90. 2017年1月18日 09:48:36 : YH9QTrQwhQ : vLbTUuW1gtw[1]
本文>「蓮舫はだめな気がする・トップの器ではない。山尾代表・幹事長安住でいいのでは」
百花斉放、議論灼出、思想や理念めぐり百論出るのは悪いことではない、大歓迎だ。じゃけん、仮に今現在の永田町に、Dr.満留久須が降臨とすりゃあ、何を考えどう行動するか、野党共闘の1点だけに注目するよ。資本主義批判(資本論)や革命論議(共産党宣言・ 空想から科学への社会主義の発展等々)、あるいは哲学論議(ヘーゲル哲学。弁証法・唯物論)等々いろいろあるだろうが、それはさておき、満留久須博士は眼前の政権奪取の可能性、つまり野党共闘に最大に注目するだろうな。野党・市民・ママ・労働者・農民等が協力し連帯することで、選挙により政権を取れる状況が起きている、満留久須博士は自らの全人生かけて、野党共闘の先頭に立ち、その可能性向け全力尽くすよ。そして口から出るのは、黒いネコでも白いネコでも、鼠を捕るネコはいいネコだ、つう言葉だろう。つまり、小沢・志位・吉田忠・糸数始め、共闘に結集しつつある市民・ママ・非正規・派遣等は、みんな現代の満留久須ちゅうことじゃよ。共闘の手応え十分、夜明けは近いつうことだよ。満留久須は、理論はどうであれ、立ち上がった国民大衆のエネルギーを、何より重視するよ。じゃけん、大河の流れにはそれを止めんとする逆流の渦が、必ず起きる。野田レン呆の民進内の保守反動コンビなど、その典型だろう。連合や自公との裏取引で、日夜共闘を内部からどう破壊するか、頭を絞っちょるようだ。こうした動きは当然だ。現代の満留久須は、こうした現局面を正しく読み取る力量を、問われている。その力量こそ、正に、百花斉放、議論灼出の阿修羅コメで論議中の、マルクス主義ちゅことだ。
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