7. 母系社会[1285] leqMbo7Qie8 2017年2月09日 22:10:43 : QQGS0TL6Sg : oucBC3T_3TI[1]
●世界で、最も強い民族は、大軍にも逃げずに戦い全滅したスパルタ軍や、アフガンやパキスタンのタリバン=パシュトゥーン人(人口3000万前後)のように、100年でも200年でも戦う民族。
なぜなら、スパルタやアフガンの諸民族は、生命よりも名誉=プライドを重んじて最後の一人まで戦う民族で、降伏しない民族だからだ。このような民族が全滅を覚悟した場合は、台湾占領初期の1930年に起きた台湾先住民である「霧社セデック族」と日本軍との戦い=「霧社事件」の時のように、戦士はまず、自分の家族を全員自ら殺し、それから死ぬまで戦う。
●かつて顔に入れ墨をしていた頃の日本人は、パシュトゥーン人や「霧社セデック族」のように、生命よりもプライドを重んじて最後の一人まで戦う民族だった。
それで、「死ぬまで戦う」という戦いの文化や美学が精神の遺制として残存していた戦前の日本では、天皇政府と軍中枢が、この精神の遺制を利用した「戦陣訓」で皇軍兵士に、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」と命じ、皇軍兵士には降伏することを許さず、玉砕を求めた。
しかし、何と部下に死を求めた天皇と軍中枢は、自分たちは玉砕よりも捕虜になることを選んだのである。
これが、日本の支配階級最大の裏切りだった。
「死ぬまで戦う」という戦い方は明治以前の理に合わない戦争文化であって、近代人なら、死んではリベンジできないから、何としても生き延びてリベンジすべきと考える。それに、捕虜になれば敵の食糧も減らせるし、敵は捕虜の警備にも兵を割かなければならなくなる。
しかし、「死ぬまで戦う」という戦争文化・戦士の美学が日本には精神の遺制として残存していたので、戦意・士気を重視したアホが、これを利用することを思いつき、「戦陣訓」に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」と書き込んだ。
それで、兵士はバンザイ突撃する破目になり、どれだけ多くの日本兵が犬死する運命になっただろうか。
●しかし、多くの日本人は、政府が皇軍兵士を裏切って降伏したことで、生き延びることが出来たし、前線の兵士らも本音では、生きながらえたことを喜んだ兵士も多かった。
しかし、日本がパシュトゥーン人のように、犠牲を無視して本土で100年でも200年でも戦う一億玉砕戦を行えば、米軍は撤退するか、講和を求めるしか無かったのは間違いない。死を覚悟した数千万もの人々に勝てる軍など無いからだ。
つまり、建前とは裏腹に、天皇自身も、多くの日本人も、名誉=プライドよりも生命を重んじる近代人に、既に変身していたのである。
「明治維新」以来日本人は、日本政府の誘導で西欧文明をたっぷりと浴びることを奨励されて、それに素直に従ったので、既に「パラダイム・チェンジ」を起こして近代人へと変身していたのである。
●プライドよりも生命を重んじるべきか、あるいは逆に、生命よりも名誉=プライドを重んじて最後の一人まで戦うべきかは個々人のレベルではなく、歴史的、文化・社会的に、つまり共通認識=共同主観的に決まることであって、近代人のように、<プライドよりも生命を重んじる>のは、別に恥ではない。
死んではリベンジできないから、何としても生き延びてリベンジすべきというテクニカル的な論理も成り立つからである。
先の大戦を武器の問題=生産力や軍事技術の問題として総括した戦後の日本人は、実は、あくまでも<プライドよりも生命を重んじるべき>という近代主義を前提に、総括したに過ぎない。
ISやアルカイダに献金し、時には出征するシンパは数百万もいるという。
だから、ISやアルカイダと戦う近代主義の米露も同様に、戦意よりも武器を重視しているので、ISやアルカイダのように、生命よりも神の命令やイスラム教徒としてのプライドを重んじて自爆攻撃も厭わず、100年でも200年でも戦う集団=降伏しない集団には、絶対に勝てないことが理解できない。
ISやアルカイダとの戦いは、武器ではなく精神で戦うべきであり、「穏健な」イスラム教徒の「ウラマー」=イスラム法学者の説得に任せるべきである。
霧社事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6