1. 藪素人[41] 5U2RZpBs 2018年7月08日 19:29:47 : Rl79fb5S7A : SRNPARnFhLA[1]
帯津「僕が一番驚いたのは、山田師長が私のいうことに絶対反対しなかったことだな。…とにかく、私がやることにすべてついてきてくれた…すごかった」
第一章 帯津三敬病院の35年を振り返る
〔出合いは都立駒込病院のICU〕
山田 帯津三敬病院が開院してから、35年経ちました。私自身は22年目で病院の総師長を辞め、池袋の帯津三敬クリニックへ移って、今はそのクリニックも退職しましたが、本当にいろいろなことがあった35年でした。
〔「孤独なる荒野のガンマン」を支えたもの〕
帯津 僕が一番驚いたのは、山田師長が私のいうことに絶対反対しなかったことだな。…とにかく、私がやることにすべてついてきてくれた。本当によくやってくれたと思っているんだ。総師長だから、部下を統率しなければいけないし、対外的に患者さんとのコミュニケーションもいっぱいある。そういう方面は、最初の頃はそんなにすごいと思わなかった。ふつうだったんだけど、私の手伝いという意味では、じつにね、かゆいところに手が届くと言うか、すごかった。…師長はいつも傍らにいてついてきてくれて、僕の仕事を全力で支えてくれた。だからこそ、人にはなんと言われようとも、平気で続けられたと思う。
山田 私が何もいわずに先生についていったのは、先生のことを信頼していたのはもちろんのことですが、先生が私のやりたいことを自由にやらせてくださったからです。とくに、いつも診療につかせていただいて、患者さんと先生のやりとりを聞いたり、私が口をはさんだりすることを許してくださったことに感謝しています。おかげで…先生のいないところで患者さんから聞いた本音を先生にフィードバックして患者さんと先生をつなげることもできました。これは私がずっとやりたかった外来の看護の形でした。それが結果的に、先生のおっしゃる「かゆいところに手が届く」お手伝いにつながっていったのだったら、とても嬉しいです。
帯津 いやあ、私にとっても、そうした師長の働きは、診療を行ううえで助かった。本当に師長がいてよかったと思っているんだ。
山田 医師の中には、診療中に看護師が傍らにいたり、まして口をはさんだりすることを嫌がる方がいます。でも、帯津先生は一言も文句を言わなかった。だから、新人の看護師にも、帯津先生の診察のときには、必ず患者さんの傍らについて、先生の話を一緒に聞き…。
〔フットワークの軽さは誰にも負けない〕
帯津 山田師長は、僕の考えをいち早く察知して、動いてくれるところがありがたいんだ。…
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/603.html#c1