11. 冷笑者[30] l@KPzo7S 2017年8月10日 23:19:04 : mbgNsq5N8A : pb1ojSXDuBA[1]
赤かぶさんの言葉に楯突くようだが。関東軍は南方転属・本土防衛で弱体化していたとは言え、兵隊だけはいたのだ。いたから何十万もシベリア送りにされたのだ。
ソ連軍がドイツ降伏の3か月以内に米国の要請に従い日本を背後から攻撃することはヤルタ会談の大密約で、その情報は在ロンドンのポーランド正統政府のユダヤ人イワノフを通じてスウェーデンにいた小野寺大佐が掌握し、大本営にも伝えられていた。期限ぎりぎりの8月8日ソ連は対日宣戦し、翌日満を持してソ連軍は越境した。国境線の関東軍守備隊は壊滅し、満鉄沿線の関東軍は駅に押しかけていた満蒙開拓団の婦女子に銃を向けて乗車させず、自ら(とその一部家族のみ)朝鮮へと南下した。軍が国民を守らず、防衛線再構築を名目に逃亡するという世界の戦史上例を見ない醜態を演じたのである。
ソ連参戦必至の情報はあったのに、国境線近くの開拓団の撤収をサボったことについて瀬島参謀は弁解しているが、「起こってもらいたくないもの」を見ず、対策をしない日本人独自のオツムの弱さがあったのだ。欧米人は何をおいても最も避けたい悲劇の回避から始めるのに何たる情けない国民性!世界最悪の原発事故を起こしながら漫然と原発再稼働を続ける政府とそれに盲目的に追従する日本人の姿とそっくり重なるではないか?ドイツ人スイス人は呆れ果てている。
ソ連軍の程度の悪さは囚人服の連中がいたことでもわかるが、大連市などの都会地では非行兵士を列車に追い詰めたカーゲーヴェー職員が現行犯として射殺する場面も見られたと聞かされた。もちろん他人の目がなければ見て見ぬふりだったようだ。日本人に農地を奪われた地元民の仕返しは当然あったが、現地人を大事にしてきた日本人は大切に扱われたと経験者から聞かされている。そういう土壌の上に例の中国残留日本人孤児の物語があるわけだ。憎しみばかりなら、何で皆殺しにしなかったのだろうか?孤児を育ててくれた中国の母親にはどんな感謝の言葉をおくっても、日本人全体感謝のし過ぎはない。世の嫌中論者は多分そういった人間らしい感情のないカタワものだと思う。
私はハルビン戦車隊の生き残りから大変良い話を聞いたので、披歴しておきたい。
彼らはソ連軍の自動車部隊に配属され、使役されたのだが、ソ連軍将校団は大変垢抜けした紳士的軍人で、自分たちに配給される砂糖・タバコなどを集めて確保し、それを日本人捕虜に回してくれた。それを知った日本人は恩を感じて仕事に精を出し、友好的雰囲気が生まれた。対してドイツ人捕虜は頭からロシア人をバカにして口もきかず、気を許した日本人を小ばかにしたと。
シベリアでの重労働ばかりかと思っていたら、やはり技術系は厚遇されたのだ。戦争は運しだいと言われるが、まことにさまざまな体験があったものだ。
最後に、敗戦後満洲には100万近い日本人がのこされた。日本政府は彼らを内地に引き揚げさせることを拒否し、満洲で土になれと言った。国内での飢餓状態を緩和するため、棄民政策をとったのである。体験者なかにし礼氏の「赤い月」が書いた通り。
日本軍と日本政府にはそのような恥ずべき前科があることを忘れまい。
満洲残存日本人を救ってくれたのは米国だった。蒋介石軍を満洲に送った空舟に日本人を載せて日本に届けてくれたのだ。国共内戦のお蔭だった。日本人は昔から他人の不幸で儲けさせてもらうラッキーな国だったということになる。