3. 2017年5月06日 08:05:28 : 7u0YJv1FVs : sH0Y4Ds5VNw[1]
>>1
専守防衛論は自民党が是としてきたもので、文句は国民ではなく自民党に言おう。
国民は憲法を破り続けてきたという問題提起もおかしくて、憲法は国民が政府に守らせるものであり、憲法を基に法律が編み出され、その法律を国民が守るというのが立憲主義。
従って憲法を破り続けてきたのは自民党と歴代政権ということになる。
国民が看過してきた結果責任はもちろんある。
しかし、結果責任といっても、国民も指を咥えて見過ごしてきたわけではない。
安保闘争もあったし、全共闘に代表される学生闘争もあった。
それらは誰もが知っているように、運動としては過激化する一方で先細りしていき、やがて支持も失い、形骸化していった。
だがそうは言っても安全保障についての法律が懸案、法制化の動きが出るたびに懸念や反対の声が上がり、市民運動が繰り返されてきたことも現実であり、国民が何もしなかったということはない。
むしろ、自主憲法制定を党是とする自民党がこれだけ与党の座に居座りながら、今の今まで憲法を一行たりとも変えることができずにいたのは、国民の潜在的な憲法を弄ることへの疑念の目線があったからである。
そうした動きが現実に何かの反映を残したか?という批判は確かにある。
反対運動がおこる一方で、自民党は二度ほど下野しただけで相変わらず与党に居座り続けているし、お墨付きを与えているのは国民である。
この奇妙なネジレが日本国による独特な政治決定で、55年体制の残滓でもある。
結局、55年体制を総括する暇もないまま、日本だけ冷戦が終わった世界で選択肢をアメリカだけに絞ってしまったツケが回ってきたと考えるのが相応である。