5. 2016年12月09日 18:53:48 : IVkC1Y6s5Q : UmgI04g0i9U[1]
Fujiko氏「山本太郎、森ゆうこ両議員の牛歩の抵抗に「早くやれよ!」と議長の声に怒り心頭」
”自由党が来たぞ!”地獄に仏、鬼に金棒、この声聞いたときは、百人力得た思いであった。明治17年の秩父の衆は、繭価は暴落、金納の税金(地租)は容赦なし、高利貸に田畑取られ、決起以外に道ない状況に追い詰められていた。こうした時、自由党結成の噂は全国に広まっていたが、その自由党がオラホの方にもきた、これは民衆は燃え上がったね。当時、自由党はできたばかりであったが、オルグを全国に派遣し、各地域に自由党支部を立ち上げ、民衆を組織化しつつあった。関東近県では、秩父・群馬・茨城・信州・福島その他で、自由党は組織化され、党への同調が広まった。当時の”自由党”つう呼び名のトーン、響き、新鮮さ,眩しさは、例えれば、現代の日本共産党どこじゃあねえ、遥かに反体制的・革命的な響きあったよ。まあ。共産党が最も近いだろうが。自由党つうんは、社畜や政党畜みてえに、右へ倣えで、言われたように行動する投票する、そらあ相応しくねえよ。自由党つうんは、当初より、行動する、抵抗する、闘う等、それが似合う党なんだ。山本議員、森ゆう議員、壇上で抵抗する姿、自由党の本領を発揮したよ。暮らしも、健康も、国益も、全て追い詰められた国民は、今まさに、闘う自由党を求めているんだ。ここまで舐められ、追い詰められ、黙っちょる手はねえぞ。自由党に賛同するもんは、はせ参じよう。
自由党結成と民衆蜂起は
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