2. 仁王像[1453] kG2JpJGc 2017年4月15日 21:03:12 : A5X3ybMdKQ : OstQIo787eY[3]
【出版社→朝日出版社に訂正】
朝日出版社 第二編集部 ブログ
http://asahi2nd.blogspot.jp/2015/01/isezakimaegaki.html
まえがき
2012年1月8日、日曜日。
雪がチラホラ降るなか、初めて訪れた福島県立福島高等学校は、東日本大震災で2つの校舎が使用不可能になっていた。
休日の誰もいない静まりかえった廊下をしばらくたどると、かすかにざわめきが聞こえて来る。ドアをあけると、総勢18名の高校2年生。
このときの僕は、ガチガチに緊張していたと思う。
相手は多感な年頃である。子供には、理想を思い描き、没頭する特権がある。そうであればこそ、冷たい現実のなかで彼らに知らせなくていいものは、確かに存在する。2人の息子の親として、そう思う。
本書の企画は、僕の講義の相手をずっと探していた。福島高校になった経緯は、あとがきに譲るが、僕の経験のどこまでを知らせていいのか。実は、この初日までまったく焦点が定まっていなかったのである。
僕は国際紛争の現場で、戦闘を止めさせるために、武装勢力の犯罪を反故にしたり(なぜなら罰されるとわかっていて銃を下ろすわけがないから)、アメリカが破壊した国を、アメリカの利益になるように作り替えたり、それが上手くいかないとなると、テロリストと呼ばれた人間たちとの和解を模索したり……。つまり、戦闘がない状態を「平和」、悪いことをした人間を裁くことが「正義」だとしたら、両者が必ずしも両立しない現実を経験し、いや、そういう現実をつくる当事者としてやってきた。
僕の経験と知見(そう呼べるとしたら)は、あくまで、彼の地における異邦人としての立ち位置のものである。つまり、国際紛争の当事者たちとは、密接にかかわることがあっても、決定的な壁が存在する。彼らが被る、生存にかかわる「脅威」を理解できても、共有することはない。
しかし、2011年の大震災と東京電力福島第一原発事故では、日本人として僕自身が「脅威」を共有することになった。
「脅威」は、時に人間に、それから逃れるための究極の手段として、戦争を選択させる。
「平和」と「正義」の関係は一筋縄ではいかなくても、やはり、何の罪もない一般民衆が、自らがつくったのではない原因で命を落とすことは、何とか最小限にとどめたい。でも、その「脅威」の形成に、実は、罪のない民衆自身も主体的にかかわっているとしたら。
こんな自問自答が、日本に落ち着き、大学に身を置くようになって以来、日増しに強くなっていった。僕自身、当事者としての「脅威」の実態を見つめる機会と仲間がほしかった。
福島高校の彼らは被災者である。さらに、原子力産業というひとつの構造的暴力の被害者側にいる。ヘタなことを言ってガラス細工のように壊れちゃったら……。
杞憂であった。
彼らのほうが冷静で、かつ辛辣な観察にユーモアを添える余裕も持ち合わせていた。5日間延べ20余時間に及ぶ授業のなか、僕自身が「日本人のありよう」を思い知らされる場面があったのだが、そんなときも、うろたえる僕を慮るおおらかささえ感じた。
震災、そして原発事故という非日常のなかにいた彼らと、国際紛争という通常の日本人には非日常な世界を、単に知識・情報の伝達ではなく、どこまで共有できるか。
その試みは、予想以上にスリリングであった。