4. 笹の葉さらさら[1] jfmCzJd0grOC54Kzguc 2017年1月10日 02:13:33 : p3o7zdHfE2 : nouVy@mrcSM[1]
空想的といいますか、トンデモ話といいますか、
思いついたことを表現するテストです。
天皇制廃止論者は、「天皇には人権がなくて可哀想だから、一般人のようにしてあげるべきだ」などというロジックを用いられます。
これは確かに一理あるように見えます。このような視点は大事な視点だと思います。例えば今上天皇は高齢にかかわらず、
多忙な日常を過ごしておられ、確かに気の毒に見えます。私は本人ではないので、想像するしかできませんが、
今上天皇が私利私欲で動いておられる風には見えません。[公の心]で職務にあたっておられるように感じます。
あるいは[公の心]ではなく[自我(エゴ)]で職務にあたられると、気が狂ってしまうようなポジションにおられるように見えます。
仮にそうしますと、何と尊いお方でしょう、と思えます。
時々、後醍醐天皇のような権力を振りかざすような人物も現れるかもしれませんが、おおむね天皇は[公の心]で職務にあたっておられるのかも知れません。
もしそうだとすれば、私たちの手本となるような象徴的な存在だという風に言えるかも知れません。仮に[エゴ]の強い私たちが天皇のようなポジションを経験するとしますと、
自我の強い私たちは、直ぐに、音をあげることになるでしょう。
そうしますと、天皇に人権を与えるということは、[公の心]の天皇に[エゴ]の強い私たちの方に歩み寄らせるということになります。
一つの選択肢だと思いますが、それでいいのだろうか?という疑問が沸いて来ます。
すなわち、歩み寄るのは天皇の方ではなく、私たちの方ではないか?、ということであります。
[エゴ]の強い私たちの方こそ、「公の心」の天皇の方に歩み寄る、という発想を検討して下さい。
私たちが少しでも[エゴ]を捨てて[公の心]の方へ近づく、という発想です。
少し大げさかも知れませんが、もし私たちが少しづつでも[エゴ]を捨てて、少しづつ[公の心]へと置き換えることができますと、
世界は平和へと少しづつでも近づくのではないか、このように思いました。
ユートピアというか共産的な社会が出現する可能性が出てくるという気がします。
逆に言うと、社会のシステムを改善することは必要だと思いますが、社会のシステムだけをいくらいじくったとしても、
平和で共産的な社会はいつまで経ても実現しないのかも知れません。
最近では左とか右とか言われなくなりましたが、天皇制に否定的で地上でのユートピアを夢見る(あるいは見ていた)左寄りの論者も天皇制を否定すれば、
ユートピアへの道は断たれてしまうかも知れません。ひょっとすると、右寄り人たちだけではなく、左寄りの人たちにも天皇制は必要なのかもしれません。
検討して頂ければ幸いです。
(もちろん先の大戦での手痛い失敗を教訓にする必要はありますが、私たちが彼らが「神国」というとき、その内容が何を指し示すのか?、
ということに注意する必要があると思います。何であれ、私たちが指し示すものは私たちの内面=心境によって変わってきます。
美しい花を観ても、心境が荒んでおりますと、美しさは分かりませんし、逆に何でもないないモノゴトでも私たちの心境が安心しておりますと、
楽しいものに見えます。
観察していれば気づくと思いますが、私たちの外部にあるものの印象は、私たちの内面に依存していると思います。
私たちは色々な視点をもっていますが、私たちの外界にあるモノゴトの印象は私たちの内界の参照になっている、という視点があります。)
先日、深夜番組で天皇制廃止または存続について議論しているのを観ましたが、賛成論者の竹田恒泰さんと廃止論者の学者のナントカ先生が議論しておられました。
ナントカ先生が天皇の人権について言及されても、竹田さんは天皇の人権について必要とも必要がないとも、という風に煙に巻いていかれ、
ナントカ先生がそんな竹田さんに対して「あなたは天皇制を肯定したいのか、否定したいのか、どうしたいのか、さっぱり分からない」などという風に強く問いただされ、
竹田さんは単に「天皇制を存続させたい」と応えられているのが、印象に残りました。現代的には天皇制について正確に説明をしようとすると、
かえって誤解を与えるので、あえて竹田さんは煙に巻いておられたのでしょうか?私は本人ではないので、上記は私の空想にすぎませんが、上のような感想をもちました。
天皇は現人神なのでしょうか?天皇は人間なのでしょうか?両方でしょうか?
もし天皇が現人神ならば、私たちも神なのでしょうか?色んな疑問が沸いて来ます。
そもそも神は存在するのでしょうか?神が存在することを証明することはできませんが、
考えてみると、例えば自分の目の前にコップがあるとしても、コップが存在することも証明できないと思います。
例えばあなたが腕時計をしているとします。この腕時計はあなたのモノでしょうか?
この腕時計があなたのモノだとすると、どうしてそう言えるのでしょか?
本当は皆がこの腕時計をあなたのモノだと認めてくれているから、あなたの腕時計として成立しているのだと思います。
日日、私たちは存在するモノコトを当たり前のように受け入れていますが、本当はこのように存在するということはあやふやなと言いますか、
危ういものを抱えていると思います。このような理屈が神の存在を証明しているとまでは言えませんが、検討して頂くと幸いなのであります。
http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/287.html#c4