6. 2017年5月17日 22:25:07 : KawTQRq3gQ : S8nm6L@uHv8[1]
生長の家・谷口雅春が、信徒であった大本教(主祭神:クニノトコタチ)は、民衆宗教。
国家権力のアマテラス崇拝、神話解釈などで弾圧を受けた(大本弾圧事件)
民主主義の自由(信教の自由)が、〈強制〉されるからソビエト共産主義が嫌われたように
無宗教者であれ、日蓮正宗系であれ、神仏参拝者であれ、国家権力が自由を奪おうとする
法律には反対することが肝要である。 権力は、どのようにも詭弁を用いるものである。
靖国神社へのキリスト教系の「神社は宗教か否か」に対して、文部省は〈宗教行為〉ではなく
〈忠誠心〉の表現であるとして、〈宗教〉や〈信仰〉などのいかなる宗教上の理由によっても
参拝は拒否できないとした。 参拝拒否が犯罪になる。 創価学会は、伊勢神宮の大麻
(神札)奉斎の拒否で不敬罪を問われた。 信教の自由ですら犯罪の対象となる。
歴史を紐解けば、キリシタンの踏み絵、日本誓紙、南蛮誓紙とするキリスト教禁止の政策から
庶民への掟(五人組御仕置)は、キリシタンや一揆など権力にたてつく暴動を未然に防止
する条文を年に一度は読み聞かせた。
五人組御仕置條
『何事に不依 神水を呑 誓詞を申合 一味同心致し 徒党ケ間敷儀 不可仕候事』
〔一揆(共謀による暴動)の形式は、熊野牛王宝印などの神符(お札)に、誓詞と連判署名
(首謀者を分からないようにする署名は傘連判)し、全国の寺社に誓う。 誓約(契約)を
破ると血を吐いて死ぬと信じており、決死の行動である》
明治になると五箇条の御誓文とほぼ同時に出された五榜の掲示の高札
第二札
『何事ニ由ラス宜シカラサル事ニ、大勢申合セ候ヲ徒党ト唱ヘ、徒党シテ強テ願ヒ事企ルヲ
強訴トイヒ、或ハ、申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ逃散ト申ス、堅ク御法度タリ。
若右類ノ儀之レアラハ早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ御褒美下サルヘク事』
五箇条の御誓文は、話題になる。 庶民を規制する五榜の掲示(高札)は知られていない。
五人組は相互監視の目的もあった(戦前は隣組)。 その五人組の掟の上に密告奨励である。
権力をとると疑心暗鬼となり、治安組織を使いより、治安組織を重用し破滅の方向へ向かう。
江戸の町奉行所は南北二つ。 時代劇は名奉行の活躍を描く。 しかし、庶民は「江戸の
三男」や「八丁堀の七不思議」の不浄役人と呼ばれ、庶民に受け入れられた与力を伝える。
庶民に向いた治安組織であったから、江戸時代が長く続いた理由でもある。 そして、役人の
不正には、老中と別な組織(若年寄)の目付もその一つである。 役人(武士)は、朱子学や
儒教で、「徳」を学び身に着けても「得」に勝てない。 そのための役人監視の目付である。
さしずめ今なら、議会直属の公務員を監視する組織を持つようなものである。 しかし、
明治に権力を持った長州閥は、不正をやっていたから、こういう組織を嫌ったのであろう。
一例で木戸孝允(桂小五郎)の書簡がある。 天皇については、小御所会議の前の「玉」
(幼帝の明治天皇)や「芝居」。 五箇条の御誓文は、木戸も作成者の一人である。 その
五箇条の御誓文wiki「御誓文の復活」にある木戸の話に前段がある。
『・・・ 如何に定体なき政令も天皇が神明に誓うて仰せ出された条件はよも反故になるまい。
万々が一是が変わる事があれば、天皇が祖宗神明を欺かせられた事になり、皇室と雖、
危険に立ち至らぬとも限らぬ。 是丈の変革は慎まねばならぬ」と答えた。 すると、木戸は
之を聞いて驚き、「天皇が天地神明に誓はせられたとは何の事だ」と反問されたので、
「五箇条の御誓文である」と余は答へた。 木戸ははたと手を拍ち、「成る程左様な事が
あった。 其の御誓文を今覚えているか」と訊ねられたので、余は行李の中から其の写を
取り出し、再び写して木戸に示した」 (田中彰 明治維新 「久米(邦武)博士九十周年
回顧録」) 吉田松陰・松下村塾双璧の高杉晋作(上級武士)は病没、明倫館での師弟で
ある木戸も上級武士、そして過激派の筆頭である。 その木戸が五箇条の御誓文を記憶
していない。 配下、山縣有朋・井上薫・伊藤博文らも推して知るべし天皇観であろう。
(過激派だから庶民に恐れられた。 その過激派も尊王攘夷の「人斬り彦斎」を恐れた)
権力を持つ組織が最も恐れるのが、庶民の蜂起である。 芽もないのに摘もうするのが
権力の歴史。 木戸ら長州閥に権力を持たせた奇兵隊諸隊の脱隊暴動。 鎮圧をやった
のが木戸である。 自らの権力基盤の手足となった者へも容赦ないのが権力者である。
この脱隊暴動での広沢真臣から木戸への書簡、「私愚見には諸隊暴動は取るに足らず。
農民の沸乱実にもって嘆かわしき ・・・ ついには防長農商の動揺より神州一統(全国)に
および候様相成るべく、御洞察あらせらるべく候」 (一坂太郎 長州奇兵隊)
主権者が政治への関心を失わうと「専制と隷従、圧迫と偏狭」の自由のない社会が到来する。
ダイヤモンド社 薩長政権の「復古」はスローガンでしかない
http://diamond.jp/articles/-/112237
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/744.html#c6