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VyCOGew8@W4 コメント履歴 No: 100000
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[カルト7] 【幸福実現党】“斜陽”が始まった『幸福の科学』教団内部の惨状 提供人D
1. 2017年2月08日 14:42:04 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[1]
ヤフコメコム

【小池百合子 都知事選】大川隆法、「幸福実現」家宅捜索に霊言で反論 “麻生財務相が総理に提言”

c 2016-08-31 10:00:00
http://ヤフコメ.com/comments.html/20160831-00511815-shincho-pol/2
(抜粋)

       (内容略)

「週刊新潮」2016年8月25日秋風月増大号 掲載

— 引用元 大川隆法、「幸福実現」家宅捜索に霊言で反論 “麻生財務相が総理に提言”(デイリー新潮)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160831-00511815-shincho-pol(★削除)


コメント数 210(から抜粋) 


awm***** 2016-08-31 12:27:01

●聖域を騙ってみだりに儲けてはいけない

jnh***** 2016-08-31 10:57:47

●宗教も集金システムが充実して大金が集まりだすとダメになるね。

shi***** 2016-08-31 12:41:33

大川ってアブナイな
顔もペテン師丸出しだな
神様だから心酔してる女幹部やりまくってるな
家宅捜査されても幸福と言ってほしかったな。
大川快楽の科学にしてほしいな。

kaz***** 2016-08-31 12:15:08

政治と宗教はセット


bom***** 2016-08-31 10:53:27

政治に宗教は無しで。


""""""" 2016-08-31 11:48:34

こんなの宗教じゃないだろ。

tama***** 2016-08-31 11:16:50

●問題はこういう教祖が莫大なお金をお布施として集め、宗教団体という事で税金も逃れているという事。
金銭感覚は麻痺しているだろう。

str***** 2016-08-31 10:28:09

●神が実際に存在するとして、それを伝える人間が自分の都合の良いように歪んだ解釈で伝えるからカルトや茶番になってしまう。

●神のように振る舞う人間は実際に神がいたとしたら間違いなく地獄に堕ちる。

tan***** 2016-08-31 11:40:19

●政治と宗教分離の原則という憲法に反している違憲団体です。


hin***** 2016-08-31 10:59:46

奥さんが愛人に追い出されて週刊紙に暴露したり、内情は既に相当世俗的じゃない。

ssk***** 2016-08-31 12:10:24

新興宗教は所詮は金儲け。お布施で階級が上がるソウカも意味不明

ae8***** 2016-08-31 11:24:14

インチキ宗教や、カルト教団が無くなってほしい。

ada***** 2016-08-31 11:14:45

オウムになる前に早く手を打ったがいい。

j01***** 2016-08-31 12:26:28

バカバカしい
霊言では無く妄言でしょ。

yos***** 2016-08-31 11:04:45

創価と一緒に潰してくれ。

ssw***** 2016-08-31 11:47:41

宗教法人に課税してほしいな。もちろん創価学会にも。

ZERO 2016-08-31 13:33:44

神が語った言葉を人間の都合で変えるのは神への冒涜と気づかないかなぁ?
ご都合主義で変えるなら「私たちはインチキ宗教です」と言ってるようなもの。

acj***** 2016-08-31 10:51:14

オウムもどき、カネ集めのインチキ宗教はいずれボロが出るよ。

d_1***** 2016-08-31 11:35:24


会員数は本を買った人数なんだって。

そこから胡散臭い

不幸実現党(笑)

h_k***** 2016-08-31 11:54:13

宗教ではないし、明確な犯罪者である。犯罪を犯しても宗教団体だから許されると言っている。狂ってる。

竹島は島根県 2016-08-31 12:02:49

●アメリカでは宗教法人が政治的発言をすると法人資格を剥奪出されると聞いたことがあるが公明党もそうだが政教(政治と宗教)分離はどうなっている。

chuunen47 2016-08-31 10:33:20

幸福の科学と創価はインチキなのがわかったろ?

dyq***** 2016-08-31 12:55:39

●憲法の宗教の自由も、どうかと思います。

●高額所得者が、宗教法人に、お布施して税金逃れて…その金が、また懐に舞い戻るような癒着ばかりなので…


ツル○ンスキー 2016-08-31 20:16:48

こんな大ホラ吹き野郎、まだ生きてんのか?ノストラダムスを降霊させて世界は1999年の7月に消滅する。ハズだったよねぇ〜。あれから17年、未だ消滅しておりませんが・・・

mas***** 2016-08-31 12:14:59

●まぁエドガーケイシーは反日だからな。
www

tak***** 2016-08-31 10:57:15

●人の弱みに付け込んでカネ儲けする宗教家が一番許せん。
信ずる者しか救わないセコい神様拝むよりも…

tan***** 2016-08-31 12:40:44

ヤッてる事は、オウムと大差無いカルト教団。


loosebank.com 2016-08-31 10:51:01

ついでに、断っても選挙のたびに「公明党に入れて下さい」
って、電話して来る創価学会員を、取り締まって貰いたいよなぁ〜

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dop***** 2016-08-31 14:32:13

●宗教法人に対する税制が甘いから、オウムや幸福の科学のような団体がでてくる。

●宗教法人にも一般法人と同じ税制を適用すべき。

●課税=宗教弾圧ではない筈だ。

●課税が弾圧なら国民全てが弾圧されている事になる。

neo***** 2016-08-31 16:51:29

幸福実現党への家宅捜索 
「宗教の聖域に世俗権力がみだりに
立ち入ってはならない」

宗教の聖域から、
世俗権力(政治)に「執着」し続けてるのは?

(笑)

yamatotakeru20140818 2016-08-31 12:10:57

大川隆法に限らず、突然“神懸かり”になり、霊言・神勅なる妄言を唱える“教祖”は皆「精神疾患」の典型である。そして一旦、訳の分からない、得体の知れない、怪しげな宗教にのめり込むと教祖及び信仰対象たる奇怪な神と“感応”し思考に異常をきたし、幸福になるどころか不幸のどん底に堕ちてしまう。故に “新興宗教”は、諸宗教の中でも特に危険である。

コメントへの返信は読まないししないよw 2016-08-31 13:51:43

『見つからなければ犯罪じゃねえだろうが!万引きやシートベルトしてねえくらいでガタガタ抜かすなゴラァ!』

と言うのと限りなく同じ内容なことを仰ってらっしゃるのですね?w

さすが…言うことが振るってらっしゃる(笑)

xyl********* 2016-08-31 11:12:00

公明党=幸福実現党=真理党
宗教政党なんて根本はみんな一緒だよ。

mad***** 2016-09-01 04:45:59

ここヤバイよ。あちこちに白い建物立ててるよ。支部だかなんだか知らないけど。
田舎にも作ってたからビックリ。
あちこちにあると、儲かってんだろうなぁと思う反面、怖いです。


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/244.html#c1

[カルト7] 【幸福実現党】“斜陽”が始まった『幸福の科学』教団内部の惨状 提供人D
2. 2017年2月08日 15:00:07 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[2]

    佐倉哲エッセイ集

   その他の宗教について
   On Other Religions
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http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/index.html

統一教会の霊能者
『李相軒先生が霊界から送ったメッセージ』のウソ
Sharmanism in Moon's Church
2001年10月1日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/uni_shamanism.html

統一教会のシャーマン(霊能者・巫女)の一人である金英順(キム・ヨンスン)女史が、生前統一教会の幹部のひとりであった李相軒(イ・サンホン)という一人の死者との交流を記したという、「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ」という同一の副題を持つ書二冊に目を通す機会を得ました。統一教会の霊能者の主張を吟味します。・・・

『世の終わり』思想の源流
Apocalyptic Eschatology in Judaism
99年2月15日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/apocalyptic_eschatology.html

キリスト教の終末思想も、またノストラダムスやエドガー・ケイシーなどの予言に見られる俗流終末論も、もともと、西暦前3〜2世紀に生まれたユダヤ教の黙示的終末思想をその源流としています。そもそも、いったい、どのような事情のもとでこのような思想が生まれてきたのでしょうか。黙示的終末思想を支える状況および人びとの動機を探ってみたいと思います。・・・

●大川隆法の霊示
Spiritualism of Okawa Ryuho
99年1月9日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/reiji.html

幸福の科学の教祖である大川隆法さんは、「霊言集」とか「霊示集」と呼ばれる書物をたくさん出版されています。すでに死んだ人びとの霊が大川さんを通して地上人に語りかけるという形式の書物です。通常、この類いの霊能者の話は、誰もなにも知らない死後の世界とか霊界とか未来の出来事について語られるものですから、ほんとなのかどうかは、誰にもわかりません。誰も知らないことについてであれば、たとえそれがデタラメなつくり話しであっても、ウソであることがばれる心配はないわけですが、それでも、霊能者たちは、ときどき失敗を犯します。ついつい、わたしたちの知っている地上の出来事について語ってしまうことがあるのです。大川さんも、その『内村鑑三霊示集』で、この種の失敗をしています。大川さん(内村鑑三の霊)は、つい、地上でのある出来事について喋ってしまったのです。地上での出来事ならば、わたしたちは、それがウソか真実か調べることができます。・・・

●エドガー・ケイシーのデタラメな予言
Lies by Edgar Cayce
98年12月22日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/cayce.html

霊能者の予言というものは、しばしばあいまいで、あとからどうにでも解釈できるようなものが多いのですが、あいまいなものばかりでは相手にされませんので、たまには、具体的なことを言わねばなりません。そこで、その部分に注目して調べてみると、事実とあわない予言がいくらでも見つかります。エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、人間の霊的能力を信じたい人びとの間では「今世紀最大の予言者」などといわれていますが、今回、わたしが調べたところによると、かれの予言はデタラメだらけでした。ここでは、日本と1998年に関してケイシーが予言したことをいくらか紹介し、かれの予言なるものがいかにデタラメなものであったかを示したいと思います。・・・

●ブッダと大川隆法
Buddha and Okawa Ryuho
98年11月30日
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html

「幸福の科学」の教祖大川隆法さんは、「我はここに再誕す」と、ブッダの生まれ変わりであることを宣言されています。そこで、わたしはブッダの言葉と大川隆法さんの言葉を比較してみました。大川隆法さんはほんとうに現代のブッダなのでしょうか。それとも・・・。

判断は読者におまかせします。・・・


殺せ!と神が命じるとき
When God Orders a Murder
95年12月9日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html

イスラエルのラビン首相暗殺事件も、オウム真理教の一連の殺人事件も、ある困難な宗教的問題を抱えている。殺人が、神あるいはその代理者の命令として与えられるとき、信者はいかにすべきか、という問題である。・・・

「世の終わり」は1914年に始まったか
96年x月x日
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/y1914.html

“キリストが1914年に戻って来られ、敵のまっただ中で支配を開始されたことを示す聖書的証拠については、この本の16章で考えました。それで次に、キリストの臨在の「しるし」の様々な特色と、サタンの邪悪な事物の体制が「終わりの日」にあることを示すさらに多くの証拠とを、注意深く調べてみることにしましょう。‥‥(中略)‥‥以上述べた事柄を考えると、キリストが言われた「しるし」や、キリストの弟子たちが予告していた証拠となる事柄が今起きつつあることは明白ではありませんか‥‥。それでわたしたちは次のことを確信できます。まもなく、すべての悪と悪人が、ハルマゲドンで突如終わりを迎えるということです。” (『あなたは地上の楽園で永遠にいきられます』より)
本論は、このエホバの証人の終末論を検討します。 ・・・


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/244.html#c2

[雑談・Story40] エドガー・ケイシー日本人への最後の警告 てんさい(い)
14. 2017年2月08日 15:47:20 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[3]

佐倉哲エッセイ集


エドガー・ケイシーのデタラメな予言


佐倉 哲

1998年12月22日
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/cayce.html(全文)


霊能者の予言というものは、しばしばあいまいで、あとからどうにでも解釈できるようなものが多いのですが、あいまいなものばかりでは相手にされませんので、たまには、具体的なことを言わねばなりません。そこで、その部分に注目して調べてみると、事実とあわない予言がいくらでも見つかります。エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、人間の霊的能力を信じたい人びとの間では「今世紀最大の予言者」などといわれていますが、今回、わたしが調べたところによると、かれの予言はデタラメだらけでした。ここでは、日本と1998年に関してケイシーが予言したことをいくらか紹介し、かれの予言なるものがいかにデタラメなものであったかを示したいと思います。


エドガー・ケイシー(1877〜1945)は、米国の霊能者で、催眠状態のなかで、過去や未来や遠隔地について語った、と言われています。その中には、古代のエジプトのことや、失われたアトランティス文明のことや、来るべき終末の大いなる破滅や、キリストの再臨などについての言及があります。それらはケイシーの「リーディング」と呼ばれ、かれの秘書が書き取っており、現在でもケイシーのライブラリーに保存されており、一般に公開されています。

●わたしは、ケイシーの全てのリーディングを納めたCDを手に入れ、とくに、日本や1998年に関する予言を調べてみました。以下はその一部です。

(1)日本に関する予言(その1)

1932年2月8日、ケイシーは、ヴァージニアの自分のオフィスにおいて、1936年までに起こるであろう世界的な出来事を予測して、つぎのような質問に答えています。

(質問)これから50年間、人類の繁栄にかかわる重要な出来事を予測していたでけませんか。

(回答)それは、国際関係において現在要因となってい多くの力が分解する形で、36に世界にやって来るであろう大いなる破滅以後を予測するのがもっとも良いと思います。・・・・

(質問)どの力が1936年に分裂するのか名前をあげてください。

(回答)むしろ、1936年までに(起こる)でしょう。ロシア、合衆国、日本、英国すなわちイギリス帝国でしょう。

(質問)だれが支配力となりますか。

(回答)それは力の源に誰がより近いかによります。

(質問)中国と日本の関係はどうなりますか。

(回答)国際干渉によって、中国の一部で人口が復員されるとともに、中国か日本のどちらかが国家としての究極的破滅を迎えることでしょう。
(Edgar Cayce, READING 3976-10)

この予言がなされた1932年の前年の9月には満州事変がおこり、同年10月関東軍は錦州を爆撃しました。32年正月28日には日本軍と中国軍が上海で直接衝突します(上海事変)。ケーシーの予言はこのような時世を背景におこなわれたものです。もちろん、問題のでたらめな予言は、1936年までに中国か日本のどちらかが国家として消滅する、という予言です。

(2)日本に関する予言(その2)

第二次世界大戦が始まって、まだあまり経っていないころ、1940年12月25日クリスマスの日、ケイシーは、ヴァージニアの自分のオフィスにおいて、日本について次のような予言をしました。

シンガポールの崩落をわたしは予言します。また、オーストラリアとインドがジャップによって攻撃されることをわたしは予言します。・・・かれら[日本軍]はおそらくヒットラーの軍と合同するでしょう。東京が戦火に包まれるのが見えます、しかしそれが日本の崩壊をもたらすようには見えません。わたしたちの愛する合衆国においては、わたしたちの飛行機工場が爆撃されるのが見えます。また、労働問題が見えます。・・・この戦争は、目に見えない神の霊の力がこの地には存在するのだという事実がすべての国に啓示されることによって、その終結を見ることになるでしょう。
(Edgar Cayce, , READING 1931-3)

