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VIoxlxjaxoY コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK251] 岩屋防衛相が沖縄県知事の「米海兵隊移転」をハナから否定(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2018年10月07日 09:05:19 : QoS43Pugo6 : VIoxlxjaxoY[1]
>>6
>外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた

これって超大問題なはず。
この機に注目されて欲しい。


>「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。


それで鳩山は信用を失い失墜した。(←みんなここしか知らない)
ところが外務省の陰謀だった。
下リンクに極秘書類の実物が載ってる。

【鳩山由紀夫・元総理にインタビュー!真相に迫る!】
鳩山氏は、普天間基地「県外移設」断念の裏に、外務省の官僚から示された「極秘文書」の存在があった
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/287473
http://www.asyura2.com/18/senkyo251/msg/795.html#c10

[政治・選挙・NHK252]
3. 新共産主義クラブ[-2390] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2018年10月12日 16:23:49 : QoS43Pugo6 : VIoxlxjaxoY[2]
>過日は、山岸飛鳥さんが、天皇は保身のために沖縄を売ったと根拠にもならない文書を出していましたが、こころの中のことは、本人が自分は保身のためにやったと言わないかぎり証明されることにはなりません。
 
 
 山岸飛鳥さんが出していた根拠にもならない文書とは、沖縄県公文書館が“天皇メッセージ”として公開している文書のことだろう。
 
 昭和天皇の心の中までは知ることができないが、昭和天皇が、太平洋戦争末期、国体護持のための沖縄の放棄を、日本が和平交渉を持ちかけたソ連に打診していたことは、別の資料からもわかる。
 
 琉球諸島・小笠原諸島・北千島の放棄、および日本兵のシベリア抑留(強制労働)は、ソ連に和平交渉の仲介を依頼した際に、昭和天皇が認めた連合国側への日本側の譲歩案に含まれていた内容であったのである。 
 
 ソ連は、和平仲介を断ったが、このとき昭和天皇が認めて日本が示した譲歩案は、終戦後、連合国によって、その通り実行された。
 
 
◆ USCAR文書 “天皇メッセージ”
(沖縄県公文書館)
 
 米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)
 
 同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】
 
 内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
 
 http://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/Emperors-message.pdf
 
http://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392
  
 
◆ 近衛文麿 
 
 6月22日、昭和天皇は内大臣の木戸幸一などから提案のあった「ソ連を仲介とした和平交渉」を行う事を政府に認め、7月7日に「思い切って特使を派遣した方が良いのではないか」と首相・鈴木貫太郎に述べた。これを受けて、外相・東郷茂徳は近衞に特使就任を依頼し、7月12日に正式に近衞は天皇から特使に任命された。
 
 近衞が和平派の陸軍中将・酒井鎬次の草案をベースに作成した交渉案では、国体護持のみを最低の条件とし、全ての海外の領土と琉球諸島・小笠原諸島・北千島を放棄、「やむを得なければ」海外の軍隊の若干を当分現地に残留させることに同意し、また賠償として労働力を提供することに同意する事になっていた[17]。

[17]^ a b 『太平洋戦争日本の敗因6 外交なき戦争の終末』pp.226 - 228
 
  
◆ 第二次世界大戦期の日ソ関係
(上智大学)
 
6.日ソ戦回避のための施策

 7月10日 最高戦争指導会議、近衛文麿特使のソ連派遣を決定。
  軍隊の解体を含む降伏案
  国体護持
  最下限、沖縄、小笠原諸島(両者ともにすでに米軍が占領)、樺太を捨て、南千島を保有する程度とすること」
 
 7月18日 ソ連、近衛特使受入を事実上拒否。
 
https://ocw.cc.sophia.ac.jp/?action=lecture_view_main_note&upload_id=1049
 
 
◆ ソ連への和平仲介の依頼工作:近衛特使携行の和平条件要綱に沖縄の切り捨てが
(ブログ『つれづれなるままに心痛むあれこれ』,2016-06-03)
 
 6月22日には最高戦争指導会議で昭和天皇が対ソ工作を指示した。

 7月10日には最高戦争指導会議で近衛元首相を天皇の特使としてソ連派遣を決定した。
 
 7月12日、天皇が近衛が特使に下命し、東郷外相はモスクワの佐藤尚武大使に対して訓電し、無条件降伏方式の緩和によって戦争終結が可能となる事を示唆した申し入れをモロトフソ連外相に行う事と近衛が天皇親書を持ち訪ソする事のソ連側の了解を求めるよう訓電した。

 この近衛特使派遣の際携行する予定で作成されたものが「和平条件の要綱」であった。この作成には近衛と酒井中将が練り上げ直接天皇の御璽をいただくというものであったという。内容は、一、方針には、聖慮を奉戴し、なし得る限り速やかに戦争を終結し、以ってわが国民は勿論世界人類全般を、迅速に戦禍より救出し、御仁慈の精神を内外に徹底せしむる事に全力を傾倒す、とある。また、二、条件としては、まず、国体の護持は絶対にして一歩も譲らざる事とし、国土については、止むを得ざれば固有の領土を以って満足すとし、固有領土の解釈については、沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島は南半部を保有する程度とする事、として沖縄県を捨てと明記していた」(『近衛文麿』近衛文麿伝記編纂所)。
 
 この事はつまり、天皇制大日本帝国政府は、「固有の領土(本土)」の安全や利益を守る事だけを重要事とし、そのためには必要とあればいつでも沖縄県を切り離して(トカゲの尻尾切り)、政治経済上利用できる材料として沖縄県を扱い犠牲とする事を厭わなかったという事である。日本本土に対しての外部からの脅威や圧力の緩衝地帯として位置づけられていたという事であり、沖縄県民は本土の日本人とは平等待遇ではなくそれ以下の差別的待遇を受けていた事を示している。そして、その位置づけは敗戦後の吉田茂日本政府が日米安全保障条約を締結するという選択によって、その後も継続しているのである。
 
https://blog.goo.ne.jp/1niti1po3kade3po/e/114095f26c74015587c49c932e04d2bb
 

http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/187.html#c3

   

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