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[政治・選挙・NHK218] 安倍首相が“真珠湾訪問”で欺瞞のスピーチ! オリバー・ストーン監督らが徹底批判するも日本のマスコミは(リテラ) 赤かぶ
42. 2016年12月29日 21:47:41 : Zk8VrHSNlI : njpCeTMgx5g[1]
日米戦争の元凶はこれだ!
日米通商条約廃棄とセットになった反日宣伝の歴史に焦点を合わせると・・・・・

日米戦の原因については色々な説が語られている。
1924年7月1日に施行された「排日移民法」が大きな要因であったということについては、昭和天皇も指摘されていた。1929年の大恐慌の後の1930年、アメリカはスムート・ホーリー法で2万品目に平均で50%近い関税をかけるという保護貿易政策をとった。世界経済に占める立場を顧みないこの超自己中政策は世界のブロック経済化の引き金となった。
1929年の日本の全輸出の42.5%がアメリカ向けであったのだから、日本が受けた打撃がいかに大きかったか想像できる。さらに英連邦、フランスなどがブロック経済政策をとった結果、これらの経済圏でも日本の輸出が妨げられたのだから、日本は大苦境に立たされたわけである。
しかし、これらは戦争の遠因ではあったが、直接の戦争の原因だったということはできない。なぜなら、これらの保護貿易政策により、日本を攻撃しようとしたわけではなく、また日本がこれに対抗して戦争を始めようとしたわけではなかったからである。では日米戦の実質的な始まりはどこと考えるべきなのか。

日米通商条約廃棄通告

1939年7月26日、アメリカのセイヤー国務次官補は、突如として、次の通商航海条約廃棄の通告文を須磨参事官に手交してきた。

「最近数年来、アメリカ政府はアメリカと他国間に締結された有効なる通商航海条約に関し、右の条約の締結された目的をよりよく達成するためにはどのような変更が必要であるかを決定すべく検討を加えつつあった。以上の検討中にアメリカ政府は1911年(明治44年)2月21日ワシントンで調印された日米通商航海条約が新たなる考慮を必要とする条項を含んでいるとの結論に達した。このような新たなる考慮に対し途を開きかつ新たな事態の発生に即応しアメリカの権益を擁護し促進せしめるため、アメリカ政府は該当第17条の規定に従い、ここに本条約の期限終結を希望する旨通告する。しかし、かかる通告がなされた以上条約及び付属議定書ともに本日より6カ月以後に満期となるものと期待する」

文章を読めば分かる通り、何か重大な紛争事項があるために廃棄するというものではない。実は本音は支那事変がその理由なのだが、とてもそれを理由に通商条約廃棄など出来る状況ではない。
全くの一般論の手続き的なことしか言えない通告書なのである。つまり、何の理由もなく一方的に通商条約廃棄を通告してきたのだ。
通常よほどの敵対関係に立ち入らない限り、通商条約廃棄など行うことはない。戦争の一歩手前でこそ通商条約廃棄ということが起こり得るというのが世界の常識である。
当時も同じであった。この廃棄について、イギリスの『マンチェスター・ガーディアン』紙(1939年7月28日号)は「日米通商条約廃棄の如きは米国史上未だその例を見ざることであり、したがってその意味も重大かつ明確である」と書いている。アメリカ史上初めてという重大な意味をもつ行為であるのは、これは準宣戦布告というべきものだからである。
日本はアメリカに対して何も敵対し、害を与えるようなことはして来なかったし、またしていない。支那事変に関しても具体的にそれを指摘できるような被害をアメリカに与えているわけではない。にもかかわらず、日本に対する敵対姿勢を明確に通告しようとしてとった方法が、「理由なき」通商条約廃棄通告、すなわち準宣戦布告であった。
残念ながら、日本政府はこのアメリカの意図の重大さを十分に理解していたとは到底思えない。有田外務大臣は、国会で「この通告に対して日本の真意を理解してもらえうように努める」などという能天気な答弁をしているのである。
こんな準宣戦布告が一体どうしてなされることになったのか。実はそれを推進する組織、書籍、宣伝戦、世論が存在していたためなのである。日本は日中の戦争における全面的な侵略者、犯罪者であるというのがアメリカ人の常識となってしまっていた。それを強調し、利用したある反日の活動が行われたためなのである。

