21. 2018年7月26日 15:40:04 : 3ih52taZ3c : w9CQkAvlRR0[1]
>>17さん
死刑反対というのは、法を変えましょうということでもあるんだな。
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/317.html#c21
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死刑反対というのは、法を変えましょうということでもあるんだな。
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/317.html#c21
世界の常識となぜこんなにまで違うのか、異常な数の死刑執行が行われたときでさえ、死刑賛否が国民的議論の遡上に上がらないほど洗脳されている。
もちろん、人は洗脳なしに生きられない。民主主義の洗脳なら、限りなく多くの人が受益できる洗脳を選ぶべきではないのか。
民主主義国家での死刑は国民が執行する。つまりあなたがわたしが執行する。
首に縄をつけた囚人が死刑台から落ちてきたのをバウンドしないよう、両脇から支えるのは刑務官だ。
その後15分間、囚人が苦しみ悶えながらコト切れるまでを観察してから棺桶に納める。
刑務官はこの仕事のことを仲間にも家族にも話すことはなく、一生独りでトラウマをかかえて生きていく。
これは、あなたがわたしが執行していることと同義なのだ。
だから普通の民主主義国家では死刑はやらないものだが、日本では国の支配者が執行しているかのような洗脳があるので、毎度「やれやれ」の論調になる。
そんな国だから三権分立もおぼつかず(黒川法務事務次官は官邸のいいなり)、権力はあいもかわらず官僚と官邸に集中し続ける。こんなものは民主主義ではない。
古来、国の支配者は死刑を国民支配の道具として使ってきた。支配層が強い国ほど死刑数は多く、残虐な方法になるのは現代でもそのままの状況。
遺族の報復感情を察せない人などいない。
死刑に反対するのは、死刑はお上の威厳と錯覚し、習慣的にお上に物言えなくなっている国民性がもたらす不利益が圧倒的に大きいと思うからだ。
「民主主義にひそむ官僚独裁主義」
「最高裁中枢を知る元エリート裁判官はなぜ司法に絶望≠オたのか?」
等々参照のほど。
http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/317.html#c39