1. taked4700[6301] dGFrZWQ0NzAw 2017年6月28日 11:19:20 : agDu2EN0dA : T8lHGjH_sqk[1]
1596年09月01日 M7.0 慶長伊予地震
1596年09月04日 M7.8 慶長豊後地震
1596年09月05日 M7.5 慶長伏見地震
これは現在は起こらない。根拠は次の通り。
1.16世紀末は次のような地震が起こっていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)より引用:
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
*引用終わり
つまり、関東から本州中部、または関西で地震が発生していたことが分かる。この原動力は伊豆・小笠原海溝からのフィリピン海プレートの発生の活発化であり、南海トラフ付近の北西方向圧力の増加。天正地震と慶長豊後地震などは一連の同じ力による地震と見ていい。
2.中央構造線は南海トラフに面した太平洋沿岸部分と日本海に面した部分を東西方向に二分している。そのため、どちらかが動けば中央構造線付近での地震となる。
3.現在は、中央構造線の北側、日本海側が動いている時期。よって、太平洋側が動いて起こった慶長豊後地震などは現在起こらない。