この予言がなされた1940年の前年、9月にはドイツはポーランドを侵攻し第二次世界大戦が勃発しました。同年11月ソ連はフィンランドに侵攻し、国際連盟はソ連を除名処分にしました。40年になると、1月には日米通商航海条約が失効します。4月ドイツはデンマークとノルウエーを、5月にはオランダを侵攻しました。日本は9月北部インドシナに侵攻し、9月22日に日独伊の三国同盟が結成されます。11月にはハンガリーとルーマニアが日独伊三国同盟に加盟します。11月には日本では期限2600年の祝賀行事が大々的におこなわれました。同11月にアメリカは三選したルーズベルト大統領が、民主主義を守るために米国が兵器援助をすることを発表しました。
上記のケーシーの予言はこのような時世を背景におこなわれたものです。もちろん、日本がオーストラリアを攻撃するとか、日本軍とヒットラーの軍とが合同するとか、日本が米国本土の飛行機工場をを爆撃するとか、「目に見えない神の霊の力がこの地には存在するのだという事実がすべての国に啓示されることによって」戦争が終結するとか、これらすべての予言は、まったくのでたらめでした。


(3)1998年に関する予言(その1)

ケイシーは、いわゆる「世の終わり」が、1958年から1998年までの40年間に起こるであろうことを、しばしば予言しています。1934年1月19日、ニューヨーク市のパーク・アブニュー410番地で、この期間の出来事に関して次のような予言をしました。

物理的な変化に関して言えば、アメリカの西側の一部分の大地が分裂し、日本ではより大きな部分が海に沈没するであろう。ヨーロッパの上の部分では一瞬のうちに変化が起きるであろう。アメリカの東側の海からは陸が隆起するであろう。・・・これらのできごとは58年から98年の間に始まるだろう。
(Edgar Cayce, , READING 3976-15)

●もちろん、アメリカ大陸の東側の海からあたらしい陸地が隆起することなどなく、おなじくアメリカ大陸の西側の一部が分離してしまうこともなく、また、日本が海の中に沈没することもなく、あと10日ばかりで、1998年が終わろうとしています。すべて、ケイシーのデタラメの予言でした。

(4)1998年に関する予言(その2)

また、ケイシーは、1932年6月30日、自宅で、1998年に関して次のような予言をしました。

●それが起きるのはこの期間、すなわち1998年に、メシア(救い主)が出現するときです。
(Edgar Cayce, , READING 3976-15)

●これは、ケイシーの予言の中でも有名なもので、ケイシー関連の書にしばしば言及されています。たとえば、カーク・ネルソンの『キリスト再臨の1998年』などでは、星座の関係から特定の日を導きだし、キリストの再臨は今年の9月30日という日だと断定しています(Kirk Nelson, The Second Coming 1998, ARE Press, 82ページ)。

● もちろん、今年の9月30日はとっくにすぎましたが、キリストが再臨するどころか、まったくなにも特別なことも起こりませんでした。これも、ケイシーのデタラメ予言のひとつでした。


(5)結論

予想はしていましたが、「今世紀最大の予言者」などと一部の人びとによって信じられていたエドガー・ケイシーの予言は、今回わたしが調べてみた結果、まったくデタラメだらけであることが、やはり、あきらかとなりました。

多くの「世の終わり」予言者がそうするように、ケイシーも、自分の予言のウソがばれる頃にはもうこの世にはいなくなっているような、そんな時期(1998年)を世の終わりと予言していました。当然のことながら、ケイシーの予言は何も当たることなく、1998年も終わろうとしています。お前の予言はデタラメではないか、と文句をいう相手はもうこの世にはいませんが、いまでもケイシーを「今世紀最大の予言者」などともちあげて、霊能力のようなものがまるで事実であるかのように宣伝をする人達が日本でも後を絶ちません。このようなものが日本において実に軽薄な精神状況(オウムを生み出す精神状況)を生み出しているように思われます。そのため、このくだらないエドガー・ケイシーの予言も、いまもう一度、そのデタラメさを明るみに出してみることも無駄ではないだろうと思います。

もし、ご自分で確かめて見たいと思われる方は、こちら(↓)でその資料が手に入ります。
http://www.edgarcayce.org/cgi-bin/edgarcayce/cdroms.html
Server Error 404 - File or directory not found.)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/460.html#c14

[Ψ空耳の丘Ψ61] その白洲次郎の孫は元内閣総理大臣・細川護熙の公設秘書だ M総合研究所
2. 2017年2月08日 16:41:56 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[4]

初めにアクセスした時には「Internet Explorerは応答していません」が出て閲覧できなかった。
二度目には成功した。これはどういう意味だろうか。

    ↓


THINKING LIVE シンキングライブ

シンキングライブは経済情報サイト
矢野雅雄が運営しています。

23338、白州次郎は白州家の養子、ウオーバーグのエージェント説は確か?

2013年11月17日 08時33分10秒 | thinklive
http://blog.goo.ne.jp/thinklive/e/5b537ed57d3972f34bca41fea1118f7f
(全文)


*ボクは白州次郎を述べる積もりは無かった、アメリカの元財務長官のガートナーが、ウオーバーグピンカスのCEOに就任した、と言う日経の囲みヲ見て、ウオーバーグをリサーチしたら、白州に出会ったわけである、白州の義父の吉田茂の、養父の吉田某は、ロスチャルドのアジア代理トレーダーのジャーデン.マセソン日本店長で巨額の財産を吉田茂に残している、吉田茂が英国大使時代に当時ケンブリッジ大?にいた白州二郎を引き立てていた?ウオーバーグが白州の面倒を見ていたとすれが、吉田との繋がりは深いわけだ、吉田とロスチャイルドとの関係も認識できようというものだ、

*ウオバーグ家はロスチャイルドの金融仲間で、フランクフルトのユダヤ人街に同居していたほどに旧家、以下のWikipediaの記述はアメリカのウオーバーグ家?それにしても、連銀創設者の1人デアル、ポール?ウオーバーグの名前がないのもオカシイ、連銀の株主,16~17名の仲に、ウオーバーグは確か、3名はリストされていたと記憶する、

*もう1つ、レーニンが300万$の金と600人の戦闘部隊を連れて、スイスから封印列車でロシアへ送り込まれ、ロシア革命を成功させる、その一切のマネージを行ったのが、プロイセンの内相であったウオーバーグであったというボクの記憶、広瀬氏の著書だ、

Founding and early history[edit]
The firm traces its history to 1939, when Eric Warburg of the Warburg banking family founded a company under the name E.M. Warburg & Co. Its first address was 52 William Street, New York, the Kuhn Loeb building. Throughout the early post-war period, the firm remained a small office of not more than 20 employees. In 1966, E.M. Warburg merged with Lionel I. Pincus & Co, forming a new company that eventually became known as E.M. Warburg, Pincus & Co.[5] In 1965, when Eric Warburg retired to Germany, control was handed to Lionel Pincus, a partner in the Ladenburg Thalmann investment bank, and the working language of the office switched from German to English. Lionel ran the company from 1966 to 2002, and died in 2009. [6]
Warburg Pincus began investing in Europe in 1983 and opened its first office in Asia in 1994. It has invested more than $5 billion in Europe; more than $3 billion in India[7] and more than $3.3 billion in China. The firm is headquartered in New York and has offices in Beijing, Frankfurt, Hong Kong, London, Mumbai, San Francisco, São Paulo and Shanghai, with administrative offices in Amsterdam, Luxembourg and Mauritius.[8]
The firm is structured as a global partnership led by co-presidents Charles Kaye and Joseph Landy.[9] Kaye has been with Warburg Pincus since 1986 and worked to launch the Asian operations. Landy has been with the firm since 1985, focusing on investments in information technology, communications applications and structured investments. Approximately 40% of the firm’s investments are outside of the U.S.

で、もう一つあります。白洲次郎という男が非常にもてはやされております。これから白洲次郎という男について語ります。この男を語ると昭和史の闇が見えてきます。彼は白洲商会というのがあって、親爺は繊維問屋をやってて、繊維不況の中で倒産します。小さな会社です。親爺は倒産してどうしたかというと、九州の山の中に掘っ立て小屋を建てて、借金取りから逃れて、そこで一生を終わる男です。ちょうど白洲次郎がケンブリッジ大学に行ってるんですね。倒産します。で白洲次郎はどうしたか。白洲次郎は当時のイギリスのクラッシック・カーを乗り回して盛んに遊びます。なぜそんなことが出来るのか?

白洲次郎を助けた男にジグムント・ウオーバーグというのがいなす、そのが生涯にわたって金もなくなった男に巨大な金を与えてケンブリッジに行かせて、その後も一生大事に育てるわけです。おかしいと思いませんかこれ。僕はねどうもこの男(白洲次郎)は日本人じゃないんじゃないか、ウオーバーグの子どもじゃないかという考えをずっと持っておりました。で、ちょっと前に『1945年占領史』という本が出まして、その本を読みました。徳本栄一郎という人が書いた本で、その中にですね、妙なことを書いてました、結局、彼はホワイトクラブというのがあるんですが、最高権力者、チャーチルとかロスチャイルドとかMI6の長官とかトップクラスの者が入る、イギリスの最高の貴族クラスが入るクラブの会員であったと。(注 会員ではないが出入りしていた)貧乏人の男で親父が掘っ立て小屋に住んでるのに、どうして彼はできるんだろうと。

そしてまた彼の『1945年占領史』という本を読んでいる時に、ああそういうことかと思いましたね。彼が日本に帰ってきて、ある雑誌社でしょうね、ジャパン・アドヴァタイザーという、『ジャパン・オブザーバー』という雑誌社の編集員になる。そして彼が記事を書いてるすべての記事は、ジョン・シラスと書いてる。そうなんですよ、彼は白洲次郎である前に、ジョン・シラス・ウオーバーグなんですよね。僕はそう思います。だから彼は親爺が掘っ立て小屋を建てて借金から逃げているのに、ずっとクラッシック・カーを乗り回して・・・白洲正子というのが女房なんですけど、白洲次郎のことを盛んに書いてます「白洲次郎はイギリスで最高の暮らしをしていました。クラッシッ・カーを乗り回していました」」と。なぜそれが出来るか。それは間違いなく彼は、僕ははっきりそう思います、彼はジークムント・ウオーバーグの子どもであると。


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かつて日本は美しかった


2011-04-11白洲次郎は傲慢な人だったのか
白洲次郎とは。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110411/1302530865

2011-04-13白洲次郎と正子
不思議な夫婦。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110413/1302695268

2011-04-15白洲次郎は実は弱虫だった?
実は東京空襲が怖かっただけ?
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110415/1302871503

2011-04-16マッカーサーを叱った男
白洲次郎は本当にマッカーサーを叱ったのか?
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110416/1302949591

2011-04-17ホイットニーという男 〜 GHQ憲法の仕掛け人
GHQ憲法仕掛け人の大御所、ホイットニー。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110417/1303041243

2011-04-18ケーディスという男〜 GHQ憲法の仕掛け人
日本の伝統を破壊し、共産革命へ導こうとした首魁。GHQ憲法の仕掛け人。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110418/1303129454

2011-04-19GHQ憲法作成密室の7日間
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110419/1303218365
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/322.html#c2

[政治・選挙・NHK201] 報ステが驚異の大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ… 赤かぶ
117. 2017年2月08日 17:02:44 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[5]
>>116さんに同意。

>「戦争放棄」は★幣原首相のほうから求めてきたという説がありますが、終戦連絡中央事務局次長の★白洲次郎によると幣原の側近だった楢橋渡のデッチ上げだと批判しています。

>この三原則はOSSというCIAの前身である組織が昭和17年(1942年)6月に「日本計画」として提出したものと一致しているので、白洲次郎の言っていることが正しい。   

          ↓
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かつて日本は美しかった

2011-04-19GHQ憲法作成密室の7日間
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110419/1303218365(全文)


 ●昭和21年(1946年)2月3日、GHQ総司令官マッカーサーはホイットニー民政局長を呼んでこういいました。

  ●「憲法改正草案の作成を命ずる」

 ●草案作成作業は2月12日までに終えるようにとの通達でした。わずか9日間しかありません。これには理由があり、日本の占領政策がアメリカの独断になるのを懸念したソ連や英国が極東委員会を設置し、対日政策に口を出してくることが考えられたからです。

 ●マッカーサーは「象徴天皇」「戦争放棄」「封建制廃止」という三原則を提示しました。「戦争放棄」は★幣原首相のほうから求めてきたという説がありますが、終戦連絡中央事務局次長の★白洲次郎によると幣原の側近だった楢橋渡のデッチ上げだと批判しています。この三原則はOSSというCIAの前身である組織が昭和17年(1942年)6月に「日本計画」として提出したものと一致しているので、白洲次郎の言っていることが正しい。

 ●民政局では25人のメンバーが集められました。陸軍将校11名、海軍士官4名、軍属4名、秘書を含む女性6名で、弁護士資格を持つ者は3人いましたが、憲法の専門家は一人もいませんでした。


メンバーの一人、行政委員会 ミルトン・J・エスマン陸軍中尉

●「とても興奮しました。しかし、同時に私は、このようなことはとても不幸なことだと思いました。なぜなら、外国人によって起草された憲法は正当性を持たないと思ったからです。私は、民主主義を理解している日本人を何人か知っており、彼等に自国の憲法を作らせるべきだと思いました。そして、そのことを上司に述べたのですが、採用されませんでした」


立法委員会 O・ホージ陸軍中佐

●「興奮しましたが、私には憲法を作る能力も知識もなかったので不安でした」


ペアテ・シロタさん

●「このときに、私はまだ22歳だった。憲法の専門家といったら、畏怖する対象でしかなかった。とにかく、私が憲法について知っている事といったら、高校の社会科で学んだだけのことだった」


 ●作業は密室の中で行われました。メンバーは第一生命ビルの最上階にあった簡易食堂でサンドイッチを立ち食いしながら朝方まで作業し、一旦宿舎に帰り、シャワーを浴び、一時間ほど仮眠しただけでまた定刻の午前8時には全員集まって作業を続けました。そして予定の9日より2日早く憲法草案が完成しました。

 ●白洲次郎は何か感じ取っていたようで民政局をうろうろして探りを入れていましたが、憲法草案を作っているとはさすがに気づきませんでした。GHQのG2のウィロビーもしきりに探りを入れていましたが、次郎が知らなかったということは情報を得ることができなかったのでしょう。

 ●昭和21年2月13日にこのマッカーサー草案は外務大臣官邸に提出され、憲法というより共産主義者の作文のような文章に日本側は仰天したのです。
      ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

参考文献

 講談社文庫「白洲次郎 占領を背負った男」北康利(著)

 新潮文庫「英国機密ファイルの昭和天皇」徳本栄一郎(著)

 総和社「日本は憲法で滅ぶ」渡部昇一(監修)

 徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)

添付画像

 連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館(1950年頃撮影)(PD)

(動画)
【印象操作】GHQ作成の日本国憲法を美化する媚米放送局(1/2)
 http://www.youtube.com/watch?v=uKeJ5BzONOM

 ●外国人、しかも憲法の素人が日本の憲法を作ったことを称賛しているのだから、メディアがGHQの呪縛から逃れていないことがわかる。常識的に考えておかしいと思うはずだが、メディアを通じて日本国民はマインドコントロールにかかっている。

 ●シロタ女史はユダヤ人だが、これはマスコミが隠している。東京に移ったのは欧州で「反ユダヤ主義」が台頭してきた頃で、山田耕作がシロタ一家を東京に招いたのは「反ユダヤ」の迫害から救う目的もあった。戦前を全否定するマスコミの姿勢が伺える。


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アゴラ

『東京新聞』のマッカーサー書簡に関する記事は事実誤認だ

2016年09月12日 11:30

岩田 温
http://agora-web.jp/archives/2021390.html(書き出し抜粋)

2016年8月12日に『東京新聞』が『「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料』と題した記事を掲載した。新史料といいながら、どうせ決定的な内容にはならないだろうと思って読んでみたら、案の定、全く大したものではなかった。大した記事ではないどころか、記者の誤解からか、事実誤認まで含む酷い記事だった。書簡の解釈は『東京新聞』の自由だが、事実誤認に関しては訂正すべきだ。

事の経緯を確認しておこう。・・・(以下略)


http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html#c117

[政治・選挙・NHK201] 報ステが驚異の大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ… 赤かぶ
118. 2017年2月08日 17:19:50 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[6]
反日勢力無力化ブログ

共産党がひたかくす真実の歴史を暴露します

2016/05/06
報ステ「9条は幣原提案」報道に疑念あり
http://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-407.html(部分抜粋)


5月3日の報道ステーションで「憲法9条は幣原(しではら)首相が提案した!」と報道していました。

しかし外交評論家の加瀬英明氏の著書によれば、昭和20年1月24日に幣原首相がマッカーサーに面会したのは事実ですが、その時にマッカーサーから戦争放棄を切りだした、とあります。

●さらに加瀬英明氏の著書には、「幣原も何人かの親しい友人にはマッカーサーから切り出されたものだと語っている」とあるので、テレビ朝日はまた事実とは逆のことを報道したのでしょうか?


