27. 2017年5月23日 13:54:45 : eJOnExN5us : QFyTrRgRnJc[1]
石破氏>「少なくとも今の自民党の衆参両院議員の半分は自民党憲法改正草案に携わっていない。どんな議論の末に第1項を残し、第2項を変えるという議論に到達したか、その話を理解した上で第3項に何が書かれるかという議論がある」
小生は自民改憲草案あるいは石破案にも、安倍3項追加案にも、勿論反対である。第1項を残し第2項を変えるとか、3項追加とかいろいろ論議されるが、1項と2項は不即不離つうか、あるいは車の両輪みてえなもんで、1項があっての2項、2項があっての1項で、両者は切り離せないもんだろう。首と胴体が切り離せないように、両者を切り離した途端に、憲法9条は実質機能を停止する。どうも、上記の切り離しの論議が起きるんは、9条の根底にある理念あるいは哲学に対し、理解不十分つうか、そのレベルでの論議がなされない事に起因するようだ。昨5/22の天木ブログが“北朝鮮の核保有化で日米同盟は弱まると喝破したWSJ編集長”と題して、ベーカー編集長インタビューを取り上げ、天木氏は「「憲法9条こそ最強、最善の安全保障政策」と最後を締めくくった。このブログ内容に関し小生もコメント搭載し、そこで9条の理念あるいは哲学を多少論じたので、再掲載する。
「昨日も激烈デイベートで、余韻覚めないよ。神田学士会館例会後の近くの青蓮での恒例二次会で、話題は、憲法9条に関わる我が国安全保障体制についてじゃったが、小生孤軍奮闘したが、なかなか理解得るんは至難と感じたな。メンバーは、キャリア官僚・巨大新聞OB・大学教授等で、皆リベラルな思想の持ち主じゃが、我が国の常識的な世論形成の中堅層とも言えるメンバーじゃが、こと9条と安全保障体制の話題に関してだけは、小生からは到底合格点とはやれないと、いつものことだが感じたよ。最近の一連の報道等で、9条の基本理念というか構想は、日本側の提示であり、アメリカが与えたものとは言えないという点までは、参加者の共通理解あるいはコンセンサスができつつある、この点は一歩前進で評価できる。じゃけん、話題が我が国安全保障体制の現状と在り方に及ぶと、9条の理念や哲学の理解からは程遠いつうか、たちまち離れる。曰く、外国の軍隊を駐留させ、防衛を託したような国は、歴史上どこにも見当たらない、とかの意見に参加者は傾く。確かに、ここは非常に難解な論点である。9条を持ちながら、アメリカ軍が駐留し自衛隊も存在する、これをいかに斉合制もち説明するか。結論を言えば、後者の現状を、次第に前者の9条体制に合わせる方向に整備していくんが、ベストであろう、決して逆であってはならない。
9条の理念や哲学は、前文にある”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われら安全と生存を保持しようと決意した”に示されるが、ここに示された世界観を我々は再度自覚すべきだ。すなわち、どの国家も歴史的にみて、国家間の平和的な通商や貿易の拡大に依拠して、国家の発展を成してきたつうんが、通例である。覇者や専制主が一時的に登場して、そげん平和の流れを断ち切り、戦争仕掛けたとしても、長続きしなかった。ありてえに言えば、国家間は、互いにいい物を売ったり買ったり、儲け合う関係の中で、それを重視して発展してきた。儲けさせてくれる相手の国を、軍隊を送って攻めて、儲けをメチャメチャにしおるようなバカなことをする国は、そうは見当たらないつうことだよ。すなわち、我が国に戦争を仕掛け、占領を目論むような国は、どこにもねえつうことだよ。日本製品つういい物を作り、売ってくれる、その国のもんを仰山買ってくれる、儲けさてくれる、こんたな日本つうええ国に、攻め込んで、儲けを滅茶滅茶にしおる、阿呆な国は、どこにもねえつうことだよ。正に、”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われら安全と生存を保持しようと決意”つうんは、以上のことを言ってるし、以上のような事が、婉曲ながら、9条の理念や哲学に通じるもんだろう。天木氏流の
「憲法9条こそ最強、最善の安全保障政策」の所以である」