20. 2017年11月06日 16:51:44 : 4zCPbve8RU : qL3FhBq__as[1]
一つ例を出しましょう。
@1936年、パリ路上で起きた爆弾テロ、その背景には子供銀行の資金援助がかかわっている。
A1936年、パリ路上で起きた爆弾テロ、その背景にはケニア商業銀行の資金援助がかかわっている。
B1936年、パリ路上で起きた爆弾テロ、その背景にはロスチャイルド銀行の資金援助がかかわっている。
どれも今考えた嘘ですが、流石に@を信じる人はいないでしょう。
Aは知っていれば、そんなバカなという話です。ケニア商業銀行のところに東京三菱銀行を入れてもかまいません。
Bはどうでしょうか?そういうこともあるのかもしれないと思ったら、すでに洗脳されています。
BはAとほぼ同じであるにもかかわらず、陰謀論者の中では特別な意味を持ってきます。今考えた嘘にもかかわらずです。
これはすでに文章自体に偏見スイッチが内包しているのです。
(ちなみに1936年も爆弾テロもすべて今考えた嘘です)
陰謀論者は「あいつならやってもおかしくない。あいつなら当然やってそうだ。」
と考え、ソースについて疑おうとは思いません。
疑っていないので調べようともしません。
完全に魔女裁判と同じ構図です。
この場合、ソースを流した側に悪意があるのです。
陰謀論はそういう偏見を元に、複雑に論理構築されていきます。
今、このソースを流しているのは一体どこの誰なのか?その目的は?
Bをあるかもしれないと思った人は、そこに目をつけない限り、陰謀論に踊らされ続けるでしょう。
http://www.asyura2.com/17/kokusai21/msg/119.html#c20