宣伝戦に負け続けた日本

・盧溝橋事件(1937年7月7日)の後の通州事件(1937年7月29日)などは中国の正体を世界に知らせる好機だったが、日本政府はそれを行わなかった。
・画期的な船津和平提案についてもこれを世界に宣伝せず、しかもそれが大山中尉惨殺事件で中国側によって葬り去られたことも世界に向かって宣伝しようとしなかった。
・第二次上海事変(1937年8月13日) 
中国正規軍3万による日本の上海陸戦隊4千への一方的な一斉攻撃。条約に基づいて駐屯している軍に国家の意思として一方的に全面攻撃をかけると自国内であっても侵略戦争となる。安保条約で駐留している米軍に自衛隊が攻撃をかければ、日本国内でも日本の侵略となるのが国際法である。したがって、中国による侵略戦争が開始された。しかし、日本政府はそう非難せず、支那事変などという曖昧な語で本質を隠蔽してしまった。
・1937年8月14日
中国爆撃機が上海租界パレスホテルなどを誤爆し、1741人殺害(ライシャワーの兄も死亡)。そのほとんどが中国人だったが外国人も含まれていた。中国軍の自国市民、外国市民虐殺を非難すべきであった。勿論しなかった。
・1937年8月30日
中国は自分から攻撃を始めたにもかかわらず、図々しくも国際連盟に日本を提訴。
・1937年8月31日
反日的傾向が強かった『ニューヨーク・タイムズ』が「中国が一方的に攻撃」と報じた。
「上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は1つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである」
しかし、日本政府はこれを使った徹底的な中国の提訴への反論を行わなかった。
・1937年10月5日
ルーズベルトの隔離演説(ここで日本を侵略者と断定)。
・1937年10月27日
日本政府、英米仏独伊に対し日支交渉のため第3回の好意的斡旋を受諾する用意のあることを表明した。ドイツがこれに応じ、トラウトマン(駐支大使)工作が開始された。しかし蒋介石はこれを拒否した。
・1937年11月15日
アメリカ駐日大使グルーに和平斡旋を依頼したが、アメリカはこれに応じなかった。和平斡旋を拒否しているのは、アメリカであり蒋介石であることを世界に宣伝していれば、日本が悪者になることはなかった。しかしやらなかった。

こうしているうちに、翌1938年7月には元国務長官のヘンリー・スティムソンを名誉会長とする『日本の侵略に加担しないアメリカ委員会』(The American Committee for Non-Participation in Japanese Aggression)が結成される。理事長は元在漢口アメリカ総領事のロジャー・グリーン、事務総長には元燕京大教授ハリー・プライス、発起人にはマーガレット・フォルシス(YWCA 北米同盟)、フランク・プライス(在中宣教師)、アール・リーフ(元UP中国特派員)、ジョージ・フィッチ(中国YMCA主事)、ヘレン・ケラー(作家)、マクスウェル・スチュワート(『ネイション』副編集長)、フィリップ・ジャッフェ(『アメラシア』編集長)、T・A・ビッソン(外交政策協会研究員、『中国における日本』著者)などそうそうたるメンバーが名を連ねている。
実質的には、YMCA、YWCAがその中核組織となり、その傘下に1000万人を超える会員を抱えていた。これにコミンテルンのフロント、知識人、ジャーナリストを組織するという大きな影響を持つ大衆団体である。したがって、政府への影響力、マスコミへの影響力が非常に強い組織である。

この会の主張は、
・日本は中国の国土に不法な侵略を行っている。
・日本は軍需品仕入れの半分をアメリカに依存している。
・つまりアメリカは侵略者日本の共犯者となっている。
・平和のためアメリカは共犯者であることをやめるべきである。
・すなわち日本との貿易関係を、犠牲を払ってでも停止すべきである。
であった。
つまり、日本との貿易関係の停止を主張したのであるが、その発足から1年後には、この主張が実際にアメリカ政府の政策として採用されることになったのである。

隔離演説
作者:フランクリン・ローズヴェルト
訳:利用者:Lombroso
1937年
https://ja.wikisource.org/wiki/%E9%9A%94%E9%9B%A2%E6%BC%94%E8%AA%AC

