18. 2018年9月01日 12:43:04 : MOjd06JC3c : U@B1D2TtMiw[1]
世界は悪意に満ちている
日本人なら知っておくべき歴史の裏側 その2
2010年 02月 28日 | ▼
https://nippon2050.exblog.jp/13838848/(全文転載)
こちらも文字起こししました。
よければ拡散にご利用ください。
『8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!』より
日中戦争前の中国
それでも日本は支那との戦争を避けようとして停戦協議を続行するんです。
しかし8月に入っても日本軍に対するテロ攻撃は止まないんです。
大山中尉殺害事件とか色んなこのテロ行為が日本に対して起きます。
そして8月の13日になります。
これが上海に飛び火をします。第二次上海事変と言うのが起きます。
中国側が地上からだけではなくて、今度は空中から飛行機まで使って日本人居留区に対して
大規模な攻撃をしかけます。
ここで日本人側が大勢を死ぬこととなるわけですね。
そしてここに至って初めて日本政府は、もうこれは支那と戦争をやるしかないと
言う決心をすることなりました。
そこから初めて軍を日本は投入するわけですね。
7月の7日から8月の15日までの1ヵ月半、一生懸命停戦をしようと言うことで努力をしたのは日本です。
これに対して繰り返し日本に対してテロ行為を仕掛けて日本を挑発して戦争に引きずり
込んでくのは中国です。
なぜこう言うことが起きたかと言うと1917年にロシア革命が起きて1919年に世界を共産化するための
共産主義インターナショナルと言う組織ができます。
その本部がモスクワに置かれます。コミンテルンですね。
このコミンテルン、いわゆるスターリン、ソ連のスターリンですね。の指示が
これが蒋介石国民党と毛沢東共産党は当時中国で内戦状態なんですね。
毛沢東共産党がもうやられる寸前、負ける寸前なんです。
この時ですねこの蒋介石国民党と日本軍を戦わせて、蒋介石国民党の力を弱くして弱ったところで
毛沢東共産党に中国全土を支配させようと言うのがこのコミンテルンの狙いです。
ですから、日本がいかに中国と停戦しようとしてもこのコミンテルンに操られた中国側がですね
日本に攻撃を仕掛けてくるんです。
実は蒋介石はですね1937年7月7日盧溝橋事件ですが、その半年前1936年の12月にですね
この蒋介石の部下指揮官である張学良と言うのがいたんです。
張作霖の息子ですね。
張学良がですね北京の近くにいて毛沢東共産党と戦っているはずなんですが一生懸命戦わない。
したがってこれをですねちゃんと戦えと督促しに行くんですね。
そしたらその時すでにこの張学良は毛沢東共産党と手を握っていて、この自分のまぁ言わば上司である
蒋介石を拘束する。逮捕しちゃうんですね。毛沢東飛び上がって喜ぶんです。
これで蒋介石を殺せる。しかしスターリンから指示がでるんです。生かしておけと。
日本軍と戦わせるには蒋介石しかいないと言うことでですね。蒋介石の命を助けるわけですね。
蒋介石はコミンテルンによって命を救われる。
また息子の蒋経国もですね11年間モスクワに拉致されてたわけです。
これも助けてもらうんですね。
多分スターリンと蒋介石の間にですね毛沢東共産党と通じる取引があったんではないかと思います。
日本軍といわゆる第2次国共合作ですね。国共合作。
共産党と手を合わせて毛沢東共産党と手をつないで日本軍と戦うんであれば命を助けてやると
言う取引があったんではないかなという風に思います。
蒋介石は日本の陸軍士官学校にも留学をし、新潟の高田の連隊で3年間隊付き教育を受けてたんです。
非常に親日的な人でした。
これが命乞いの為にですね日本を裏切って、このコミンテルン側につくわけですね。
そう言った背景があってですね、日本がいかに戦争を避けようとしてもむこうが仕掛けてきて
戦争に巻き込まれていきます。
そして8月15日以降日本は軍を投入をしてですね、中国の当時の首都南京に向かって軍を進めます。
約4ヵ月後12月の13日に南京、当時支那の首都であった南京は日本軍によって陥落をさせられます。
この時30万人の虐殺があったとか言われているわけです。
虐殺と言うのは、兵隊同士が弾を撃ち合って死ぬのは虐殺とは言わないんです。
民間人とか無抵抗な捕虜を殺すから虐殺と言うんですね。
30万人の虐殺がこの時あったとか中国は言ってるわけですけどもこの時支那の首都である
南京はですね国際都市なんですね。
各国の公使館も全部ある、各国の通信社もみんないたんです。
日本人の兵隊がおばあちゃんを殴ったぐらいで日本政府に抗議が来る時代です。なんですね。当時は。
その時南京代虐殺について公電が打たれたことは一回も無か・・・電報が打たれたことは
一回も無かったし、また日本政府に抗議がきた事も一回も無かったんですね。
これは嘘だと言うことです。
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気になる事 blueのためいき
福田康夫元総理、南京大虐殺記念館を訪問していた。日本人はこの捏造記念館を訪問し、歴史を学べと。
2018-06-26 10:58:13 | 腹立たしい
https://blog.goo.ne.jp/ta6323blue/e/da995cfd08c02eceecd9d49efd27e564(全文転載)
福田氏、南京で虐殺記念館を訪問 日本の首相経験者で4人目
08:37共同通信.