●占領軍は日本占領後すぐに昭和天皇の御料馬「初霜」を強奪して、見せ物としてアメリカ映画に出演させたような連中です。

●「天皇制を維持」したかった幣原首相が、そんな連中に「お願い」などするでしょうか?その頭目が「涙を目にいっぱいためていた」だなんて韓国ドラマのようなシーンは考えられません。


「初霜」の写真を見つけられなかったので、同じ御料馬の「白雪」の写真です↓

(写真)【参考:昭和天皇の御料馬「白雪」】


(※大幅に省略)


●アメリカは日本が二度と外国の権益を侵害しないよう、日本人を日本に閉じこめておくために「憲法9条」を強要したのです。

枕を高くしてグッスリ眠れるように。


加瀬英明氏

●「幣原も何人かの親しい友人にはマッカーサーから切り出されたものだと語っている」

●「ケーディス大佐らもマッカーサーが押しつけたものだと証言している」

出典:1976(昭和51)年 新潮社 加瀬英明 「天皇家の戦い」 


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 「天皇之ヲ統治ス」

 ●それでも、デモ隊の先頭が官邸前に到着したころに散会した調査会のメンバーたちは、まったく知らなかったが、二日前に幣原が総司令部でマッカーサーと会った時に、老首相はマッカーサーから、新しい憲法のなかに戦争と軍備を放棄する条項を入れることを強いられていた。

 ●幣原は年末から風邪をこじらせて、寝込んでしまったが、当時は珍しいペニシリンを貰ったために全快したので、お礼をいいに行ったのだった。そして、そのかわりに、たいへんなものを貰ってきてしまったのである。●もっとも、マッカーサーは死ぬまで、「戦争放棄条項」が、幣原によって突然いいだされ、自分が賛成したといい張り、●幣原も何人かの親しい友人にはマッカーサーから切り出されたものだと語っているものの、公的には最後まで自分からマッカーサーに対して提案したと主張している。

 ●これは、大きな謎となっているが、事実はマッカーサーが幣原に押しつけたものであっただろう。直接の担当部局であった民政局次長のチャールズ・ケーディス大佐をはじめ、総司令部側で憲法改定作業に従った幹部たちのなかには、そう証言するものが少なくない。しかし、幣原が押しつけられた、というと、正しくないかもしれない。●幣原は自由主義者(リベラル)であったが、あの時代に生れて、育った者の多くのように、熱烈な尊皇主義者であった。

(中略)

 ●一月二十四日に、マッカーサーは総司令部の六階にある自分の執務室で、幣原と会った。あまり大きくない部屋で、壁が草色に塗られ、隅にはコーンパイプが五十本ほど置かれている小さなテーブルと「二人の相談相手」であるリンカーンとワシントンの胸像が飾られた書棚があった。

 ●ここで幣原は、マッカーサーから憲法に「戦争放棄」の条項を入れるべきことを、はじめてきかされたのである。

ダメ押し資料にどうぞ↓


重光葵氏

●「占領政策は極めて厳粛なものであり弁明や拝み倒しはきかない」

●「GHQは国民には寛大であり、政府には厳重な態度であった」

●「幣原さんは憲法の改正は必要ないという英国流の議論を持っていた」

●「占領軍の目的は次々に内閣を取り替えて米国の意のままになる新日本指導層を創造するにある」

●「左傾分子が多い占領軍は幣原内閣ごときにもう用はないと示した」

●「自衛できない国は独立国ではない」

●「占領軍は天長節に私を逮捕した」


出典:1986(昭和61)年 中央公論社 重光葵 「重光葵手記」 
      戦争を後にして


(以下略)

http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html#c118

[政治・選挙・NHK201] 報ステが驚異の大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ… 赤かぶ
119. 2017年2月08日 17:33:44 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[7]
売文業者たちの戦後責任
『日本人と憲法〜』

第三章 国際社会復帰のための避雷針憲法(第九条)
http://www13.plala.or.jp/kyowato/kenpo005.html(部分抜粋)

【避雷針のようなもの−楢橋書記官長の言葉】


 一、二章でくり返し述べてきたように、連合国の日本占領の最終目的は、国際社会における「日本の無害化」の一点である。この無害化の具体的目標として、「日本の民主化」と、「日本の戦争能力の破砕」が挙げられた。そして、2つの目的を達成する手段として「憲法改正」が図られ、その恒久性を確実にするため、「日本国民が自主的に定めたもの」という虚構にこだわったのである。・・

(略)


備考

 この第9条はマッカーサーの草案ではなく、幣原首相の提案によるものだという説が、主としてマッカーサーの言として広くいきわたっている。日本国憲法を占領軍の強制によるものではないと主張している学者にはこれを支持する者が多い。しかし、この説は全く信用するに足りない。その理由の一端は次の通りである。

●1.憲法条文のすべてがGHQ製なのに、憲法中最も重要なこの点だけがGHQ製でないというのは話の筋がとおらない。

●2.わずか4年後には警察予備隊の創設を命じているマッカーサーとしては、「非武装」の憲法を強制したことはメンツに関わるとおもい、幣原に押しつけたとも考えられる。

●3.マッカーサーはGHQ製憲法を「日本国民が作った」といいつづけたが、「9条幣原発案説」もその虚構の一環にすぎない。

 彼は帝国議会における憲法改正の審議にあたって「この憲法改正ほど、国民各層の間で、8ヶ月にわたり徹底的に討議され検討された基本的憲法は稀にみるところであろう」と声明した。天下公知の事実に反することでも、このように白々しく虚妄の言をはくマッカーサーにしてみれば、幣原と2人だけの席で誰も事実を証明できる人間はいないのだから、「幣原が第9条を提案した」というぐらいの作り話はたやすいことであろう。
 なお、幣原もこのマッカーサーの言葉に同調している場合もあるが、これも議会で「憲法は日本製」という建て前に固執してきたのと同じ理由によるものと思われる。彼は真実を公に語ることのできる独立復帰を待たずに、1951年死亡している。
 幣原の身辺の人には、“幣原発案説”を否認する人は多く、幣原喜重郎の子息・道太郎(元独協大学教授)にも、このことを強く否定したくわしい論稿がある。(『日本国憲法の批判的研究』泰流社所収)


http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html#c119

[政治・選挙・NHK204] 与党のヘイトスピーチ規制法で「米軍出て行け」も差別に!?法案の内容を巡って賛否両論! 赤かぶ
12. 2017年2月08日 23:10:13 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[8]
日本の目覚め速報

民進党・有田芳生氏「卑怯なネトウヨをゴキブリ呼ばわりするのはヘイトスピーチではない」

2017年02月08日
お花畑
http://nihonmezame.blog.jp/archives/12086298.html(抜粋)


1: 動物園φ ★@ 2017/02/07(火) 03:10:53.54 ID:CAP_USER
有田芳生 認証済みアカウント@aritayoshifu
たとえば父親が子供に「出て行け」と怒鳴ることがあったり、匿名卑怯なネトウヨを、
わいてでてくる「ゴキブリ」と呼んでも、それは罵倒語ではあってもヘイトスピーチ
ではありません。法律の文脈が核心的精神なのです。法務省は歪んだ見解が流れないためにも、
もう少し丁寧に説明した方がいいでしょう。

https://twitter.com/aritayoshifu/status/828564221784776704


3: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:12:16.52 ID:PwxOlTZw

シンスゴ以下


9: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:16:04.58 ID:AmtGpZsQ

●そういやネクスト法務大臣だったなw


255: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 07:55:17.41 ID:ROg8D7bh

>>9
●今の法務省のクソどもとは気が合いそうだけどな


14: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:17:47.87 ID:nnnrqENx

●ヨシフってパン君に似てるよね ☚(ズバリ!!)
 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

18: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:19:42.91 ID:mqWmFBhc

●詭弁


20: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:20:20.39 ID:uyp7wqRW

●在日米軍家族に対する出てけはどういうこじつけで肯定するんだか。


22: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:20:48.18 ID:I1mo6cZs

法律をダブスタで解釈するな。法の下に平等であるはずだ


25: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:23:14.41 ID:JV4z159D

卑怯者(たまたまた朝鮮人)にゴキブリというのは罵倒語であってヘイトスピーチではない。
ってことでいいね?


26: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:23:52.16 ID:8mNnJTK5

●「ネトウヨ」という蔑視語を使う時点でレイシストなのは明らか
こんなやつ当選させるなよ


55: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:49:04.13 ID:aYYf29xE

さすがに民進党にメール送ったわ
●国民を罵倒しても良いって頭おかしいだろ

●そもそも罵倒=ヘイトじゃねぇのか?
こいつ本物の馬鹿だろ


64: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:55:25.32 ID:2L15oK14

守るべきものは朝鮮人。敵は日本人。
どこの国の国会議員だよw


65: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:55:55.03 ID:2Mru/Op8

そもそも、自分の気に入らない奴を何でもかんでもネトウヨネトウヨいう方がよっぽどヘイトスピーチだとおもうのですがw


68: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 03:58:26.20 ID:1E94uYi3

右でも左でも二重基準で語る奴は信用に値しない


72: (´・ω・`)(`ハ´  )さん@ 2017/02/07(火) 04:01:10.97 ID:4b6n+Ubq

ほんと民進党ってくそだわww
ネクスト法務大臣wwwwww

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ガジェット通信

民進党・有田芳生ネクスト法務大臣 「ネトウヨを『ゴキブリ』と呼んでもヘイトスピーチではない」とツイートし物議

DATE:2017.02.06 23:45BY:Taka
http://getnews.jp/archives/1621545


http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/913.html#c12

[ペンネーム登録待ち板6]     社民党・吉田党首と福島副党首、新年のメッセージ ! 青木吉太郎
1. 2017年2月08日 23:16:53 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[9]

モナニュース
2017年02月08日22:03


福島みずほ「みずほ塾を始めます。講師の辛淑玉と一緒に勉強しましょう!」

カテゴリ ネットウォッチ政治
http://mona-news.com/archives/69217589.html


http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/7386.html#c1

[原発・フッ素45] インフルエンザで急死する人が増えている 魑魅魍魎男
86. 2017年2月08日 23:35:56 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[10]
NEWSまとめもりー

2017.2.8
121コメント

【訃報】エビ中・松野莉奈(18)が死去…死因は病気?病名を2ch民が推測した結果…(画像あり)
http://www.akb48matomemory.com/archives/1064228579.html(抜粋)


9: 2017/02/08(水) 15:38:34.06 ID:3kaGA2LL0

ウイルス性急性脳症って書いてあるで


2017年2月8日死去。前日2月7日開催のコンサートを体調不良のため出演せず自宅で療養していたが、8日午前5時頃に両親が異変に気づき救急搬送され、病院で死亡が確認された[3]。病死(ウイルス性急性脳症)と見られ、死去直前のインスタグラムには家族旅行の様子が書かれていた[6]。

wikipediaより引用。現在は削除されているがソースなし。


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そくにゅー

2017.02.08未分類

ウイルス性急性脳症とは?松野莉奈の死因でインフルエンザも原因か?
http://sokunew.net/6023.html(抜粋)


亡くなったアイドルの子ウイルス性急性脳症だったのね。
インフルの時に解熱剤飲むとインフルエンザ脳症になることがあるらしい。
私も先日、頭痛で薬飲んだ後に熱があるのに気付いて飲むのやめた。
お医者さんも「診断されるまで飲まない方が懸命です。」って言ってた。
皆さまもお気をつけて。

— tama (@tama_100) 2017年2月8日


まっつん@えび垢 ‎@5stars_abc

18歳で亡くなったエビ中の子、インフルエンザから併発した急性脳症が原因なの?
インフルエンザのときに市販の解熱剤は絶対ダメだよ…
医者か薬剤師がちゃんと教えてあげようよ…

2017年2月8日 15:50

りょっくん◇ ‎@orange_no13

ウイルス性急性脳症か…インフルの時とかに風邪の薬とか頭痛薬とか飲みまくるとなるらしいね!
俺もインフルのときにパブロンとかバファリンとかロキソニンとかルルとか飲みまくってたから危なかったな

2017年2月8日 15:50


そら@ ‎@1karaage4

エビ中の子の死因がインフルエンザが原因の急性ウイルス性脳症と聞いて恐怖しかない。
この時期風邪ひいたらまずインフルを疑えってこの間お医者さんにも言われた。
インフルの時に解熱剤(市販の風邪薬)飲むと急性脳症になるらしい。
風邪ひいたと思ったらまずは病院に行きましょうね…(><)

2017年2月8日 15:48



http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/103.html#c86

[経世済民91] 話題の書『人口激減』著者・毛受敏浩氏が語る 「人口激減国家・日本は移民を受け入れるしかない」(現代ビジネス) 赤かぶ
21. 2017年2月09日 00:56:59 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[11]
【高槻殺人事件!】在日だった為報道しない自由発動!「金浩二=渡利浩二(32)=山田浩二(45) !」星野凌斗くんと平田奈津美さん殺害遺棄

2015年08月22日
http://treasonnews.com/archives/46006154.html
(Internet Explorer ではこのページは表示できません)

        ↑

>>20に貼ったヤツもう削除されてるよ。まだそんな昔でもないのに。

「多文化共生」は如何にも美しげな表現だが、現実には、郷に入っても郷に従わない種類の野蛮な外国人の我儘を通して、やりたい放題やらせる「他文化強制」のことだよね。
ドイツでも北欧でも悲惨な形で破たんしているのに、何で日本でやらなくちゃいけないんだよ?!何の義理で罰ゲームやらされんだよ?
そんなバカげたことを本気でやってたら、いずれ本末転倒の主客転倒になるのは目に見えている。
この国は日本人のものだ。外国人がこの国を愛するのは勝手だが、侵害するのは絶対許さん。
「文化は自由であるべきです」とかNHK桑○(?)が抜かしてたが、冗談じゃない。「多文化共生だからイスラム系の名誉殺人だって受け入れろ」という意味にもなるって自覚してるんだろうか?