アメリカ「隔離演説」(1937年)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1937_kakuri_enzetsu.html
「中道政策」
昭和12(1937)10月5日、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトはシカゴにおいて演説し、世界人口の9割の平和と自由と安全が国際法と秩序を踏みにじる1割の人間に脅かされているとし、「不幸にも世界の無秩序という病気が広がっているようだ。身体の病気が広がり出したら、社会はその健康を守るため病人を隔離するものだ」とほざいた。
これは「隔離演説」と呼ばれ、支那事変勃発後、アメリカ政府指導者による最初の明白な日本非難であった。国務省が作成した演説原案には「隔離」云々の部分はなく、演説直前にフランクリン・ルーズベルト自身が入れたのだ。
この「隔離演説」は激しい非難を受けた。演説後、6つの平和主義団体が、フランクリン・ルーズベルトはアメリカ国民を世界大戦の道に連れて行こうとしている、との声明を出した。アメリカ労働総同盟は「アメリカの労働者はヨーロッパ、アジアの戦争に介入することを欲しない」との決議を行った。アメリカを参戦させないための請願に2500万人の著名を求める運動も始まった。
「隔離演説」の挑戦的な調子が、アメリカ国民の間に戦争に対する危惧と反発を招いたのだった。

反日ブックレット

『日本の戦争犯罪に加担しているアメリカ』の表紙に書かれている文言
AMERICA'S SHARE IN JAPAN'S WAR GUILT
TAKE AMERICAN WAR PROFITS OUT OF JAPAN'S AGRESSION IN CHINA

この運動の武器として作成されたのが、ブックレットである。80ページの『日本の戦争犯罪に加担しているアメリカ』というブックレットは6万部作成され、連邦議会上下両院の全議員、全米各地の大学、キリスト教団体、婦人団体、ビジネス協会、国際関係協会、労働組合などに配布された。他にも『戦争犯罪』というパンフも作っているが、このブックレットの影響力は強烈で、1年足らずで彼らの目標を達する原動力になったのである。
なぜ影響力が強烈かといえば、ブックレットに主張が取り上げられている人たちがどのような人かを見ると、なるほどと納得できよう。主な人物を挙げると、
<政府関係>
■ヘンリー・スティムソン前国務長官
■フランクリン・ルーズベルト大統領
■コーデル・ハル国務長官
■フランシス・セイヤー国務次官補
■スタンリー・ホーンベック外交担当国務省補佐官
<議会>
■キー・ビティマン上院議員(日本非難決議採択)
■ジェームズ・ホープ上院議員(上院決議ー日本の非人道的爆撃非難提案)
■エマニュエル・セラー下院議員
■D・キング上院議員
■アーサー・キッパー上院議員
■ベネット・チャンプ・クラーク上院議員

<マスコミ・オピニオンリーダー>
■『ニューヨーク・タイムズ』(1938・6・15社説)
■『クリスチャン・サイエンス・モニター』
■オーエン・ラティモア(1939・7『アトランティック・マンスリー』)
■ナサニエル・ベッファー(『アメラシア』8月号)
■H・C・エンゲルブレヒト(『ネイション』)
■ウオルター・リップマン(『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン』)
■パール・バック(『アジア・マガジン』)
■フィリップジャッフェ(『アメラシア』)
■カル・ティニー(『ネイション』)
■『ワシントン・ポスト』
<協会>
■ウィリアム・スポッフォード(産業民主主義教会連合議長)
■ヴィンセント・シプレイ(長老派海外宣教局女性委員会議長)
■アレクサンダー・マン猊下(げいか)(ピッツバーグ主教)
■米国カトリック福祉会議の社会行動部門のジョン・A・リャン猊下(げいか)
■メソジスト・エピスコバル教会ニューヨーク協議会
他多数
<その他>
■ヘレン・ケラー
■リチャード・E・バード海軍少将(退役)
■アーネスト・G・ジャービス ナイアガラの滝浄化株式会社社長
■グローバー・クラーク デンバー大学政治学元教授極東関係権威
■ウィリアム・グリーン アメリカ労働総同盟
他多数

