2. 仁王像[2433] kG2JpJGc 2018年10月04日 20:00:32 : fWKCqlloWc : v_SrKjiNw78[1]
【本文≪私の転機と…≫の前に追加】
≪大学とはなにか≫
東大闘争の原点には、大学における学問はこれで良いのかという問いがあったのです。ちょうど、日本が高度成長期に入って、科学・技術の研究が盛んになった時期でした。研究すべき問題は山ほどあり…学生は何かわけが分からないけれど、言われるままに実験し…会社と大学の結びつきが密接な時代だったのです。
このような徒弟制度は、それまで当たり前のように考えられていましたが、おかしいと思う人がだんだん増えてきて、一挙に噴き出したのが東大紛争だったのです。
学生たちは、科学や社会のことがもっとよく分かるようになりたいと思って勉強を始めたのですが、勉強をやればやるほど、視野がせばまって、先が見えなくなることを感じていました。研究というのは自分の考えで自由にやるものだと思っていたのですが、実際は、研究室の研究の一部を分担させられて、毎日、単純な作業の繰り返しで、だんだんバカになっていくような気がしました。
学問とは研究はこんなもののはずではなかった、というのが学生たちの叫びだったのです。(教授、助教授たちは(それまでの慣習に馴染んでしまって)学生の言い分は理解できなかった)
みんなが一番関心をもって議論したのは、大学とは何か、という問題でした。
大学とは、最高の学問―学問の最先端を学ぶところと言ってよいでしょう。ですから学問を学ぶということは、結果を学ぶだけでなく、研究する方法を学んで、自分で研究することです。学ぶことと研究することが一体となった場所が大学のはずです。そして研究の指導というのは、一緒に研究することです(ところが、そんな体制ではなかった)。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/674.html#c2