文化と言えば、日本は昔からチャンポン文化だが、それは他国から強制・強要されたものではない。
良いと思ったもの、気に入ったものを自分たちの意思で取り入れただけだ。
そして、海外へ移民した日本人は、誠実に働きその国に貢献し素直に馴染んで同化した。
どこの国でも日系人は信用を勝ち取るために一生懸命尽くした。今現在もそうだ。
(日系ペルー人で天文台を作った人のドキュメント番組を見たことがある)
それが日本人だ。
お世話になってる外国でだよ?宗教上の理由を盾に「あれは無理、これは駄目」だの、我儘を言って自分の考えをゴリ押ししたりするような者が日本人に居るわけがない。
相手の立場に立ってものを考え行動するから日本人は世界中から信用される。
しかし、そこが外国人に付け込まれる部分であることは確かだ。
今までお人よし過ぎて散々やられてきた日本人と日本政府は、もっと自国と自国民の立場を大事にしなくてはならない。
GHQ自虐史観から脱却して、もっと強い国民になる必要がある。
「あと20年したら日本と言う国は無くなるだろう」ってか?なわけないわ、馬鹿たれがっ。
しかし、今の危うい祖国・日本の状態を知ったら、日系人の高齢者の皆さんはさぞ悲しいことだろうと思うよ。
日本人魂は死ぬまで大切にしてるに違いないから。

__________________________________________________


保守速報

日本在住のイスラム教徒の子どもがハラール非対応給食に苦慮→学校側に配慮求める
2017年02月08日22:00 | カテゴリ:在日外国人宗教・文化食生活
http://hosyusokuhou.jp/archives/48784331.html(究極のコメント抜粋)


1: ボマイェ(catv?) [US] 2017/02/08(水) 11:48:52.31 ID:NMwo5Epg0


静岡文化芸術大主催の多文化子ども教育フォーラムが4日、浜松市中区の同大で開かれ、静岡県多文化共生審議会委員で、インドネシア出身の***・****・****さん(39)が講演した。県内のイスラム教徒(ムスリム)への調査を基に、ムスリムの子どもたちが学校生活で給食や礼拝などに苦慮している現状を報告。

「ムスリムを取り巻く問題改善のきっかけになれば」と訴えた。調査は昨年11月、県内在住の同国人ら26家族を対象に、学校生活や職場で困っていること、対応策などを尋ね、実態を初めて公表。

「ハラール対応」ではない学校給食に多くの保護者が悩んでいる様子が浮かび上がった。大半が毎日弁当持参か、豚肉使用のメニュー時におかずを持参する対応を取っていて、「給食は食べるが豚肉は残す」ように子どもに指示している家庭もあった。

学校や職場で、お祈りや断食、女性が頭にかぶる「ヒジャブ」を禁止された例や、侮蔑の言葉を投げ掛けられた体験談も示された。エフィさんは、ハラール対応の給食を出す福岡県内の私立保育園や金曜日の礼拝を例外的に認める浜松市内の学校などを紹介し、 「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」と理解を求めた。

http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/326523.html


2: 栓抜き攻撃(愛媛県) [RO] 2017/02/08(水) 11:50:19.11 ID:Bl6ZcMLr0

>「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」
>と理解を求めた。

●お前が柔軟な対応をしろ


18: 32文ロケット砲(茸) [GB] 2017/02/08(水) 11:52:41.15 ID:fSpaS5IT0

>>2
●で終わってた

http://www.asyura2.com/14/hasan91/msg/597.html#c21

[国際16] 続く「反トランプ」デモ、仕掛け人はジョージ・ソロス?(週刊新潮) 赤かぶ
3. 2017年2月09日 03:45:30 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[12]
NWO偽旗・心理作戦リサーチ

つづき: ソロスの人工芝、日本の工作員の洗脳プロパガンダ

アメリカ情勢  2017/1/25(水) 午後 2:31
http://blogs.yahoo.co.jp/sayonarakkk_0627/34475706.html?__ysp=44K944Ot44K544Gu54qs(部分抜粋)

SHOTT‏@SHOTT2012
Following
SHOTT Retweeted CatNA

●自分たちは何不自由ないぬくぬくした生活をしながら「ただ煽ってるだけ」ですからね。


(上智大教授・中野晃一氏 朝日の記事を讃えるツイッター文と紙面画像)

(略)

●1億円使って、特定宗教/民族と思わしき売名/売国目的の若者を集めてやっておきながら、「若い人ががんばってるからおじさんたちもがんばろう!」とお決まりのセリフを吐くイエズス会学者。なぜ毎回同じことしか言わないの?しつこい。


さやまももこ@護国猫神社@Tenku_Shoka
●「ツッコミ所ありすぎて笑う。 日本で反トランプデモする意味ある? 韓国行ってパククネ退陣デモしてる人達のお仲間か。 沖縄米軍基地でデモしてる中国韓国人のお仲間か。 他国に口出しすることか?」


●日本で反トランプデモする理由:この人たちがアメリカ政府/イエズス会/フリーメーソンの犬だからですよ。●奥田は選挙前にヒラリーの応援事務所に行けるほどの特別なご身分です。●旅費も全部出してもらったのでしょう。そして会計報告は虚偽でもOK。

CatNA‏@CatNewsAgency

●シールズの親玉・中野晃一教授が、朝日新聞の記事に大喜び。何も知らない子供たちを使ったこの種の政治手法は、その子たちのその後の人生を破壊する。子供の影に隠れて運動を操っているのは、太った薄汚いオッサンどもだというのが実態。

CATさんに言いたいのは、この工作員たちは、報酬をもらっている成人であり、自分の判断でやっているから責任があるということです。「何も知らない騙された子供たち」などという被害者ではない。この若者たちも「薄汚い」ということ。

(略)

トランプが「女性器を掴んだ」といっていたとかいうトランプテープのネタでデモ。

●こんなことどころじゃないですよね、ピザゲートの犯罪者たちがやっているのは、子供のレイプと殺人ですよ。ヒラリーが何百人も殺したことはガン無視ですか?

●まるでジュリアン・アサンジがいたころのWikiリークスのリークがなかったかのように振る舞い、腐敗追及を無効化しようとしているのだろう。

(略)

BUSTED !George Soros links with terrorists and suicide bombings "Foundations of Betrayal" by Phil Kent
►Now funding fake activists
●ソロスが資金を提供するイスラム過激派グループは、テロリストや自爆テロリスト。 ソロスは真にアメリカを憎んでおり、「裏切りの財団」を世界中に設立。今は、人工芝活動家に資金投入。

(略)

●「街に武装警備隊がいるとき、あなたは自分の国が「多文化」になったことを知る」(物騒な写真)

●これはヒラリーやソロスがやった結果じゃないですか?


悲報:ドイツでも真理省&思想警察


私がアメリカ人の動画に感化され、絶対自分を検閲しないぞと決心した矢先、ドイツで「真理省」確立のニュースが。


Germany Unleashes New 'Ministry Of Truth' | Zero Hedge

http://www.zerohedge.com/news/2017-01-24/germany-unleashes-new-ministry-truth


恐ろしい内容なので、具体的にはどんな法律なのか、現時点では詳しく読んでないですけど。


●国民主権を守ろうとする人たちを、ポピュリスト、右翼などと呼び、大企業に右翼のメディアBreitbartをブラックリストに入れさせ、ボイコットさせることで、検閲し、言論を弾圧するみたいだ。

●「ブライトバートを人種差別者、性差別者、外国人恐怖症、反ユダヤ人、イスラム教徒恐怖症、ヘイトサイト」などとラベルを貼り

"racist", "sexist", "xenophobic", "anti-Semitic" and "Islamophobic", and a "hate site".

●「右翼ガー」で切り捨てる。

"The Trend of Denouncing People as Right-Wingers"


As in communist dictatorships, the more obvious the failings of the government, the more aggressively the establishment attacks those who speak out about them.

●共産独裁主義体制に見られるように、政府の失政が目に見えて明らかになればなるほど、エリート層は政府の批判の声を上げる者を攻撃する。


●私もやられました。政府批判を「ヘイト」と言えば簡単ですね。
これじゃエリートはいくらでも金盗めるね。


 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
●日本でも見事に連動。フィクサーが同じだからですか?

(略)


「誰もあなたに自由を与えることはできない。

 誰もあなたに平等や公平や、何も与えることはできない。

●あなたが人間なら、自分で奪い取れ。」

     − マルコムX


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おっや〜?

「NWO偽旗・心理作戦リサーチ」さんのピザゲート写真集のURLが貼れないわ。
ったく・・予想通りの展開で呆れた。常に監視してやがる。
だ・か・ら、本当なんだろうよ。ピザ屋に乱入した武装男が俳優だろうが、ニューズウィークやBBCが河馬王が、比良李ー夫妻他が超編隊なのは。(オバマは違うだろうがね)
そんなやつらの手下が、似非リベラルやらスペッチ一味やらイエズス会系狂授かい。

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『メディアの権力』を監視する

2016年08月04日19:49

シールズの親玉・中野晃一教授の暗躍
http://blog.livedoor.jp/catnewsagency/archives/9065845.html

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http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/613.html#c3

[国際16] 続く「反トランプ」デモ、仕掛け人はジョージ・ソロス?(週刊新潮) 赤かぶ
4. 2017年2月09日 03:47:09 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[13]

これ
http://blogs.yahoo.co.jp/sayonarakkk_0627/34394830.html?__ysp=44OU44K244Ky44O844OI44Go44K944Ot44K5
http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/613.html#c4
[国際16] 続く「反トランプ」デモ、仕掛け人はジョージ・ソロス?(週刊新潮) 赤かぶ
5. 2017年2月09日 03:48:56 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[14]

これも
http://blogs.yahoo.co.jp/sayonarakkk_0627
http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/613.html#c5
[政治・選挙・NHK217] 「狙撃兵 軽々しい真珠湾慰霊 :長周新聞」  赤かぶ
7. 2017年2月09日 04:32:58 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[15]

■高橋正二先生講演録■


(本講演録のテープ起こしは、「正気煥発掲示板」に集う、
松五郎さん、トモケンさん、UNOさんからご協力いただきました。)

「想い起す十二月八日―語り伝えておきたいこと」
平成13年12月8日 山形県民会館
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/syoji.htm(全文転載)

● 高橋 正二(たかはし しょうじ)先生略歴 ●

 大正2年山形県川西町大塚に生まれる。長井中学を経て陸軍士官学校・陸軍大学・明治薬専(現明治薬大)卒。薬剤師。歩兵聯隊中隊長・南方総軍参媒・大本営参謀等歴任。
 学校法人明治薬科大学元理事長。元(社)日本私立薬科大学協会常務理事。元薬剤師養成問題検討委員会委員(厚生省)。
元東京世田谷ロータリークラブ会長。(財)青少年交流振興協会理事。日韓・ソ・アジア・友交協力会会長。世田谷偕行会・世田谷新郷友会名誉会長。世田谷郷土大学学長。
 世田谷山形県人会会長・山形県人東京連合会副会長。
*   *   *   *   *   *
 南方総軍情報参謀としてレイテ入り、乗った魚雷艇が撃沈されて十数時間泳ぎ、辛くも生還した体験は、大岡昇平の代表作『レイテ戦記』の中で印象的に取り上げられている。(第十七章「脊梁山脈」)
 終戦時、原爆投下直後の広島を視察。また有末機関の一員としてマッカーサーを厚木飛行場に出迎えられたほか、ミズーリ艦上降伏文書調印式の事務方を務められた。
 三笠宮殿下とは陸軍士官学校で御同期(48期)。
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 高橋でございます。 私は山形県東置賜郡川西町大字大塚出身でございます。大塚尋常高等小学校から長井中学を昭和7年に卒業致しました。昭和7年といいますと、五・一五事件のあった年でございます。五・一五事件の年に陸軍士官学校に入学しまして、二・二六事件で卒業致しました。私の波乱の人生の第一歩がその辺からあったと思います(笑)。
冗談はさておきまして、まずもって、このたびの敬宮愛子内親王殿下のご誕生を心からお慶び申し上げ、皇室のご繁栄、同時に我が国家の繁栄を皆様と一緒にお慶び申し上げたいと思います。
今日は、前川西町長の横澤先生はじめ委員の皆様方の大変なご尽力によりまして、私が久方ぶりでこの郷里を訪問させて頂き、そして、お話を申し上げる機会を与えて頂きました事について大変光栄に思っております。何しろ旧い話に触れますけれども、私が只今から申し上げます事は、日本の近現代史の一端でございまして、嘘偽りのない事を私は語り部として申し上げたいと思います。したがいまして、なぜそんなバカな事を、なぜそんな様な事をとお気づきの点もたくさんおありと思いますけれども、当時としての出来るだけの事実を申し上げますので、そういったご批判等はどうぞ皆様方の方で充分やって下さい。私からは、なるべく史実に忠実にお話を申し上げるつもりでございます。

●なぜ大東亜戦争は起こったか

今日は十二月八日、六十年前の大東亜戦争勃発の日でございますから、まず最初に、なぜ大東亜戦争が起こったのかという事を一通りお話を申し上げたいと思います。大東亜戦争は、真珠湾の奇襲から始まったかの如くお考えの方もおありでしょうけれども、その辺からお話を申し上げたいんです。大東亜戦争の始まりは、決して真珠湾の、いわゆる騙し討ちじゃないんです。もうそれからずーーっと昔から、この宿命が仕組まれておりました。端的に言いますと、アメリカの謀略です。アメリカの謀略によって大東亜戦争が起こったのだと、いう結論から先に申し上げておきましょう。

◇アメリカの謀略

アメリカの建国

それにはまず、アメリカという国がどうやって興ったのかということから始めます。
アメリカの国は、今からたった二百数年前に出来たのです。日本は二千六百六十二年になりますが、アメリカができたのは二百年余り前です。イギリスのピルグリムファーザーズという宗教団体のいわゆる清教徒が、アメリカの国をつくったんです。どうやってつくったかといいますとまずひとつは、インディアンを一万名以上も殺した上、残ったインディアンは荒廃した土地に追っ払っちゃった。第二番目は、アフリカから約一万名以上の奴隷をね、お金で買ってきてその労務に服させた。これで出来たのがアメリカの国なんです。それが歴代の大統領は聖書の上に手を置いてね、「我がアメリカは神の創り賜うた国である」、こう言うとるんですよ(笑)。これが神様が創った国ですか?