ブックレットの主張

ここでどんなことが主張されているのか、いくつか例を取り上げ、そのデタラメさについて述べてみよう。

@フランクリン・ルーズベルト
「宣戦布告もなく、いかなる種類の警告もなく、女性や子供を含めた民間人が空から降ってくる爆弾によって虐殺されている・・・・・」(7ページ)
■批判
1937年8月13日に宣戦布告もなく、いかなる種類の警告もなく、一方的に総攻撃をかけてきたのは誰なのか?ルーズベルトは1937年8月31日に『ニューヨーク・タイムズ』が「中国が一方的に攻撃」と書いたことを読んでいない無知な大統領なのか、と言いたい。
さらに、1937年8月14日には、中国軍機によって上海租界のパレスホテルなどが爆撃され、1741人の民間人(ほとんど中国人、外国人の中にはライシャワーの兄もいた)が死亡したという事実と全く逆のことを言っている。大統領ともあろう者が、とんでもないウソを言っている。日本の反論がない故である。

・1937年8月31日
反日的傾向が強かった『ニューヨーク・タイムズ』が「中国が一方的に攻撃」と報じた。
「上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は1つしかない。日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐために出来る限りのことをした。だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである」

A現在の戦争状態において日本が侵略者であることは間違いないのか
「1937年7月7日、中国政府が和平のための努力をしたにもかかわらず、日本の軍事政権は北平(北京)郊外で、『盧溝橋(Marco Polo Bridge)事件』を起こし、これを利用して、中国への全面的な侵略を開始した」(18ページ)
■批判
中国政府が和平のための努力をした、などというのは事実無根である。盧溝橋事件が中国側によって引き起こされたことは、事件の4日後1937年7月11日に締結された、現地停戦協定で「一、第29軍代表は日本軍に遺憾の意を表し、かつ責任者を処分し、将来責任をもってかくの如き事件の惹起を防止することを声明す」と述べていることから明らかである。これと全く違う逆のことを自明の理であるかのように述べている。プロパガンダにしても酷い。

Bパール・バック(『アジア・マガジン』)
「さて、世界は3つの可能性に直面している。世界のためを考えるならば、日本と中国と、どちらが勝者になってくれるのが好ましいだろうか。中国が勝ってくれる方が、遥かに世界の利益に叶うように私には思われる・・・・・。日本が勝ったならば、一等国に成り上がるばかりでなく、超大国となって、東洋全体を掌中に収めるであろう。日本はさらにプライドを高めて、なお一層の征服に乗り出すであろう」
「何世紀もの間、中国人が続けて来た思考方式が生み出した人間は、日本人の思考方式が生み出した人間よりは、社会に対して害の少ない人間だった。日本が勝ったならば、さらなる闘争と侵略に備えて準備しなければならなくなる。少なくとも泥沼のような紛争が続くことになろう。中国が勝ったならば、平和への希望が生まれてくるかも知れない」(30ページ)
■批判
『大地』(The Good Earth)が描く中国農民=Nobe Chinese Peasant 像は、キリスト教布教者の中国人に対する思い入れと布教の結果としての理想的中国人のイメージとが、重なり合ったものである。これが、アメリカ人の中国イメージ形成に大きな影響を与えた。ジェームズ・ブラッドレーという作家が、『The China Mirage』という本でこの幻想=Mirageを書いている。
パール・バックはこのような観念をベースとして、上記のような日本人に対するとんでもない偏見、差別意識を臆面もなく語っているのだが、これがアメリカ人の常識となっていった。

C大統領への手紙 アーネスト・G・ジャービス ナイアガラの滝浄化株式会社社長
「私が会う人は誰もが中国人に同情しているようですー日本人に好意的なことを言う人は皆無であるように思われます。それなのに、我々は日本に対して、中国人を殺害したり、障害を与えたりするために必要な物資の大半を供給しています。その中国人とは、我々が市民国家として同情を抱いている国民なのです。日本は我が国の権利を蹂躙し続け、その力でできるだけ我が国に侮辱を加え、その挙句に国務長官に向かって、『申し訳ない、申し訳ない』と言うのです」(40ページ)
■批判
この人は、ナイアガラの滝浄化株式会社社長、つまりビジネスマンである。誰が申し訳ない、申し訳ないと謝ったのか不明だが、こういうことを信じ切っているわけである。日本がまともな反論説明をアメリカの中で、していないことが分かる事例である。

