5. 2016年12月01日 19:22:27 : CweDVj1s6A : RgSVUmxvPRs[1]
歌舞伎にかぶれると型のない洋楽思考の音楽家は、ハテ?と自分のルーツに洋楽の血がないことに改めて気づき、アイデンティティー再構築を迫られ容易に日本の伝統に己を重ねてしまいがちで、さしずめ椎名林檎も歌舞伎の持つ様式に魅せられ、なおかつ亡くなった勘三郎とのアッチのつきあいで完全に日本固有の芸能の優位に依ることで摂り付かれてしまったようだ。
歌舞伎の敷居の高さを格式と勘違いするような梨園に対する特別視が、歌舞伎など江戸時代の大衆演劇に過ぎないことを覆い隠しており、伝統と格式を笠に着て古典芸能の雄でございとばかり歌舞伎役者が一段高みから現代の芸能界を睥睨するかのごときヒエラルキーを産み、芸事の王道は歌舞伎であるかのごとき錯覚も生まれた。
その錯覚が前述したように、日本的なるものから遠い位置に居た者ほど王道に引きずられやすい。
椎名林檎が盛んに歌舞伎の様式美を模倣するのもそれだろうが、本来の歌舞伎は幕府から睨まれ大衆の好む悪党や反逆児を演目に取り上げた、いわば国家からあぶれた者や反抗する者を称えた大衆演劇であり、様式美や格式や伝統に拘泥してふんぞりかえっている梨園の住人とのおつきあいで目覚めた日本愛はそれらとは相容れないものだ、目を覚ませって誰か俺の大好きな林檎ちゃんに教えてあげとくれ。