アメリカの西進政策

 昔、セオドア・ルーズベルトという大統領がいました。大東亜戦争の時にはフランクリン・ルーズベルト。ルーズベルトが二人おりますから、ごっちゃにならないように。このセオドア・ルーズベルトが海軍次官補の時代に、アメリカの海軍大学にアルフレッド・マハンという教授がいました。このマハンという教授は後に海軍大学の学長になる男なんですが、彼がアメリカの政策戦略の大綱についての本を書いています。それによりますと、アメリカは大海軍国をつくらねばならないということで、次の三つの事を、彼は提唱しています。
その第一は、世界各国に植民地をつくれ。第二番目はその植民地に海軍基地をつくれ。そうして貿易によって繁栄を願いながら、結局は中国が目標だよと、こういう事です。このマハンの考えに、後の大統領である当時の海軍次官補セオドア・ルーズベルトは非常に共鳴をして支援をしたわけです。アメリカの国家政略というのは、だいたいこの方針で今もずーっと続いてます。狙いは中国です。現在もいかに中国を彼らが狙っているかということをまず頭においていただきたい。


対メキシコ謀略

そしてまた、建国の時にインディアンを殺し、奴隷を買ってきて労務に服させて出来たアメリカには、その同じ魂胆がいたるところに引き継がれています。欺瞞と謀略によって次々と、土地を拡げていったその二、三の例を申しますと、まず、メキシコ。
メキシコの州にテキサスというのがありました。入植者であるテキサス人は独立を求めてアラモの砦に拠って叛乱を興したわけですが、テキサス共和国を宣言しようとする寸前にメキシコ軍にやられてしまいました。それを狙ったアメリカは、メキシコ軍は不埒な行動をとってアラモの砦をやったんだというような事にかこつけて、兵隊を出してメキシコ軍を追っ払ってしまった。そしてテキサス州を自分のものにしまいました。これが彼らの手です。同時にカリフォルニア州もこの手で取ってしまいました。


対ハワイ謀略―編入

次は日本と馴染みの深いハワイです。ハワイも彼らの謀略で取ってしまったのです。ちょっと内容を簡単に申しますと、カラカウアという国王がおりました。ハワイはもう独立国だったのです。ところがアメリカのいろんな手が延びてくるので、なんとかしなければというので、この国王がヨーロッパ旅行の途中に日本に立ち寄った。ハワイの将来を救ってくれるのは日本以外には無いというので、当時の明治天皇陛下にお願いをして、日本の皇族、宮様をどなたか将来女王になるべき私の娘のお婿さんに頂戴したいと(笑)こういうこと言ってきたのです。あっちの王家からお婿さんを取ったりお嫁さんを貰ったりするという事は、ヨーロッパではもう日常茶飯の事です。そこでハワイの王様が、アメリカがだんだん自分のところに押し寄せて来るという心配の末、日本に助けてもらう以外には無いと明治天皇陛下にお願いをしたわけです。日本の宮家からお婿さんを貰ってそのお婿さんに将来ハワイ王様になって欲しいという、もうほんとうに切実なる願いです。しかしながら日本としては、そう簡単には行きません。明治天皇陛下は、もの静かにお断りをなされた。これは当然です。
一方アメリカはなかなか手を緩めない。とうとうハワイに来て、なんだかんだ言って、アメリカの駐ハワイ大使が権力でもって憲法改正をしてしまった。ハワイの憲法改正は、今考えてみると、日本の現在の憲法とよく似ている点があります。どういうことかといいますと、ハワイの国王は象徴として国政に携わる。それ以上の権限は与えられない。大臣のすげ替えは、議会の承認を受けなければ国王はやってはいけない。そして最後に、ハワイの選挙は、お金持ちと、アジア系の者を除いた者で選挙をする。こういうことなんです。そうしますと、当時のハワイなんていうのは貧乏人ばかりですから、ハワイの民衆は国会議員にはなれない。アジア系の者を排除するという事は、当時40パーセントもいた日本からの移民日本人も議員にはなれないということです。そうしたら(笑)、国会議員は結局アメリカ人だけじゃないですか。アメリカ人が勝手にやった事に国王はサインだけして拒否権はない。国王は勝手に大臣をすげ替えちゃいけない。今の小泉総理が、田中外務大臣をすげ替えるかどうかなんちゅうどころじゃないんですよね。そういう憲法を押し付けた。そしてひどいことに、次の王女が即位に就いた後はとうとうこれを追っ払って、それでハワイを自分の州に編入してしまったのです。これがアメリカのやりかたです。


対キューバ謀略

もともとキューバはスペインの領地でした。キューバがスペインから独立したての時に、ちょうどアメリカで新しく作った軍艦メイン号がハバナの港で爆発、沈没した。それをアメリカは、これはお前たちがやったんだという口実で、兵隊を送って、結局キューバを自分のものにしてしまった。しかもその軍艦の爆破・炎上というのは、明らかにアメリカの仕業であったということになっております。軍艦一隻を犠牲にしてキューバを自分のものにした。パールハーバーを犠牲にして、アメリカの国家の世論をあげて大東亜戦争を始めたと似てるでしょう?そんなこと平気なんですよ。


パナマ運河の利権獲得

パナマ運河。アメリカは、大西洋と太平洋を繋ぐあのパナマ運河が計画されたという事を知ると、なんのかんの言いがかりをつけ、パナマの反政府の民衆を焚きつけて反乱を起こさせようとごちゃごちゃさせる。そこへ体よく、これを仲裁をするのだと言って、兵隊を送って、結局パナマという共和国をつくったその代償に、パナマ運河のあの領域の土地の権利を取った。これは大変ですよ。あのパナマ運河の土地を取るんです。うまい事考えるでしょ?これもアメリカの手口なんです。


対フィリッピン謀略―併合

さあ今度は、西の方に、中国に向かっていくためにじゃまになるのは日本です。日本をどうするか。まだ日本はちょっと手強い。そこでフィリッピンに目をつけた。当時フィリッピンは、アギナルド将軍がスペインと戦争をしていました。アメリカはこれ幸いとフィリッピンに口出しをして、そのアギナルド将軍を応援した。それでスペインを負かしてしまった。そこまではまあまあとしても、それから先がいけない。スペインを撃退した途端にくるりと手を返して、今まで支援、応援していたアギナルド将軍を罵詈讒謗(ばりざんぼう)、そのあら捜しをしてとうとうこれを追っ払ってフィリッピンを取ってしまったのです。これがアメリカの手口なんです。
まあそのほか申し上げる事もたくさんございますけれども、だいたいそんなことで、アメリカが過去からどういう手口でどんどん自分の勢力を西へ西へと拡張して来たかという一端がお解りと思います。

◇対日戦略は何か

ペリーの砲艦外交


さて今度は日本に対してはどうしようか、ということです。問題はこれからです。
 まず四杯の軍艦をつれてペリーが浦賀に来ました。これは武力外交です。この時の大統領はバルチモア大統領です。ペリーはバルチモア大統領の親書を持って日本の幕府に迫ってきたのです。もし言うことを聞かなければ、今回はたった四杯の軍艦だけれども、来年は五十隻の持ってくるよ。戦争も辞さないぞという脅し文句で日本の幕府に迫りました。日本の幕府としてはびっくり仰天しましたが、これにどうしても従わざるをえない状況がありました。その結果鎖国から開国になったわけで、よかったかも知れませんけれど、とにかく日本に対する出方はまずペリーの四隻による砲艦外交、武力外交です。

当時アメリカは二十隻ぐらいしか軍艦を持ってはいませんでした。それなのに、来年は五十隻持ってくるぞと脅かしたのです。そしてその時にペリーは“白旗”をお土産に持って来て幕府に渡した。われわれと戦ったら勝つわけがない、この白旗を持って降参して来いというようなことを言ったということですが、これに対して今、歴史家が「そんなことは無かったんだ」というような反論をしている人も居るようですけれども、とにかくそういう情勢であったのです。


対日忌避政策への変貌

 アメリカは日露戦争までは非常に親日的でした。それはなぜかと言いますと、非常に癪に触るロシアと対峙していたアメリカにとって、幸いなるかな、小国日本がロシアに対して宣戦布告をしてくれた。「これはもっけの幸い」といって日本を応援してくれたわけです。幸いにして日本は日露戦争には勝った。そのポーツマスの講和条件をセオドア・ルーズベルト大統領が日本に有利に仲介してくれた。このポーツマス条約で、それまではロシアにあった満州における権益を日本側がとったわけです。ところが、それからが大変なんです。タフト大統領に代わった。非常に親日的な態度を取りながら応援してくれたセオドア・ルーズベルトからタフト大統領になった途端に手の平を返すようになった。なぜかと言いますと、日本は満州の権益を手に入れたということはアメリカにとっては大変困る。ひとつは中国がよろしくない。今考えますと、大東亜戦争はもちろんですけれども、日清戦争以後いろんな点で中国が種を蒔いているのです。なぜかと言いますと、せっかく満州におけるロシアの勢力を日本が追っ払ってくれたのですから、中国、当時の清国は日本に感謝をしてしかるべきなのです。ところが中国の後ろにはアメリカとイギリスがあって、これをけしかけて、反対にこのタフト大統領は日本に対して中国に謀反を起こさせた。それで満州における鉄道の利権をアメリカは金で買おうと日本政府に持ち込んだ。日露戦争でトコトン貧乏、借金だらけの日本国としては満州国の利権中の鉄道をアメリカが買ってくれるなら、こんないいことはない、という訳で政府は朝議一決、これを売ることに決めた。その途端にアメリカで講和条約を結びに行って、やっと任務を終えた小村寿太郎が帰って来た。そのことを聞いて幾百万という日本の同胞が血を流して購った満州国の権益を金で売るとは何事ぞと言うので、カッカと怒りましてとうとうこの小村寿太郎の意見に日本政府も負けまして、せっかくアメリカと満州の鉄道の権利を売買しようとして、もう、仕掛けてもう一歩というところで小村寿太郎のためにこれをキャンセルさせられてしまった。面白くないのはアメリカです。その恨みが残っているわけです。

 それからというものは、アメリカは手を変え品を変え日本に対してあらゆる妨害を始めました。
そのひとつの例は、サフランシスコの教育委員会が、当時その地にあった公立学校から日本の子供たちをしめ出したことです。やがて日本からの移民を禁止しました。移民禁止法を作って日本人はアメリカにも移民させない。さらに関税をベラボウに高くもしました。それやこれやでそれからなお、ペリーが浦賀に来た時はたった四杯の軍艦でしたが、これは黒船でした。見たところ黒いから黒船です。今度はこの時代になると、アメリカの大西洋艦隊が十六隻の軍艦をもって、日本の近海に来て威嚇行動をやった。これはペリーの黒船事件に対して「白船事件」と称しております。黒船は四杯でしたが、十六杯の軍艦で日本の近海に来て、アメリカの大西洋艦隊が射撃こそしませんでしたが、威嚇する行動をとったのです。


国際連盟の脱退

 つぎに、ウィルソンという大統領の代になりますと国際連盟というものをつくりました。今の国連とは違います。国際連盟をつくっておきながら、アメリカはこれに正式に加入はしていない。ただ、つくって偉そうに諸国に威張っていたのです。
第一次大戦後の1919年、国際連盟が提案されたパリ講和会議で、日本は人種差別をなくそうという提案をしました。その背景には、先に申しました日本人へのアメリカの人種差別があるわけです。この提案には大多数の国は賛成したのです。それで決まったかと思ったらそうじゃなかった。ウィルソン大統領は議長の権限をもってこれを否決してしまいました。こんなことってありますか。出だしがこうでしたので、アメリカは国際連盟には加盟しなかったのです。1933年には日本も満州国否認決議に抗議して国際連盟を脱退します。日本の孤立化がこの辺りから顕著になってまいります。


ABCD包囲網の強化

 それから後、みなさんがご存知のABCDの包囲網です。
アメリカは関税をうんと高いことを吹っかけて来たりなんかして、日本に対して経済的に制限をするようになる。石油はだんだん制限される。石油が制限されると、日本の工業、特に軍需関係では大変なダメージを受けます。そこで日本はその代わりにこの南方の油田地帯に頼らざるを得ないということになって、オランダ政府と交渉を始めたけれども、このオランダというのが後ろにアメリカ、イギリスがついているわけですから、これは全然問題にされなかった。そこで南部仏印ですね。仏領インドシナ、これはフランス総督の権限内でございますから、フランスの出先機関といろいろ交渉して、南部仏印の協定を結んだ。これがまたアメリカとしては非常な痛手です。日本を、石油を制限をして困らせてやろうと思ったところに、日本はこの南方仏領インドシナに行って向こうから石油を取ろうとするのだから、アメリカとしてはいろいろ困ること。そこでアメリカは怒っちゃって、とうとう石油を、輸出を、止めちゃった。ABCDというのはもちろんご承知の如く、Aはアメリカ、Bはブリティッシュ・イギリス、Cはチャイナ・中国、Dはダッチ・オランダ、この四カ国が揃いも揃って談合して、日本をギュウギュウ詰めに経済封鎖をしちゃったのです。これはひとつの宣戦布告と同様ですよ。あとで東京裁判の時、インドのパール判事がこのことをはっきり言っております。この経済封鎖は明らかに宣戦布告だということを言ってくれています。


日英同盟の廃止

 もうひとつの悪いこと。日本とイギリスは日英同盟を結んでおりました。それで日露戦争の時はこの日英同盟のためにどれだけイギリスが日本の味方をし、日本のためにやってくれたかということ。これはアメリカにとってもっての外なんですね。それであの手この手でとうとう日英同盟を廃止させちゃったのです。日本としてはまことにこれは残念ことです。しようがないんですね。

ここでアメリカとしては、ふたつの目的を達したわけです。ひとつは、マハンが西進政略のための最終は中国だよ、と言った。この中国はさっき言いましたように、満州の権益を日本が取り返してくれたにも拘わらず米英の尻押しで日本に反逆をしてきた。日本の中国に対する策略をここで中断している。と同時に日本を孤立化する。こういうことです。これがアメリカの狙いだったのです。

 話は余談になりますが、一昨年でしたか、東条大将の孫さんの東条由布子さん、みなさん方もご存知だと思いますが、東条由布子さんが私のところへ電話をよこしまして、市ケ谷台の東京裁判を開いたあの場所はね、まァ、われわれはいろいろやったんですが駄目になって今縮小されて移転しているんです。あの市ケ谷台の中ですけれども。そこにイギリスのBBC放送から取材に来ていると。東条由布子さんは東条大将のお孫さんだから、ぜひあなたにお会いして現場を見せていただいて、またいろいろとお尋ねしたいと、こういうことなのです。東条由布子さんも困っちゃってね。私は昔の陸軍士官学校ですから、私が南方総軍の参謀を拝命した時に、当時、東条さんは陸軍大臣兼参謀総長であったんです。私は参謀になったという申告をするわけです。そして申告にいきましたら、陸軍大臣室と参謀総長の部屋は隣合わせになっていまして、「ただ今、大臣は陸軍大臣室においでになりますから、参謀長室でしばらくお待ち下さい」。やがて大臣室から出て来られた東条さんが、陸軍大臣の服装と参謀総長の服装が違うんですね。参謀総長は参謀肩章を付けておられるのです。それでこちらに戻って参謀肩章の付いた参謀総長の上着に着替えられ、私とお話された。その部屋が現在は無くなっているのですよね。縮小したために。まァ、そういったことについては私が現場を知っているもんですから、東条由布子さんは私に出て、イギリスのBBC放送の記者と会って説明をしてくれというわけです。で、私が行って会って縷縷(るる)説明しました、最後にそのイギリスのBBC放送の記者が私にこういう質問をしたのです。「大東亜戦争中にイギリスの将兵の捕虜を日本軍は非常に虐待したと聞いている。そのことについてお伺いしたい。」とこう来ましたから、私はカッとなりましてね、「アンタ、今ごろ何故そういう質問をするんですか? われわれは昔の日英同盟の時代に、あなたの国とは非常に親密にしかもお世話になった、その日英同盟のことを思い出し、今仲良くやろうといるではないですか。それに対して今ごろアンタ、そういうことを言って来るなら、私の方から逆に日本の将兵がいかにアンタの国の将校から、兵隊から虐待されたか実例を示して言いましょうな」とこう言ったらBBC放送の記者は黙ってしまった。まァ、とんだところで日英同盟を持ち出しましたけれども、それほど日露戦争時代は日英同盟のお陰であったと、その日英同盟をアメリカのために断ち切られちゃったんだ。


