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NM6VfBD@Fjw コメント履歴 No: 100000
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[政治・選挙・NHK227] 小沢一郎氏 自民党政治は小泉・安倍時代に完全に変化(週刊ポスト) 赤かぶ
3. 宇宙の塵[277] iUaSiILMkG8 2017年6月21日 20:37:51 : eh8QFNbjyC : NM6VfBD@Fjw[1]
 
《 今は政治家にも「配分の公平」を古くさいと考える新自由主義者的な考えの人が増えているようだが、政治リーダーは国民の暮らしと命を守っていく基本哲学を常に頭に置いていないといけない。 》
 
《 僕は政治の本質を仁徳天皇の「民の竃」の逸話(都の人家の竈から炊煙が立ち上っていないのを見た仁徳天皇は、3年間租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅を葺き替えなかったと伝えられる)だと考えている。 》
 
《 アベノミクスは弱肉強食の自由競争で、地方や弱者の存在を切り捨てる政策だ。上から押しつけるだけの権威主義的な政治手法も自民党の伝統とは異質。 》 《 小泉、安倍両内閣時代に完全に変わった。強い者をより強く、弱者は滅んでもいいという政治になった。自民党の庇を借りて母屋を取ったわけです。今はもう自民党に本来の住人はいなくなったように感じる。 》 
 
自分の政治理念を、上のように自分の言葉で、杓子定規の紋切り型でない噛み砕いた言葉で語れる政治家は、もっともっと脚光を浴びて然るべきである。小沢さん、今こそ、どんどん発信を続けて下さい。

これらの凝縮された平易な言葉を通じて、彼の政治家としての闘いが既得権層との闘い、政界・官界・経済界・報道界に巣食う既得権層との闘いであったことを国民は理解するでしょう。そして、それは取りも直さず対米従属を是とする各界シロアリ族との闘いであったことを、国民はいつか知ることができるでしょう。その日が来るまで、国民の先頭に立って、生涯現役で闘い続けてもらいたいものです。ガンバレ小沢! 負けるな一郎!
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo227/msg/766.html#c3

[政治・選挙・NHK227] 会見で食い下がった東京新聞記者 菅官房長官を動揺させた突破の質問力〈AERA〉  赤かぶ
5. 宇宙の塵[278] iUaSiILMkG8 2017年6月21日 21:56:53 : eh8QFNbjyC : NM6VfBD@Fjw[2]

>>4さん

大新聞各紙が権力の矢面に立たされあえなく変節していく中で、「軍部の圧力に屈せず、議会政治の擁護を訴えて一歩も引かなかった」地方紙が戦前もあったのですね。
「歴史は繰り返す」にならないよう、大新聞(そして当時はなかったがテレビ局も)は当時の何が変節の分岐点だったのかを検証し、国を過つ先棒担ぎにならないよう心して頂きたいですね。
以下、少し長いですがある論文から一部転載します。
 
 
C 戦戦時下の言論でさん然と輝く『信濃毎日新聞』『福岡日日新聞≡現『西日本新聞』
 
 そうした大新聞の姿勢とは逆に、戦時下の言論では『信濃毎日新聞』の桐生悠々や福岡日日新聞≡現『西日本新聞』)の菊竹六鼓のほうがさん然と輝いている。
満州事変に続いて起きた5・15事件では菊竹六鼓が軍部の圧力に屈せず、議会政治の擁護を訴えて一歩も引かなかったことは有名である。
ところが、菊竹が軍部への痛烈な批判と同時に、『朝』『毎』の大新聞の弱腰ぶりに苛責なき批判を加えたことは案外知られていない。現在の大新聞の記者たちはこの菊竹の命をかけた言論のきびしさをどう受けとめるだろうか。
決して批判ができなかったのではない。たしかに軍部を中心に言論の自由や批判に圧力はあったが、菊竹や桐生のように地方の小新聞でもできたことが、なぜ、最も発言力のある大新聞ではできなかったのかは、現在にも引きつがれた課題であろう。
『福岡日日』の1932(昭和七)年5月19日「騒擾事件と与論」で菊竹はこう論じている。
「今回の事件(五・一五事件)に対する東京大阪等の諸新聞の論調を一見して、何人もただちに観取するところは、その多くが、何ものかに対して、恐怖し、畏縮し、率直明白に自家の所信を発表しえざるかの態度である。
いうまでもなく、もし新聞紙にありて、論評の使命ありとせば、かくのごとき場合においてこそ充分に懐抱を披瀝して、いわゆる文章報国の一大任務をまっとうすべきである。しからずして左顧右眄、いうべきをいわず、なすべきをなさざるは、断じて新聞記者の名誉ではない」
 七月二十三日「新聞紙と保護」では『朝日』が「村山商店」、『毎日』の本山彦一社長が「新聞は商品なり」と唱えた点を皮肉り、魂を売ったときびしく批判している。
「日本における新聞紙のすべてが、武藤(山治)氏の所説のごとくその魂を失ったかどうか、商品化しおわったかどうか、は少し疑問があるかもしれぬ。
けれども東京大阪をはじめ、日本新聞界を代表し支配する有力な新聞がその魂を失い、全然商品化しおわったことは眼前の事実として、なんら議論の余地なきところである。
自家のもっとも尊貴なる新聞としての使命を自らすすんで放棄し、新聞紙を一個の商品としてとり扱うことが、なにか時代の先端をゆくものの誇りなるがごとく謬信し、新聞社を新聞店と称して得々たるものあるがごとき状況において、新聞紙の堕落が必然にきたるべきは自ら分明である」
 五・一五事件で、同業の菊竹六鼓にこのように痛憤されるほど、真実を貫き、言うべきことをはっきり言う勇気に欠けていた大新聞が、以後急角度に軍部ファシズムを完成させ、戦争への道を転落していく歴史的経過のなかで、言論機関から一宣伝機関になり下がるのは時間の問題であった。
 
 
(以上、下記原典からの抜粋)
 
『兵は凶器なり』A  −15年戦争と新聞 ―  1926−1935
自らを罪するの弁
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)
http://maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/02.pdf
 
  
http://www.asyura2.com/17/senkyo227/msg/767.html#c5

   

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