D日本の侵略に加担しないアメリカ委員会
「本委員会の中心的かつ唯一の目標は『日本の侵略に加担しない』の一言に尽きる」(70ページ)
■批判
であるなら、日本が1937年8月に船津和平提案を行い、また、1937年10月27日に、日本政府は英米仏独伊に対し、日支交渉のため第三国の好意的斡旋を受諾する用意のあることを表明したのに、アメリカはなぜこの仲介の労を取ろうとしなかったのか、と「日本の侵略に加担しない委員会」はアメリカ政府に迫るべきではないか。
さらに、1937年11月15日には、アメリカ駐日大使グルーに和平斡旋を依頼したのに、どうしてこれに応じて和平をもたらそうとしなかったのか、をこそ「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」はアメリカ政府に迫るべきではないか。もし唯一の目的が平和にあるのなら、そうすべきであり、日本を一方的に責めるのは全く見当違いである。要するに、本当の目的は「平和」ではなく、「親中反日」に過ぎないということではないか?

日本政府の怠慢

このような酷い内容のブックレット、しかもルーズベルトをはじめとする政府高官の主張が掲載されているブックレットが大量に配布されているにもかかわらず、日本の外務省はこれに対して、何の対応策も取らなかったのである。
さらに言えば、このブックレットには、広田外相の言として「米国の支那事変に対する態度は、公平で公正なものである。」(40ページ)とどういう脈絡の中で出て来た言葉か不明のまま掲載されている。もし不当なものなら最低でも厳重抗議をすべきであるのに、と言いたくなる。
そもそも前述したように、盧溝橋事件以降の日中の戦争に際して日本は、自己の立場、事実などについてまともな主張を世界に対して行ってこなかったが故に、いつの間にか侵略者にされてしまった。
さらにその後、このようなブックレットが発刊されてアメリカの世論を誘導していたにも拘らず、何の反論も対策も行ってこなかった結果、アメリカ史上いまだその例を見ざる通商条約の一方的な破棄通告を受ける羽目になってしまったのである。
江崎道朗氏が指摘する通り、若杉要(かなめ)・在ニューヨーク総領事は「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」について宇垣一成(うがきかずしげ)外務大臣に報告している。しかし、これがアメリカ共産党に牛耳られていることを述べているが、肝心のアメリカにおいてこの運動の対策をどうすべきかについては何も述べていない。また対策も行っていない。言論戦の重要性の認識が全く欠けていたのである。
このブックレットを武器とした「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」の活動は何の反論も妨害も受けなかったためか、委員会発足から1年後の1939年7月に日米通商条約廃棄通告が行われ、1940年1月には正式廃棄となったのである。
アメリカによる対日経済封鎖が、日米戦の始まりである。ケロッグ国務長官は、パリ不戦条約批准のための上院議会において、議員の質問に答えて「経済封鎖は断然戦争行為です」と言っているのを見ても経済封鎖は戦争行為である。
通商条約がある限り、経済封鎖を行うことは極めて難しい。しかし、廃棄してしまったために、アメリカは言わばフリーハンドで日本に対する輸出制限を行い、経済封鎖を実施できたのである。すなわち戦争行為を行うことが可能となったのである。
1941年7月には在米日本資産凍結、そして1941年8月にはついに石油の全面輸出禁止に至る。フーバー第31代大統領の言によれば「undeclared war」(『Freedom Betrayed』846ページ)、「宣戦布告なき戦争」をルーズベルト政権は行ったのである。
つまり、通商条約廃棄時点で日米の実質的な戦争は始まっていたのであり、それをもたらした元凶は、『日本の戦争犯罪に加担しているアメリカ』という小さな書なのである。
中国基地を使ったB17による日本本土爆撃作戦JB355に1941年7月23日にルーズベルトが、OKのサインを出しているのを見れば、ルーズベルトは着々と対日戦を仕掛けていた。しかし、その2年前には、準宣戦布告を出し、経済封鎖作戦の準備を始めていたのである。
この歴史的に大きな意味のある「元凶」の書を多くの日本人に知ってもらうために、「史実を世界に発信する会」では、日本語訳したブックレットを作成している。さらに、解説書付きの日本語訳版を「自由社ブックレット」として刊行する予定である。

史実を世界に発信する会
http://hassin.org/

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