10. 2018年10月03日 23:39:41 : FfhkizeKBE : nHaGT3eshG4[1]
寛容性や多様性はおともだち内閣→バーゲンセール在庫大量放出返品即廃棄処分内閣も自分で言ってなかったっけか?(笑)
今のご時世、口だけ、金だけ、自分だけ。
だから理屈めいても中身が空っぽ。そんな人間が耳障りの良い言葉を使おうとするから、言葉の力がどんどん軽んじられて行く。当然だわな。
社会経済を破壊する安売り事業。
社会貢献になってない詐欺まがいの仕事。
自給率を下げるばかりの国賊企業。
生産性も需要もない博打打ちと予想屋。
そんな詐欺職だけで税金納めるような世の中になっちゃった。
感性がその違質を見抜くもその訴えには誰もが蓋をするばかり。
金と嘘の上に成り立つ社会。正直公正など砂上の楼閣。
「自由・平等・博愛」を謳い、耳障りの良い言葉に載せて、
連中は国益を守るため国民は痛みを被るのが義務だとばかりに国民を圧力で脅し、屈するまで締め上げてきた。これは犯罪である。
縦社会とはまさに支配の構図そのもの。
グローバルだ国際協調だ、国体護持だと見え透いた嘘を張るばかりでイジメ、差別に人の心は泣いている。
麻生のような感性の(血の流れて)ない人間は、多様性という言葉の真意も読まずにただ場にずけずけと乗り込んでくるだけ。横柄な態度を崩さない。だからこれからようやく船出する「多様性」の船には乗船拒否されることになる。
多様性とはそれぞれの「住み分け」を壊す事ではない。
多様性とはそれぞれの特色ある庭で生まれた花の種を持ち寄って、ひとつの大きな美しく調和のとれた庭をつくるようなことだ。
それぞれの国の尊厳、循環境は互いに侵害、破壊してはなら無い。
それが独立を果たすということ。
自然に生まれた循環を破壊する事無く、それぞれの庭を繋ぐにはより大きい循環の輪で結びつける。
これからどの国も、全体性の調和に向けた話合いをこれから進めて行くということになるだろう。
それぞれを侵害しない、尊重し合える繋がりは、大小いくつもの園が重なり合ったサークルのようなもの。まさに生命の花(Flower of life)の図案のようなことだ。
flower:「花」(の語源)とは flow=液体などが絶え間なく流れる;わき出ることを意味する。我々はそのような繋がりを描かなくてはなら無い。
互いの立場を理解しあう共感者だけをこれから「人間」または「大人」と呼ぶことにしよう。
その人間同士、相互間の関係性に上下間といった繋がりは必要無い。
よって誰もが素直に正直に全体性を慮ることができるようになる。
社会の未来を担っていると誰もが悟り、公に仕える形を好んで皆がとれば、そこに全体が溶け込むことになるだろう。
自然であることを本義として、素直な心をより強化することができれば、あらゆる執着心による問題は片付く。理屈は二の次、素直が一番となる。心のあり方を互いに示すというのがこれからの繋がり方の基本となる。
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