ハルノート無理難題

 いよいよ今度はハル・ノートが出て来る番ですね。
昭和天皇陛下は当時の九月六日の御前会議では最後の最後までが外交手段で、アメリカと何とか話し合いで、戦争を避けたいと。しかしこのようにだんだんやられてきたんではね、もうどうしようも無いと。そこで九月六日ですよ。十月の初めまでに外交交渉をやってやってやり抜いて、それで円満な解決が出来ればよろしいが、もしどうしてもと言うなら、十月一日にまた御前会議で平和か戦争かという話をしようということになったんだ。そこで木戸幸一あたりの意見で、東条なら何とか陸軍を押さえて、天皇陛下がこれほどまでに平和を愛しておられると、陛下の言うことなら東条は何でも聞く男だから、東条を総理大臣にしようじゃないか、ということで東条さんが総理大臣になったんですよ。総理大臣になったから戦(いくさ)をしようと言ったわけではけっして無いんです。東条さんはその時に、陛下の思し召しのとおり、何とか平和にこれをやってのけようという気持ちで首相に就任されたわけです。その時の天皇陛下は、九月六日の御前会議でああいう決定をされたけれども、これをご破算で、新たにここで東条内閣でもって和平の道を何とか拓いてくれよ、という陛下の御意志で、彼はなったわけです。御前会議の決議をね、ここまで変更されて昭和天皇は何とか平和の道は無いかということを。それでアメリカの大使の野村吉三郎大将は海軍の軍人ですから外交は皆目の素人です。それで来栖大使をさらに派遣して、野村大使と来栖大使ふたりでもってやってくれということでふたりの使節をアメリカに送られたわけです。その時の近衛総理は、太平洋上でルーズベルト大統領と和平の話し合いをしようということを持ちかけた。野村大使がそれを向こうのハル国務長官に言うたところが、ケンもホロロにこれを拒否された。日本が、先ほど申しました南部仏印に進駐したというところから、こじれにこじれて、それでハル・ノートが最後に出たわけです。ハル・ノートというのはこれは紛れも無くアメリカの宣戦布告です。それまでも、中国に出していた兵隊のみならず、警察も全部引き上げろとか、南部仏印も引き上げろとか、まァ、いろんなとてもじゃないが、日本にとっては我慢のならんことばかりを言って来たわけです。これは一説によりますと、ソ連のスパイがハル長官の後ろに居て、そういう案を書き立てたという。これはウソか本当か分かりませんが、そういう話すらございます。ソ連の謀略にこれも引っかかったと。それでハル長官はこの「ハル・ノート」という言葉は使って欲しくないと、こう言うた。というのもその背後にソ連のスパイがハル長官を牛耳っておったという、まァ、噂もある位です。当時の日本の外務大臣の東郷外務大臣は軍人じゃありませんよ。外交官の外務大臣ですよ、もちろんね。この東郷外務大臣ですら、ここまで日本はやられたらもう戦争する以外には方法無し、とここまで言われている。


真珠湾の謀略

 それでいよいよ真珠湾になりますが真珠湾は騙まし討ちであったという悪評を日本は持っております。まァ、そう言われればね、仕方ない点もございますが、真珠湾のあの事件の起こる前を見ますとけっしてそうじゃないんです。ルーズベルト大統領、今度はフランクリン・ルーズベルトですが、ルーズベルトは小児マヒですからね。いつも車椅子に乗っておった。そして二回大統領に当選してくる。二回目の大統領当選の公約はアメリカは戦争はしないと。こういう公約のもとに二回目の大統領になっております。ニューヨーク市内でもアメリカは戦争はきらいだ、戦争はしないんだ、と。ある大学へ行っての講演の中で「君たちや君たちの弟をヨーロッパの戦場に送るようなことはしない」ということも言っているわけです。そんなことを言っているルーズベルトがね、ヨーロッパ戦争でイギリスが盛んにアメリカに応援を頼む、頼むと言って来ている。アメリカはイギリスをどうしても困らせたくない。しかしアメリカ本国では戦争をしないと公約している。そこで何とか、アメリカの国民を戦争に向けて納得させる方法、手段は無いかと、それがいつも頭にある。それで思いついたのがマハンの戦略に添って、アメリカがそうやって、だんだんと西進して来て今、日本とぶつかり合っている。これをいい幸いと思って、真珠湾をオトリにしてアメリカの国論を戦争に引き立てていくのがいいということになった。そこであらゆる軍部との会議などにおきましても、何とか日本を先に一発撃たす方法を考えねばいかん、絶えずそればかりを考えている。そして結局はそういう会議をハワイの艦隊司令長官なんかには絶対秘密にしている。ハワイはだから知らないんです。その間にアメリカは日本の外務省の暗号電報は全部解読している。それでユタというヨーロッパ戦争に使った廃艦、軍艦の、もう廃止するような軍艦をまた塗り替えさせてね、それでハワイの沖にそれを浮かべて、擬装をさせて、これに日本が魚雷攻撃か何かにさらそうと思って、オトリ軍艦まで造って準備おさおさ怠り無しにしておる。そこでいよいよ野村吉三郎駐米大使も、もう日本の政府も東郷外務大臣が言ったように戦争をとる以外には方法無しというところまで来ましたので、野村吉三郎大将もあれこれ最後の外交を試みてみたけれども、ハル国務長官は一向に言うことを聞かない。まァ、その内にとうとうパール・ハーバーの奇襲攻撃が始まったわけです。日本からの宣戦布告は約一時間遅れて、野村吉三郎駐米大使からハル国務長官に届いた。ハル国務長官は暗号解読でみんなそんなことは承知です。「私の五十年間の外交生活で、こんな侮辱を受けたことはない。こんなことはとっくに分かっている。帰りなさい」。もうケンもホロロの挨拶であった。


  駐米大使館の失態

 何故遅れたかというのが問題です。 ここをちゃんとお話しておかねばなりませんが、騙し討ちということを甘んじて受けざるを得なかったのは、これは外務省の大なる過ちであった。駐米日本大使館には刻々と日本から暗号電報が送られている。宣戦布告に関する電報は何通かに分けられた最後の第十三通目に、宣戦布告のいよいよ電報が入ることになっていた。その十三通目の電報が入る時に、日本のアメリカ大使館は寺崎英雄という外交官が他へ転出するという、この送別会をやっていた。ワシントンのどっか市内の料理屋でね。そうしてやってる間に第十三通目の暗号電報が行っている。大使館は留守だと。あの暗号電報はね、入ったからといってすぐ見えるもんじゃないんです。暗号を翻訳して日本語にし、日本文からいったん英語に翻訳して、それをタイプに打って清書して、ハル国務長官に持って行く、こういうことです。相当時間を食うんです。居ないんだ、誰も。それで、送別会を終わって帰ってみたら、さあ、大事な宣戦布告の暗号電報が来ている。それをあわてふためいて翻訳をして、タイプを打って清書して、野村大使に持って行ったから、約一時間ほど遅れちゃった。それを野村大使が持って行く途中には、真珠湾攻撃がもう予定通り始まっちゃった。こういうことです。ですからこれはルーズベルトにすればもっけの幸い。日本は騙まし討ちをしたという、こういう口実が出来ちゃったんだ。そのでかしたのは日本の外務省であり、日本の駐米大使館なんだ。これはね、その後、日本の天皇陛下はじめ日本の国民にも何も知らされずに、口を拭っちゃったわけでしょう。その時の責任者は井口という大使館の参事官、奥村という書記官、これらは戦後、吉田内閣になった時に次々と外務次官になっておるんです。責任をとるどころじゃない。このね、乾坤一擲の大東亜戦争を直接火花をつけた真珠湾攻撃の宣戦布告のその電報を、一時間も遅らせたという責任を取っていない。今の外務省の裏金づくりとか何かという比ではないのです。国家の国益を損じ、国益を害し、この位日本が信用を落としたことはありません。


  「リメンバー・パールハーバー」の真相

 以上で、大体、大東亜戦争がどうやって起こったのであろうかというあらましがお分かりいただいたと思います。今日は大東亜戦争勃発六十周年の日にあたりました。このことだけはみなさん、知っておいていただき、ただし真珠湾攻撃が大東亜戦争の勃発であるということは、間違いでございます。それ以前に遡った、今申し上げましたいろんなことが重なり重なって、ついにこの真珠湾。しかも真珠湾攻撃はルーズベルト以下暗号電報ですっかり解読して承知していながら、ハワイの司令官には何にも言わずに、ハワイの基地を犠牲にしてアメリカ国民を「リメンバー・パールハーバー」と言って戦争に駆り立てて欧州戦にイギリスのために参加したと・・・・これが真相でございます。しかもそのその中に中国の問題がからんでおるわけです。大東亜戦争が始まる前にアメリカはいろんな支援を蒋介石にやっておるわけです。ビルマのルートを通じて戦前からいろんな物資、弾薬、兵器を蒋介石に送っておる。シェンノート航空少将を派遣してアメリカの義勇兵と称して航空兵力を向こうに送っておる。技術屋を送って援蒋ルートの補強を努めている。蒋介石の顧問としてアメリカの専門家を送って、日本に対する戦略の指導をしている。それはアメリカが終局の目的である中国をいかにして我が手に入れようかとする魂胆です。これがね、裏に入っているわけです。まァ、大体以上を持ちましてこの大東亜戦争が何故起こったのだろうかということの開戦記念としてのお話を概略説明申し上げました。

●終戦前後の体験から

次は話を変えまして、私の戦地におけるいろいろな体験したことは今日は省略させていただいて、むしろ終戦の前後、実際私が直面し、体験をしたことについてお話を申し上げます。


東京大空襲

私が南方総軍から大本営に転勤しましたのは、終戦の年の三月六日でございました。その日、途中いろいろな目に遭いながら、東京に戻ってきました。その三日後の三月九日、その晩から三月十日の未明にかけて東京の下町付近が大空襲に襲われたわけです。私は南方の戦場でいろんなことを体験してきましたが、何か、その延長線のような気がしてなりませんでした。私は翌朝からすぐ現場に行きましていろいろ調査をし、見たりしましたがまったくこれはね、内地も内地、東京ですよ、その時に亡くなった方は約十万人。負傷した方々が約十五万人。焼けた家は約百万戸。その時焼夷弾を落としに来た敵の飛行機B29は延べ三百五十機、落とした焼夷弾二千トン。これでもって東京一面、火の海どころではない。これは阿鼻叫喚。・・・この状態については詳しくお話を申し上げる時間がございませんが、これを指揮した敵のカーチス・ルメイという当時少将、あとにこれは大将になっている、この男がね、昭和三十九年の秋、日本政府から叙勲の沙汰があって大勲位の勲章をもらってるんです。国際法を犯してまであれだけの日本に被害を与えた敵のルメイ少将、後の大将に対して日本政府が勲一等旭日大大綬章を授けておる。私が衆議院議員会館でお話させていただいた時に、これを国会議員の方々みんなが居並ぶ中で、私は申し上げました。日本政府はなんでこんな男に勲一等を出したのかと。だれがそれに対して栄誉を申し上げなければならないのか。アメリカの言い付けであったでしょうけど、それにしてもね、これほどの国際法違反したことに対してこいうことをやった、これだけをわたしは今日申し上げておきたい。今でもなんか変な人に大勲位がいっておるようですけれども、まァそれどころじゃァないです。まァ日本人同士がやる分には、まァまァ目をつぶってもしようが無いですけれどね。これだけの大犯罪人ですよ。ルメイ少将(は)。


原爆投下直後の広島

 それから八月には広島に原爆が投下されました。私はこの原爆の調査を命じられて、翌日の八月七日から約十日間広島に飛んで、もう、それこそ阿鼻叫喚、朝会った人が昼亡くなる、昼会った人が夕方には死ぬ、夕方に会った人は夜中に亡くなるという、生き残った人にはなるべく多くの方々にお会いしてその体験をお聞きするというなことから始まって、あの原爆ドームを見上げながら、毎日毎日、なんとも名状しがたいあの広島の町を私はうろちょろうろちょろしておりました。

そのいろんなことについても今日は省略いたしますが、一、二例をちょっと申しますと専門的な大本営に対する報告は省略させていただき、ちょっと思い出だしますのは、テレビなどには出てこないことがひとつあります。それはあの炎天下に、毎日毎日亡くなっていかれる方、亡くなった方の死体を収容する人も来れない状況で死臭がふんぷんとしてくる、あの臭いですね、これが日を重ねるにしたがってひどくなってくる。これはテレビには映りません。

昔の日露戦争の時の広島大本営と言いました所が総軍司令部でありました。畑元帥が総司令官でね。総軍司令部は木造なんです。師団司令部はレンガ造りでございました。レンガ造りの方はペシャンコになって、レンガが累々と積み重なってその中に生き埋めになった人が何十人もおるわけですが、それを救出する方法が無い。総軍司令部の木造の建物は、これはですね、ペシャンコにはならないんです。ギューっと傾いて柱との間には隙間がある。その隙間からそれこそ、何十人も這い上がって助かった方がおられました。分かりますか。日本建築の瓦造りと西洋のレンガ造りの建物とではこんなに違うもんかなァというのがひとつの感想でした。

朝鮮の宮様、これは韓国併合の結果、朝鮮の王家も日本の皇族と同じようにされまして、李金禺(金偏に禺)公殿下という私の先輩にあたる方がおられました。第二方面軍の参謀をしておられましたこの方が、朝八時十五分出勤の途中に原爆に遭って亡くなられました。その李金禺公殿下のお付武官をしておった日本の将校、これは責任を負って自決をされております(文責・松五郎注 吉成 弘大佐陸士37期 大分県出身)。

それから川の中から君が代の歌う声が聞こえました。あとで聞きますところによりますと、その子供はまだ小学生で広島市宇品の船舶司令部の参謀長馬場閣下の息子さんでした。当時は少将だった馬場少将が陸軍大学校の教官の時に私はその教えを受けたひとりでございますが、その馬場閣下のご長男が川の中でね、君が代を歌ってそれが最期でした。

いろんな申し上げたいことがあります。お陰で私は約十日間いろいろ居って、触ったりなんかしておりましたので、あとで白血病であるということを診断をうけました。しかし今は何でもないと思っております。原爆の話は申し上げますと、沢山あるんでございますが今日はこの位にしておきます。


厚木飛行場への占領軍進駐

次に占領軍が厚木飛行場に参ることになりました。何故私が厚木の飛行場に行く破目になったかということをまず申し上げておきます。
私は八月七日に広島に行って、八月十六日、終戦に一日遅れて東京に戻ってまいりました。この日に大事な電報が二通来ておったのです。その一通はアメリカ政府から日本の政府および大本営あての電報でございます。簡単に言いますと、マッカーサー司令官を連合国最高司令官に任命をしたから今後はマッカーサー元帥の言うことに従えという意味の電報がひとつ。もうひとつは、当時マッカーサー元帥はフィリッピンのマニラにおりました。マニラからの電報です。降伏文書受領のために必要な将官、ゼネラルを長とする使者をマニラに至急差し出せ。そのためにはかくかくであるという詳細な指令を書いた電報でございます。負け戦は初めてでございますから、大本営は上へ下への大騒ぎ。誰を派遣するかということです。結局は参謀次長の川辺虎四郎中将を団長として差し出すことに決定をいたしました。その随員としては陸軍から通訳を含めて七名、海軍からは六名、外務省関係は一名、こういう連中で行かれたわけですが、その時に私の課長の仲野好雄大佐が私を呼んで、「君はマニラに居ったことがあるし、ご苦労だが団員として行ってくれんか」と。「行け!」という命令じゃないんです。私は、白血病になって、その時は白血病ということは分かりませんでしたが、とにかく広島からね、ヨタヨタして帰ってきたばっかり。体の調子も悪いし、そんな降伏文書の命令受領なんかに行ってたまるかという気持ちもあったし、それで課長の仲野大佐に「他のことなら何でもいたしますから、これだけは勘弁してください」と言ったんです。「そうか」とそこは納得していただきました。


「厚木飛行場」とは一体どこ?