【北京共同】福田康夫元首相が24日、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問していたことが25日、分かった。中国メディアが報じた。日本の首相経験者では海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。.
中国メディアによると、福田氏は犠牲者に献花し黙とう。記者団に対し「最も大切なのは平和だ。戦争は残酷で罪のない民衆を巻き込み、痛ましい被害をもたらす。再び戦争を起こすことは許されない」と述べた。
同時に「日本人は記念館を訪問し歴史を理解すべきだ」と指摘。史実を広く後世に伝えることが現代人の責任との認識を示したという。********************************************************************************************
福田康夫氏。
元首相。
そして大の中国好き。
この方ですぐに思い出すのは「あなたとは違うんです」との言葉。
首相辞任表明会見での「国民には他人ごとに見える」との記者の発言に対する福田氏の反論。
この言葉は強烈でした。
自分は偉い、記者ごときに何がわかる。
と常に他人を見下していたのが最後に証明されたような発言でした。
また中国大好きだと聞いた事があったような。
北京五輪の前には毒餃子事件があり、開会式への出席はどうするのか言われていましたが、
予想通り、出席しました。
餃子事件の抗議もする為の訪中だったかもしれませんが、どの程度の抗議だったのか。
おざなりの抗議だったのではなかったでしょうか。
その後、辞任表明後には連日の夫婦での中華レストラン通いが際立っていたのが印象的です。
そんな福田氏ですが、24日に南京大虐殺記念館を訪問していました。
この記念館が南京事件をどれだけ捏造し、日本叩きに利用しているのかとの視察ならまだしも
「日本人は記念館を訪問し、歴史を知るべきだ」と。
これでは南京事件は中国の主張が正しいと言っているようなものです。
これが日本の元首相の言葉ですか。
被害者の人数。
被害者が民間人か便衣兵か。
これらは様々な意見がある中、この福田氏の言動には驚き、腹立たしさが募ります。
福田氏がここまで言い切るのは中国の意向なのかと疑ってしまいます。
元首相なら、中国側の主張を言うべきではありません。
現在は一個人と言っても、常に「元首相」の肩書がついて回ります。
最近では総理になれなかった数少ない自民党総裁だった河野洋平の北朝鮮擁護の発言がありました。
河野洋平氏、拉致解決より国交正常化を。日本が悪い。日本は謝れとも。
(https://blog.goo.ne.jp/ta6323blue/e/1d399f9769840570779caacd32a8f62d)
また時々政権批判をする為にマスコミに出てくる村山富市や鳩山由紀夫。
もういい加減にしてもらいたいです。
総理、総裁の座にいる時は真面な仕事が出来なかったからと、
辞めてから左翼マスコミに取り上げられて喜ぶとは愚の骨頂です。
元総理は静かに余生を過ごしてもらいたい。
反日国の代弁者になるとは、売国奴そのものです。
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https://twitter.com/sj30super2/status/818793530084573185
千葉周作 @sj30super2
石破茂は中国共産党系の新聞に、インタビューで「靖国神社を参拝したことなどないし、これからも絶対に参拝しません」、「大東亜戦争は日本の侵略戦争でした」、「従軍慰安婦もありました」、「南京大虐殺も事実です」などと答えている。
石破茂の事務所に確認したところ、認めてる
4:16 - 2017年1月10日