34. 仁王像[2561] kG2JpJGc 2019年2月12日 20:05:40 : HFl1Y1Iw7U : NlLD5zUWLuw[1]
(タイトルを一瞥しただけの反応だが)
古賀茂明氏は、”もの言う役人”ということで知られていたが、役人からの”華麗な”転身に何らかの齟齬が生じたのだろうか。
彼の本によると、現役時代、ある組織に天下る勧めがあったという。年俸はそこそこで不満のないものであった、と(その代わりものが自由に言える立場ではなかったろう)。
だが、彼はそれを蹴って、民間の一言論人になった。それまでの行きがかり上、天下りを自分に許せなかったのか、それなりの目算があったのかは分からない。
放ステを降番するとき、古舘と言い争いになった場面をたまたま目撃した。ここでの古賀の態度は見苦しく感じた。古舘「通常の人事にである」の通りだったのか、テレ朝に嫌われたのかは分からない(そこは視聴者が判断することだろう)。
テレビ出演の言論人が降番になることはあり得る。文句があるなら事務局と談判すべきである。
「歯切れが悪い」との評は、彼の「党派性」が曖昧なところから来ているのではないか。
彼は統治者側に席を置いてきたし、そのこと自体が問われることはない。良い統治者として統治者側に身を置き、国民のためになる”良い統治機構”の形成に尽力する道もあった。
出世は望めないかもしれないが、案件によっては部分的に評価されることもあるだろう。実際、そんな生き方をしてる人も多いだろうし、そんな生き方も認められて然るべきである。
そこが曖昧である。転身を決意したとき、被支配者側に立つと決意したのかどうか。
歯切れの悪さは、ここから来ていると思う。
(補)
某陰謀論の大将にも、統治者側に身を置いて、末端から統治者中枢に向かって、統治の仕方について批判・異議申し立てするのは有り得ること、と言ったことがある。
俗に”良い統治(者)”と”悪い統治(者)”に区分けするのは、異常なことではない。
民主政(デモクラ)では、代議制で選出された政治家に各種権限を移譲する。
彼らが民衆の負託に十分応えられない場合は、引きずり降ろして血祭りに上げるということ(小室、副島)。