そうして一行は行って帰られたわけですが、帰って来た命令文の中に「進駐軍は陸軍の厚木飛行場に進駐する。よってかくかく・・・」。かくかくとはやはりここでも将官を長とする大本営・政府から代表を出せとこういう命令なんですが、肝心の「厚木飛行場」というのが地図を広げて天眼鏡で探しても見当たらない。ことは一刻を争う。恥を忍んで問い合わせてもらってはじめて、わが海軍最大級の「大和飛行場」であることが判明した。後日彼等の地図を見たら、確かに「大和飛行場」は「厚木飛行場」と印刷されているのを確かめましたが、こんなお笑いの一幕も、当時としては神経を尖らした一大事でした。


陸軍中将有末精三、厚木委員長に任命

さて、また大本営は、誰を派遣するかということでスッタモンダになりました。あれがいいだろう、これがいいだろう、しかし緊急を要する、結局は有末精三中将ということになったのですが、有末中将は元イタリアの駐在武官でムッソリーニと非常に仲がいい。だからアメリカの進駐軍を迎えるには不適任ではないかというような声もあったそうですが、結局は当時の内閣総理大臣、東久邇宮殿下のお声掛かりで有末中将が厚木の飛行場のいわゆる厚木委員と、これは有末機関とも称しておりましたが、厚木委員に任命されることになりました。そこで私の課長の仲野大佐が私を呼んだ。「君はこの前は他のことは何でもすると言うたな」と言うんです。で、僕はピンときたんです。仲野大佐にそのようなことを言われる前に、「ハイ、分かりました。私が参ります」とこうやったわけです。どうせそう言うに決まっていると思ってね。まァ、それで私が有末機関の一員として厚木の飛行場に進駐軍を迎えることになった動機でございます。


進駐軍受入れ準備

そこで最初の向こうの命令はですね、先遣隊百五十名がまず来るんです。それから本隊と一緒にマッカーサーが来る。それでミズーリ号艦上の降伏文書調印式があるわけです。最初の命令は八月二十三日に先遣隊が行くよと。マッカーサーは二十六日、降伏文書の調印式は二十八日だよという命令が来たんです。とてもじゃないがそんなことが間に合うわけがない。そこで河辺団長からマニラのマッカーサー元帥に電報を打って「十日間猶予が欲しい」と。「十日間なんてとんでもない駄目だ。三日間だけ猶予をやろう」と。先遣隊は二十六日、マッカーサーは二十八日、ミズーリ艦上の降伏文書調印式は三十一日だと、こういうことになったのです。二十六日、先遣隊。ところがわれわれがそういう命令をもらって厚木の飛行場に行くことが出来たのは、二十四日の午後なんです。何故か。厚木の飛行場は海軍の小園安名大佐指揮の下に「絶対降伏はしない、マッカーサーが来たら体当たりしてやるんだ」と気勢盛ん。毎日ブンブンブンブン飛んで宣伝ビラは配る、どうにもしようがない。そんなところへ敵が進駐して来ましたらね、アフガニスタンじゃないですが、立場上困るわけですよ。海軍当局は非常にこれを心配して、日夜鎮撫に努めたけれども、言うことを聞かないんです、小園大佐は。それで海軍の高松宮殿下を煩わせましてやっとこれを鎮圧できたのが、二十三日なんです。最初の命令どおり二十三日だったらとても先遣隊がきて貰ったら困った。二十三日にやっとそれが解放されて、二十四日、翌日の午後われわれは飛行場に行きました。二十八日の先遣隊到着まであと二日しかない。とても間に合うわけがない。飛行場に行きましたら、もう電話線は切られ、窓ガラスは壊され、飛行場内のまだ焼け残りの飛行機が燻っておる、戦場の飛行場さながら。水圧がないから便所がみんな糞詰まりになって四周がこれはふんぷんたる臭気。それを有末中将の同期生の鎌田詮一副委員長が先頭になって便所掃除。われわれももちろん一緒に便所掃除。先遣隊が来るについて、そこに寝泊りするのに寝台はどうするか、敷布をどうする、枕はどうする、食事をどうする、こんなことでテンヤワンヤ。そうしたところが、台風が沖縄方面で発生した。これこそ天佑、台風のためにマニラから彼らは一時停止。四十八時間の延期をするという命令が来た。本当にこれは天佑でございました。ここで結局は先遣隊が二十八日、マッカーサーは三十日、ミズ−リ号の降伏文書調印式は九月二日と決定をしたわけです。このためにわれわれの任務を達成できました。


私の任務

私の任務は、私は通信関係を担当することになりまして、ひとつは大和飛行場の中の有線、無線の設備。マッカーサーは厚木の飛行場から横浜やがて東京に来るわけです。ですから厚木の飛行場と横浜、横浜と東京、この有線、無線の設備をする。最後にもうひとつは、アメリカとの放送無線施設ですね。これをやれというのが私の任務でございまして、これを担当しているアメリカはダンという大佐。ダン大佐。ところが、大本営としては何もこんな機材を持っていない。それで私と一緒に行きました当時の逓信省といいましたが、杉山栄蔵という局長さんにすっかりおんぶに抱っこをして逓信省から機材を出してもらってその設備をなんとかやりました。ただ残った問題はアメリカとの対米交渉施設、これは受信の場合はね、みなさんのご家庭のテレビでも何でも簡単な受信機に出来るんですが、放送設備となると非常に高い高度が必要となる。「とてもこれは出来ません」と私はダン大佐に言いましたら、ダン大佐が「あるじゃないか」。「どこにあるんですか」と言うと、地図を開いて厚木のいわゆる大和飛行場の近くに六会(むつあい)というところがある。あの六会に海軍の対空無線施設が、高い塔が立っています。それを彼らがちゃーんと知っているのですね。私は陸軍のことだけしか知らない。海軍のことはほとんど知らなかった。恥ずかしいながらダン大佐に頭を下げて「わかりました」と。それで六会の海軍の施設を利用することになって、何とか切り抜けた次第でございました。


先遣隊到着

  それでいよいよ二十八日に進駐軍の先遣隊約百五十名がやってまいりました。彼らにしてみれば、占領でも、戦いを覚悟して来るわけですよ。ですから飛行場周辺は伊勢原にあった第三十八軍司令官の赤柴八重蔵中将の指揮する部隊で飛行場の周囲を、憲兵隊、海軍、そういう人たちであの周辺を徹底的に検査をしましてね、一軒一軒の家に銃器やいろんなものを隠してないか、不審な者はいないか、テロ事件の今の捜査と同じようなことを当時徹底的にやりました。いよいよ迎えた。迎える時は対空布板と言いましてね、ご承知の方も多いと思いますが、飛行場に飛行機の進入する方向に十字の印をつけるんです。風向きに向かって着陸をするのが通常です。この方向に布板を設けまして、そして私たちは待っていました。ところがやって来ました。この対空布板と反対方向から着陸をして、風を背中に受けて着陸をした。いかに警戒をしておるか。当然、日本はそうするであろうということはもう分かっているわけですよ。その裏をかいて着陸をしてきた。非常に警戒をしてきた。飛行機が着陸しますと、すぐ中からジープがスゥーッと下りてきましてアンテナを出して、対空、戦車相互無線連絡をとりながらです。先遣隊長は大佐で、チャ−ルス・テンチ大佐です。このテンチ大佐が降りてきた。そこで折衝が始まるわけです。(この時の写真はそこにございます。)


マッカーサー元帥到着

途中いろいろなことがございましたが省略しまして、いよいよ三十日はマッカーサーが到着する日でございます。もうそれまでは、徹頭徹尾、寝食を忘れるどころではないが、いろんな困難を押し通して、マッカーサーの出迎えの準備をいたしました。その前にテンチ大佐がマッカーサーからの電報が来たというので示してくれたのは、マッカーサーが到着した時の出迎えは「ジェネラル・アリスエ・オンリー」、「有末中将ひとりだけだ。あとの者は出迎えに及ばず」。われわれはもう、追っぱらわれちゃった。いよいよ到着の寸前になって、またテンチ大佐が「まことに申し訳ないが、有末中将も。ただ今のマッカーサーの電報によって、会見は新聞記者のみ。だから有末中将以下ほかの方たちはどうぞ横浜に先行してください」と言われることになった。後日、有末中将が日本を代表してマッカーサーを出迎えたというような記事が出ておったようですが、これは間違いでございます。マッカーサーがコーンパイプをくわえてタラップを降りてくるようなことは、みんな外人の写真でございまして、有末中将はその時はわれわれと同様に断られて横浜に先行しちゃってるんです。ただ、あの劇的な場面を全世界に報道するために、世界各国の報道陣がズラリと集まって準備をしていたところだけは私どもは見て、そのまま横浜に先行しましたから、その後のことについては私は目撃しておりません。

それで横浜に行きました。マッカーサーも後ほど横浜に来ました。神奈川県庁の二階の応接間を、われわれはお借りして事務所を開いて居ったのです。マッカーサーの宿舎を鈴木九萬という公使、あとでこれはあとで大使になられた方ですが、鈴木九萬さんが、ある日本人の偉い人の別荘を借り受けて、ここをマッカーサーの宿舎に決めておったのです。彼らはそんな手には乗らない。何もこっちは悪いことをしようとは思っていないんですけれども。それで横浜のグランドホテルに陣取ったのです。今でもあのグランドホテル、名前はどうか知りませんが、グランドホテルの三階か四階にマッカーサーの個室が今でも残っているはずでございます。それで彼らの総司令部は横浜の税関。やっと夕方落ち着きました。この世紀の行事の進駐軍を迎えた第一日は何らの血を見ることなくして、無事過ごすことが出来ました。


進駐軍兵士による治安撹乱

 ただその翌日から大変だったのです。まァ、ひとつ言いますとね。一番われわれの頭を悩ましたのは、兵隊たちは日本の婦女子をまるでケダモノ扱いのように、引っ張り込んで強姦ですよ、昼日中から。この訴えがわれわれの機関に毎日来るんです。一日に何件も来るんです。言ってこれない人、泣き寝入りの人もいるんです。親子であの黒人兵たちのために被害を受けた人たちも何組もあるんです。これにはホトホト困りました。負け戦というものはこういうものかなと。それで有末中将はアイケル・バーガー中将、第八軍参謀長のバイアス少将なんかにいくら掛け合っても「まァまァ、もうしばらく我慢しろ。彼らはジャングルの中から校庭のキャンパスに出てきたようなものだから、しばらく我慢してくれ。われわれの方でもよく取り締まる」。こう言いながら、あとが断たない。他のことはさることながら、この問題には非常にわれわれは苦労をいたしましたし、残念無念。


無血進駐成功の原因

 それで、何故にあの世紀の進駐が無血のうちに整斉と行われたかということについて一言申し上げたい。これはこのテンチ大佐が無事その任務を終えて、八月三十一日にアメリカのペンタゴンに栄転して帰られました。准将に進級された。その方が後日、有末中将に対して一冊の本を贈ってくれた。その本はアメリカの陸軍で発行している機関紙「インファントリー・レビュー」という雑誌です。この本を私どもは有末中将から見せていただきました。進駐当時のことを詳しく報告を書かれた最後に、こういうことを書いてあります。
「この進駐が血を見ることなく無事かつ整斉と行われたことは、まったく日本天皇陛下のの然らしむるところで、なかなか降伏を潔しとしない日本の陸海軍を一号令のもとに進駐受け入れに持って行けたのは、何よりもまして大元帥の大命が大きな原点であった」と。
もう、本当にね。彼らは最後の決死の覚悟で上陸してきたわけです。進駐してきたわけですよ。それで無事大任を果たして帰ったが、身命を賭して成功に導いた彼の心底からの言葉だったと思います。


ミズーリ号への使者出迎え

 いよいよミズーリ号の事に入りたいと思います。
ミズーリ号の艦上における降伏文書調印式は九月二日でございます。誰が全権で来るであろうかということは、政府、大本営、又これもね、誰も行きたくないんですよ、そんな所へは。いやあの人がいいでしょう、いやこの人がいいでしょう・・・結局決まりましたのは、全権としては、外務大臣の重光葵、同じく全権参謀総長梅津美冶郎。このお二人に対して陸軍側から三名、海軍側から三名、外務省関係から三名、九名の随員、それに代表が二人、合計十一名が決まったのは、前日の夜でした。しかも当日の朝は、六時に神奈川県庁に到着。しかも秘密裏に来られましたから、同行の新聞記者、カメラマンは一人もいない。我々は玄関でお出迎えをして、それで、我々の事務室となった隣の応接間に全権をご案内してまいりました。ここに全権団のお名前を挙げておきます。


<日本側全権団>
   全権、外務大臣 重光 葵   ( 政 府 代 表 )
      参謀総長 梅津美治郎大将 ( 統 帥 部 代 表 )
   随員 (陸軍側)宮崎 周一中将( 大 本 営 陸 軍 部 )
           永井八津次少将(     〃       )
           杉田 一次大佐(     〃       )
      (海軍側)富岡 定俊少将( 大 本 営 海 軍 部 )
           横山 一郎少将( 外 軍 省 出 仕 )
           柴  勝男大佐( 大 本 営 海 軍 部 )
      (政府側)岡崎 勝男  (終戦連絡中央事務局長)
           加瀬 俊一  (内閣情報局第三部長)
   ″       太田 三郎  (終戦連絡事務局第三部長)

 しばらくしましてからいよいよ、横浜埠頭から横須賀の沖合い十八海里にありましたミズーリ号に全権団が行くわけですが、横浜は海軍基地じゃありませんからね、横須賀なんですよ。横浜にはそういう送り出す船が一隻もないんです(笑)。それで我々としては、どうやって、この全権団を、無事ミズーリ号にお送りする事が出来るかという、またこれが問題なんですね、漁船でやるわけには行かない。相当おりますから。最後にアメリカの厚意によって、あるいは、彼らはそれを承知の上でやったかしれませんが、最終的にアメリカの駆逐艦ランスタウン号というのを一隻出してくれる事になってホッとしたわけです。ランスタウン号は横浜の埠頭に来てくれました。それに代表団が、丸腰ですよ。私は、武装解除で武器を出してからは、軍服を着なかったんです。親父の古い背広を着ておったんですが、日本はね、そういう事がある場合に軍服に軍刀がないのはおかしいでしょ。軍刀を吊らせなかったんですから。梅津参謀総長以下、陸海軍とも全部剣をはずして、ランスタウン号に乗って白波をけって沖に発って行かれる時・・・何という哀れな事であったでしょう。敗戦をしみじみと感じました。しかも重光外務大臣は、ご承知のように足が片一方義足なんです。上海事変の時にやられておる。あの重光大臣、特にミズーリ号のタラップの上がり降りをどうされるのかぐらいの心配もしておった。まあ幸いにして後から聞きましたら、アメリカの水兵さんが皆で担ぎ上げてくれたという事を聞いてホッとしたんですが、そういう状況でございました。九時四分に艦上の降伏文書調印式が行われました。(その文書のコピーを、ご参考にちょっと御覧ください。その訳文もそこに書いてあります。)


