5. 2017年9月12日 15:29:37 : lzwhXfvDO2 : RHLzbNv1WUE[1]
そもそも「人材」って言い方自体、人間を何かのための「素材」扱いしてるわけで。
つまり、「人材論」てのは、当人とは別の誰かや、別の何かの役に立つ「人材」になることが前提の話になってるわけよ。
だから、どうしだって障害者は不利にならざるを得ない。それを突き詰めれば「障害者は排除するのが社会のため」という、ナチスややまゆり園事件の犯人のような歪んだ考えの人間を生み出してしまう。
障害者だけでなく、年寄りや子供、子を持つ母親など(科目で言えば医療、教育、介護、福祉の費用は)工業生産とそれが蓄積する富に依存する資本主義社会の中では生産効率向上の足手纏いになる存在として、ずっとマイナス勘定に入れられ、白眼視されてきた。
カイゼンじゃないが、工業では効率性が第一だからだ。労働者のための職場環境の改善も最終的に生産性の向上に繋がってこそ評価されてテレビでも取り上げられるので、そうでないのなら、お話にもならない。
安倍が女性活躍とか、高齢者も活躍(働け)とか言うのは、今までは「使えない」とされてた人びとにも「人材」として「使い物になれ」という話だろう。
しかし、人間というものは何かの素材になるか、ならないかで価値が決まるモノではない。人々が個人としても、集団としても幸福に生きることに意味があるのだ。政府はその手助けをすればいい。
人材論はもはや20世紀の遺物。いつまでも財界や海外投資家の方ばかり向いている政治家は国民のために役立つ「人材)ではない。(笑)
別の発想か必要だ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo232/msg/223.html#c5