の宗教には見当たらない。
日本の神道の内、八幡神社と一宮は本来同義の物、ただし八幡神社は、日本に禅宗が出来たとき、武士階級のエリートを祀る媒体として禅宗に統合、神仏習合とされた。
一宮は、そのとき武士(公務員)になれなかった庶民が崇めた、お寺の中に共存を許されなかった被差別階級の信仰の対象だ。
日本の神道の内、稲荷神社は本来神道ではない。
稲荷さんとは、座とか市とか、流通社会が構成していた所謂「儒教」のことで、これがお寺の和尚さんたちの地位について、廃仏毀釈後もその地位を保全するため、儒教であるにも拘らず、此れを神道と定め、各地の稲荷神社となったのが始まりだ。
仏教の内、真言宗はこの儒教を基にした、仏教と儒教という本来正反対の教えを統合した「商人の法規」であって、実は日本の表天皇家とは、代々この真言宗の最高僧正家のこと。
だから神道と天皇家は寧ろ縁が無かったことになる。
日本の神道の内、靖国神社と湊川神社を「上級」とし、全国の護国神社を「下級」とする、所謂「軍事神社」は、グイド:フルベッキにより編纂された招魂社に端を発する考え方で、その教えの内容とは、ほとんど「テンプル騎士団の教義」を丸写しする、単なるカトリックの変造された姿でしかない。
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