6. 母系社会[1266] leqMbo7Qie8 2016年12月23日 21:24:14 : 65kf38GVio : PFuWyPgNmDQ[1]
>>3. 晴れ間さん
●イスラム教徒と言っても地域により様々で、北アフリカのコーカソイド系ベルベル人トゥアレグ族は戦闘的イスラム教徒だが母系社会なので、男性が青い布で顔や身体を隠し、女性は欧米や日本の女性と同じように着飾り、肌を露出している。
晴れ間さんのような無知な「反イスラム主義者」でも、困った時にはイスラム教徒は兄弟と見なして助けてくれます。なぜなら、イスラム教では、異教徒も潜在的なイスラム教徒と見なすからです。
イスラム教では、アダムはイスラム教徒なので、アダムの子孫である人類は、全て潜在的なイスラム教徒と見なすからです。それで、困窮者は異教徒でもモスクに行けば、大体2〜3日ぐらいは食事や宿泊の世話もしてくれるし、イスラム教徒の富豪の家も、福祉施設のような役割を果たします。貧困者を助けるのが義務なので。
●だから、史上最も偉大な旅行家の一人とされ、有名な旅行記を書いた14世紀の大旅行家「イブン・バットゥータ」は1325年、21歳の時、1人でモロッコの自宅を出発し、お金が無くなると各地のモスクに泊まりながら、北アフリカを東に進み、エジプトを経てメッカ、イラン、シリア、アナトリア、黒海、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て、中国に達し、中国各地を見聞した後に、ついに北京で元朝皇帝にも挨拶したという大旅行を成し遂げられた。
彼が自宅に戻ったのは24年後で、その後もスペインやアフリカ奥地なども旅行・探検した。彼はイスラム法学者の一家に生まれ、イスラム法学の知識を持っていたことが彼の大旅行を助けた。しかし、14世紀に、大富豪でもない個人がこのような大旅行が出来たのは、当時のイスラム世界が安定していただけでなく、モスクという先進的施設が各地に整備されていたためだった。
●ギリシャ文明はイスラム世界が引き継ぎ、イスラム教はギリシャ哲学と格闘しながら誕生した。だから、イスラム教はキリスト教よりも遥かに洗練された哲学的宗教であり、その核心には、仏教と同じ関係主義哲学があるという。
ギリシャ文明を継承し、発展させたイスラム世界では、独自の学問や芸術が発展していたので、各地で殺戮を繰り返した十字軍を蛮族の襲来と捉え、心底嫌ったのである。
ヨーロッパには、ギリシャ文明を否定するキリスト教が広まり、ギリシャ文明は継承されなかった。しかし、8〜9世紀ごろからギリシャ文明の研究が始まり、12世紀には十字軍を媒介して、イスラム世界の文化・文明がヨーロッパにも流入し始めて、14世紀ころにルネサンスが始まった。
この頃は遥かに、イスラム世界の方が洗練された寛容な文明社会を建設していた。だから、西アジアには、コプト教やネストリウス派などの古代のキリスト教が、今でも残っている。
トゥアレグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B0
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/377.html#c6