25. 2018年12月16日 23:21:56 : QleTUVlRj2 : Pa7OTxAneEE[1]
24様、
興味を持って頂いてとても嬉しく思います。
この記事の一番上にこの記事のオリジナルへのリンクがあるので、クリックして移動してみてください。 そこに、コメントを書きましたので、読んでくださると嬉しいです。 非常に大切な事を書きました。
尚、太平洋諸島で捕虜となった日本兵も、米軍によるこの種の残虐行為の対象となりました。 そのことは、大西洋飛行横断で有名なリンドバーグの日記に克明に描かれています。当時、確か、リンドバ―グは郵便物の輸送であちこち飛行していた様で、グアム島かどっかの島で目撃した米軍の蛮行を日記に書きつずっています。 残酷すぎて、ここには書けない様な事です。
多分、英語で、リンドバーグ、日記、WWll、とかを繋げて検索すれば出てくると思います。
日本政府の『米軍が本国に上陸したら婦女はレイプされ男は…』とか言うプロパガンダが、そんなに外れていなかった、と感じてしまう様な事です。
本当に、ドイツのナチス政権下のドイツが、ハリウッドの映画の様に恐ろしいものであったかは、疑問です。
1918年生まれの、義父は戦争に行きませんでした。
彼は戦争勃発した時に、近所の友人と『ドイツは負ける。』とビール一箱の賭けをして、『この戦争には絶対行かない』と宣言したそうです。どうして兵役を逃れたかと言うと、自分の愛車で出かけて、たまに家に帰って来るのを繰り返していただけです。 『赤紙?』が来ると、ワイフが『夫は出かけています』と言っただけで、済んだそうです。 それだけでは無く、彼は4hの地主だったので、農業を義務付けられ、2人のフランス兵捕虜をあてがわれたそうです。 ある日、そのフランス兵達に『明日、逃げたいから、今度はなるべく長く、帰って来ないで』と言いわれ、『そりゃ、困る』の返事に、『もう、逃げる事に決めた』と。 帰って来たらフランス兵は消えていましたが、何の罰も受けなかったそうです。 ハリウッド映画ならゲシュタポに連れてかれ、拷問ですね。
終戦直前には、12−3歳から70才位の全男性が徴兵されました。 そのとき、彼は足を折って、その場をしのぎましたが、それでも呼ばれたので、松葉杖をついてブレーマーハーフェンに集合しました。 隊長が『船に乗りたくない奴は一歩前に出ろ!』と叫んだので、一歩前に出ると『さっさと、家に帰れ!』と怒鳴られたそうです。 船は、東プロイセンの難民を連れに行くところでしたが、爆撃で、沈没。全員死亡したそうです。
義父の敷地には母屋以外に、事務所として建てた大きな建物があり、彼は、戦後、その建物に東プロイセンの難民の約12世帯を受け入れました。 全てが、女性と子供達だったそうです。男性の全ては、捕虜になるか殺されたのです。
その様な事情から、戦後のドイツでは、労働力が足りなく、トルコからゲストワーカーが、やって来ることになりますが、。。。。この事に触れるのはやめます。
もう一度お願いします。この記事のオリジナルに行き、私のコメントを読んでください。