2. 2018年9月22日 15:50:30 : 38YacUgXyk : qP0xkK1xOaE[1]
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人はきちんと心にある感情に理屈を介さず直に感じてあげられるよう「触れてあげる」ということが大事だということ。まずはそうして自分の心をね。そして他人を知る。
心の中に在る理屈めいたものが自分の腑甲斐なさというものを演出する。
それで不可解なものに際するとパニックを起こしてしまう。
万象のすべてはその心が映し出した鏡だと云う事だと見て、物怖じもせぬ、ただ超然として自己にのみ対峙できるようになるまでは、人はすべて独自の理屈に世界を閉じ込めることだけに専念している。
そしてその理屈に自分を従わせることによって自分の身を何らかの危機的状況から守ろうと懸命となる。
全体がそうだと誰も異を唱えなくなってしまう。だからあくまで違和感を明確にする事が大事だ。
自分の中に気付いていながら尚それを不可解なものにしてしまうのは理屈を介して物事に触れようとするから。
我々の感性は常時違和感を感じ続けている。
だがそこで我々は頭脳をもてはやすだけに終始し、理屈を崇拝し、感性を下等なものへと置き換えつづける。
理屈にかぶせて上辺だけで済ませる人との関係性、全てに於いて垣根を作り、証文を交わすだけの社会規範、そこに人は防御姿勢を解かず、ますます問題を大きくひろげるだけとなっている。そして不可解な原因と理解するだけ。
感性の働きを閉じ込めて鈍らせてしまうことで問題が起こるなら、その逆を皆で始めればいい。
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