調印式終了後の大事件

 ミズーリ号艦上の降伏文書調印式も無事終了しまして一行がお帰りになりました。昼食の用意をしておったけれども、一刻も早く天皇陛下に復奏せねばいかんという事で急遽東京にお帰りになりました。ところが、その後が大変なんです。さっき申しました鈴木九萬公使が横浜終戦連絡事務所長でございましたが、サザーランド参謀長から布告文の写しを貰って帰って来て、あわてて有末中将のもとにやって来られた。明日の十時を期してこの布告文を日本国民に提示をするんだという事で、布告文案を三通持ってきた。その第一番目は、これからの交渉等は英語をもってする、と。これは当然です。第二番目は「ポツダム宣言、今日の降伏文書調印のその内容、これから出されるマッカーサー司令官の出す命令等に違反した者は、軍法会議に処する」と。これもまあしょうがないですよね。第三項が問題なんです。第三項といいますと、「これからの日本の通貨は軍票をもってする」。軍票――ご承知の方も多いと思いますが、軍票というのは日本も南方においては使いました。これは金(きん)の裏付けの無いただお札のような印刷をした紙切れです。これをもって今後日本の通貨とする、日本の国内はその紙切れでやれということです。これは大変です。それでなくとも終戦の混乱、経済混乱に加えて、さらにこの軍票を使われたならば、日本の経済はどうなるんだろう。しかもそれは明日の午前十時を期して、日本国民に布告文を出して、そうすると日本国天皇ならびに日本国政府の頭越しに、マッカーサーの指令がこれから出されるという事なんです。これはポツダム宣言にも違反するんです。ポツダム宣言はね、無条件降伏じゃないんです、日本は。無条件降伏というのは、あのポツダム宣言の第十三項にあります、陸海軍軍人だけなんです、無条件降伏をしたのは。他は皆条件付なんです。ドイツと違うのはこの点です。ドイツは全面的な無条件降伏。日本はそうではないんです。陸海軍軍人だけが無条件降伏で、武装解除をしてこうこうだと。他の十二項その他補足文書はみな条件が付いております。これを打ち破ってマッカーサー司令部から直接日本の天皇、政府を頭越しに出されたのでは、大変ですこれは。それで有末中将と鈴木九萬公使は急遽協議をしてまずこのことを、東京の政府及び大本営に至急連絡を取ると。それで随員の一人だった岡崎勝男、これは後の外務大臣です。岡崎勝男さんにすぐまた横浜に引き返してもらって、マッカーサー司令5狽フサザーランド参謀長と交渉してもらった。なんとかこの案を延期してくれと、こういう交渉したんです。交渉しましたけれども、まあ考えておこうという程度で押し切られた。そこで有末中将としては、重光大臣にもう一度横浜に来てもらおうということになって、翌朝重光葵外務大臣にもう一度横浜に来てもらいました。そしてあのホテルの中のマッカーサー司令部と一時間あまり直接談判。当時はマッカーサー司令官と会える人はこうこうだと、会う時間はこうこうだと、非常な警戒をしていた中で、重光大臣は、単身乗り込んで、談判一時間余にして、この布告文を全部撤回してもらった! その決死の覚悟の交渉、重光大臣だけではありません。岡崎勝男委員(後の外務大臣)、有末中将その他の方々、本当に当時はね、進駐をして来てから間もない厳重な警戒、物騒な状況の中で、命を賭してこの交渉に成功して、日本の危機を防いで下さった。この事をね、どこの新聞も書いておりません。もしあの事がなかったらと思うとゾッといたします。この大事件を思う時、先のテンチ大佐の文章ではありませんが、我々としましても、決死の御覚悟であの終戦処理をなさり、決死の覚悟でマッカーサー司令官に九月二十七日にお会いになられて、マッカーサーに「我が身はどうなってもいいから国民を救ってくれ」と、こう仰られた陛下のお気持ちの万分の一にでもお添いし、報い奉ることができたことを、神仏の前にほんとうに感謝の真心を捧げたい。

全権重光葵外務大臣は、次のように述懐しておられます。
「日本の実権者となった占領軍に対してはあらゆる媚態を呈し、屈辱を恥としない様になった。政治家も実業家も総司令部と直接連絡をつけて自己の進退、自己の仕事に有利に働こうとした。戦犯指名を免るる為に政治家も軍人も競って平和主義者となった。昨日まで軍閥の機関であった新聞は、挙げて過去を清算し、掌を翻す如く占領軍を謳歌し、軍部及過去の指導者を攻撃し始めた。終戦直後の昨今の状況程情けない日本の姿は又とあるまい」

今の日本政府でほんとうに命を投げ出して、国難、国益の為に命を捧げてくれる人が何人おられると思いますか。これを考えますと、私は今の日本政府の為政者達に対して、あの終戦直後、本当に身を挺して国益の為に働いて下さった先輩達の、爪の垢を煎じて飲んで欲しいと、こう思います。

●現代日本を毒しているのは何か

 それでは最後の約十分で、締めくくらせていただきます。
現在の日本の状況を皆さまはおわかりのようにいろいろな問題が出ております。教育の問題、憲法の問題、領土の問題をはじめ、何だかんだたくさんあります。あっちを叩けばこっちが起こり、こっちを叩けばそっち、そっちを叩けば・・・という具合に。ここで私どもが考えなければいけませんのは、個々の問題のみに囚われてはいけないということです。これらは皆、関連があるわけです。日本に今そういう害毒を流しているのは、何であるかという根本を掴まえてみましょう。
私はこれを三つの事に要約いたします。その一つは、コミンテルン世界共産党の影響。第二は占領政策すなわち東京裁判史観。もう一つはフリーメーソンという陰謀。この三つ、しかもこの三つはそれぞれ関連を持っているわけですが、だいたいこの三つに絞って、これが日本を今害している根底であると、こう思います。


コミンテルンの洗脳

コミンテルンはご承知のように、世界共産党。大正十一年にソ連でもって世界各国の共産党の連中を集めて会議を開いた。そこで初めて日本の共産党も行って、日本共産党はコミンテルンの東京支部という名前を貰って、その後コミンテルンの指令を受けて、「日本支部、君達は天皇制の打倒、これをやれよ」と言われた。それをいまだにやっている。表面はいろんな体(てい)の良い名前を使っているけれども、日本共産党はその本質においてなんら変わる事はありません。それが証拠には、今日本の政党は、自民党だ、自由党だ、民主党だ何だと、訳の分からないのがたくさん出来ておりますが、共産党だけは名前を変えない。なぜか?コミンテルンに加入する時の第十七条で、名前を変えちゃいけないということになっとるんです。だから共産党、後生大事に、今はもうコミンテルン、コミンフォルム、なくなっておるのに関わらず、レーニンの教えを守り通しておるわけです。

そのレーニンの教えとは何ですか? 欺瞞、虚偽、人を騙したり、嘘をついたり、法律違反をしたり、これを平気でやらなければ革命は出来ないよと。だからソ連の様子を見てごらんなさい、条約を何度結んだってそんな事は知っちゃいないという状況でしょう。それはレーニンの教えですよ。そういうことをやらなければ革命は出来ないよと。それから、青年たちに国家に対する愛国心を失うように仕向けろと、これがレーニンの教えです。だから今でも共産党は、なんぼ規約を体の良い字句に変えたってダメなんです。今、青少年問題で非常にご努力して下さってる方々多いんですが、日教組というものを前衛に使ってね。日本の国会を見て下さい。日本の国会では、国旗国歌の法律が出来たって日本の国会に国旗が出てないんですよ。国会で、君が代は歌わないですよ。開会式に天皇陛下が臨御をされても共産党は、席が空っぽなんです。これがレーニンの教える天皇制打倒。今は君主制の廃止とかいって体の良い事を言ってますが、結局は天皇制の廃止。この表れに他ありません。その他推して知るべし。


占領政策(東京裁判史観)

第二番目の占領政策、すなわち東京裁判史観。これも簡単に申しますと、東京裁判史観というのは東京裁判で決議された事を本当だと思い込んでる思想が、東京裁判史観でございます。その東京裁判で、やられたこと、やり方、みんなこれはデタラメですよ。国際法違反。現在の世界各国の憲法学者は、全てこれに対して反対を唱えております。その最初に東京裁判の反対を唱えて、日本無罪論を呼びかけたのがインドのパール判事です。このあいだ箱根のパール判事の記念館にお参りをして来ました。あの東京裁判の、なぜこの裁判を作ったかという第一条にこういうことが書いてある。「極東に於ける、重要な戦争犯罪人を審理し処罰する為に、この国際裁判が設けられたんだ」という事が書いてあります。「極東に於ける」ですよ。日本人に於けるではないんです。極東に於ける、重要な戦争犯罪人を審理し処罰をする。極東に於けるそういう連中は誰かと。東条大将でもなく誰でもありません。それは先程申しました、原爆というものを、広島、長崎に落とし、東京大空襲をはじめ日本の主要都市に対して、六十数万の無辜の民を殺したアメリカでしょ。その重要な戦争犯罪人はルーズベルトであり、彼の死後大統領になって原爆を落とす指令を出したトルーマンですよ。これを僕は第一号に出すべきだと。第二号は、中立条約を無視して満州、樺太、千島列島に終戦後大軍を擁して、関東軍彼ら六十数万の人を拉致し、六万数千名の命を落とし、樺太だけでも十数万の無辜の民を殺し。あの電話交換手、真岡の九名の女子電話交換手。いわゆる北方領土から千島、これらは未だにね、ああいうザマになっております。それをやったレーニン、フルシチョフ、もう一人スターリン、これらは戦犯の第二号と。こう私は定義づけたいと思います。


フリーメーソンの陰謀

第三番目のフリーメーソン。フリーメーソンというのは聞き慣れない言葉ですが、これは地下組織なんです。ユダヤの地下組織。武力をもってするのではなく、色々な思想戦をもって世界各国を統合しようと、こういう思想です。皆様が今お持ちになっているお札を御覧下さい。一万円札、五千円札、千円札、みな菊の御紋章が無くなっておりますでしょ。五千円札の如きは菊の御紋を真二つにわけて、そこにユダヤのマークが入っている。五千円札の裏、富士山の山中湖に投影している姿、あれは富士山ではないんですよ。ひっくり返して御覧下さい。富士山とは似ても似つかない、シナイ半島のユダヤの神を表しているあの山です。これをやったのが時の総理大臣中曽根康弘。大蔵大臣竹下登。この連中の時にこういうことにしたんです。アメリカのかつての国務長官のキッシンジャー、あれはフリーメーソンの大幹部です。キッシンジャーと中曽根氏は、非常に仲が良かったという、彼にはそういう一連の繋がりがある。その一万円、五千円、千円札の表側、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、この方々は民間人でありながらヨーロッパ、アメリカに長い事居られて、やっぱりフリーメーソンの教育を受け、中にはフリーメーソンのメンバーになっている人もあるはずです。そういう人達が、今度は二宮尊徳とか色んな者に成り代って、あの札に現れて、しかも菊の御紋章が廃止をされて、ユダヤのマークが入っておると。これは彼らの狙い撃ちの的になっているという事です。それから先程の共産党の天皇制の破壊、天皇制の廃止、こういうことも、この地下組織の狙いの一つであります。どうかこの三つの事、これらをひっくるめた策略、これらのことを根絶するべくやらないと、個々の問題をいくら取り上げてもダメです。

●日本民族にふさわしい憲法を

それを根絶するための手は何か。私は結論を申し上げます。憲法を直さなければいけない。憲法改正ではないですよ。改正というと共産党や社民党は、改正であっても悪い方に悪い方にとやっていくわけですよ。改正ではないんです。私は昔から日本の憲法は、横書きの翻訳憲法でなしに、縦書きの日本古来の伝統と栄光を表した日本民族にふさわしい憲法をつくり直すべきだと、同じ改正でも違います。そして国力をつけなければダメです。自衛隊は軍隊であるかないか、そんなことを今頃言っているでしょ。自衛隊は自衛隊、軍隊ではないんです。早く独立国家にふさわしい国家の軍隊をつくって、防衛庁を国防省に昇格をして国防をやらなければ、北朝鮮でも韓国でも中国でも日本の足元を見計らって、どんどん越境してきているじゃないですか。それに対して一発の弾も撃てないようになっとる。イージス艦という立派なあの性能を持った船。私、今年の六月十八日イージス艦をくまなく、中を見せてもらいました。あんな性能のいい軍艦を四杯も日本は持っている。台湾はこれを一隻でも欲しいとやっておるけれども、中国の妨害でこれが出来ない。アメリカとの同盟国でイージス艦を持っているのは日本だけなんです。四杯も持っているのに一回も今度は出せないんです。何のかんの言うて。私は六月に見学をした後の所感で、宝の持ち腐れですね、と言ってきた。なぜあんなものを、あれは一杯千二百億もするんですよ。四杯も持っている。出そうとしないんです。かくの如き国防の状態では、ますます外国から侮られます。日本の手の内が皆見透かされている訳ですから。ですから憲法を新しく制定をし直して、国防を強化しなければいかん。敵に侮られない程の国防は、どうしても持たなければいかん。独立国にふさわしい国防を。
以上をもちまして私の拙いお話でございましたが、終わらせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
尚、どうぞ皆様方、私も同県人の一人としまして、この郷里の発展と、皆様方の御多幸を心から祈念申し上げまして、長いことありがとうございました。これで終わります。(拍手)

http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/416.html#c7

[政治・選挙・NHK217] 「狙撃兵 軽々しい真珠湾慰霊 :長周新聞」  赤かぶ
8. 2017年2月09日 04:50:33 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[16]
第2次世界大戦〜終戦までの4ヶ月

担当:林梅雪

本筋1:ヤルタ会談とルーズヴェルトの死去
http://www.uraken.net/rekishi/syusen05.html

本筋2:ヒトラーの最期
http://www.uraken.net/rekishi/syusen06.html

本筋3:トルーマン大統領登場
http://www.uraken.net/rekishi/syusen07.html

本筋4:戦艦大和撃沈&チャーチルの憂鬱
http://www.uraken.net/rekishi/syusen08.html


http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/416.html#c8

[戦争b17] 日本の無条件降伏をもたらしたのは何か:原爆か、それともソ連参戦か?(Sputnik) 赤かぶ
17. 2017年2月09日 05:08:06 : NnyxcJNKtc : VyCOGew8@W4[17]
かつて日本は美しかった

ポツダム宣言受諾は日本の無条件降伏ではない
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/07/post-a2df.html

ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した(1/2ページ)

2015.05.30   連載:ニッポンの新常識 ケント・ギルバート
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150530/dms1505301000005-n1.htm(全文)


安倍晋三首相(自民党総裁)と、日本共産党の志位和夫委員長との党首討論がきっかけで注目された「ポツダム宣言」の英文と日本語現代語訳を、久しぶりに読んでみた。申し訳ないが、数カ所で笑ってしまった。

 ●例えば、第10条の後半だ。「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」とある。

 ●終戦後、徹底した検閲を通じて日本のマスコミを管理し、虚偽の報道で日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた側が、宣言では日本政府に「言論の自由を確立しろ」と命じているのだ。

 ●GHQ(連合国軍総司令部)は「プレス・コード」で報道機関を統制した。露骨な二重基準には笑うしかない。

 ●日本人がポツダム宣言受諾を「無条件降伏」と呼ぶのも大間違いだ。

 第5条は『Following are our terms』で始まる。●「我々の条件を以下に示す」という意味だ。日本政府は条件付きで降伏したのである。

 ●具体的には「軍国主義の追放」「領土占領」「日本領土は本州、北海道、九州、四国と諸小島」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義復活」「平和的政府の樹立」などである。

 ●そして、第12条には「条件が達成された場合に占領軍は撤退する」と明記してある。

 ●無条件降伏の要求はこの後の第13条、「全日本軍」に対するものだ。


ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した(2/2ページ)

2015.05.30
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150530/dms1505301000005-n2.htm


●『我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める(以下略)』

 第13条に従い、日本軍は進駐軍に1発の銃弾も撃たなかった。昭和天皇が玉音放送を通じて、日本国民に戦争終結を訴えられたおかげだと思う。

 ちなみに、ポツダム宣言を持ち出した日本共産党は、戦後平和の功労者たる「天皇」について綱領にこう書いている。

 『党は、一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、(中略)その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである』

 「第1章 天皇 第1〜8条」の撤廃は日本共産党最大の悲願である。どこが護憲政党なのか。

 さらに言えば、日本国のために尊い命をささげた英霊を祀る靖国神社への参拝に反対する政治家が、安全保障関連法案の審議では、自衛官のリスク増大を反対理由にしている。軍人や自衛官への感謝や敬意を示しているとは思えない彼らの、偽善的態度とご都合主義にはあきれるしかない。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、人気タレントに。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/688.html#c17

   

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