216. 2017年1月31日 06:55:32 : Fp1aXdF10k : LTXUrVgr14U[1]
反撃来てないね
じゃあ、南京虐殺が有ったと書いた記者ジョージ:ホッグが、実は架空の人物だったという動画をどうぞ
https://m.youtube.com/watch?v=NZ0M6NyCRdY
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/550.html#c216
★阿修羅♪ > LTXUrVgr14U > 100000
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じゃあ、南京虐殺が有ったと書いた記者ジョージ:ホッグが、実は架空の人物だったという動画をどうぞ
https://m.youtube.com/watch?v=NZ0M6NyCRdY
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/550.html#c216
※1・却下された抗弁
第八章 通例の戦争犯罪(残虐行為)
日本と中国の間に戦争状態が存在しないこと、紛議は単なる「事変」であって、これには戦争法規が適用されないこと、日本軍に抵抗していた中国軍隊は合法的な戦闘員ではなくて、単なる匪賊であることを日本の軍部は主張した。・・・(※省略)
日本政府が中日戦争を公式には「事変」と名づけ、満洲における中国兵を「匪賊」と見做したから、戦闘で捕虜となったものに、捕虜としての資格と権利を与えることを陸軍は拒否した。
中国における戦争を依然として「事変」と呼ぶこと、それを理由として、戦争法規をこの紛争に適用することを依然として拒否することは、一九三八年に正式に決定されたと武藤はいっている。東條もわれわれに同じことを申し立てた。
※2・判決理由
第十章 判定 松井石根
松井は日本陸軍の高級将校であり、一九三三年に大将の階級に進んだ。かれは陸軍において広い経験をもっており、そのうちには、関東軍と参謀本部における勤務が含まれていた。共同謀議を考え出して、それを実行した者と緊密に連絡していたことからして、共同謀議者の目的と政策について、知っていたはずであるとも考えられるが、裁判所に提出された証拠は、かれが共同謀議者であったという認定を正当化するものではない。
一九三七年と一九三八年の中国におけるかれの軍務は、それ自体としては、侵略戦争の遂行と見倣すことはできない。訴因第二十七について有罪と判定することを正当化するためには、検察側の義務として、松井がその戦争の犯罪的性質を知っていたという推論を正当化する証拠を提出しなければならなかった。このことは行われなかった。
一九三五年に、松井は退役したが、一九三七年に、上海派遣軍を指揮するために、現役に復帰した。ついで、上海派遣軍と第十軍とを含む中支那方面軍司令官に任命された。これらの軍隊を率いて、かれは一九三七年十二月十三日に南京市を攻略した。
※3・告訴内容
第1類 平和に対する罪
訴因01 東アジア・太平洋等支配を目的とする侵略戦争の全般的共同謀議(1928年〜1945年)
訴因27 1931年9月18日及至1945年9月2日の中華民国に対する侵略戦争の遂行(満州事変)
訴因29 1941年12月7日及至1945年9月2日のアメリカ合衆国に対する侵略戦争の遂行
訴因31 1941年12月7日及至1945年9月2日の英連邦諸国に対する侵略戦争の遂行
訴因32 1941年12月7日及至1945年9月2日のオランダに対する侵略戦争の遂行
訴因35 1938年夏のソ連に対する侵略戦争の遂行
訴因36 1939年夏のソ連およびモンゴル人民共和国に対する侵略戦争の遂行
第3類 通例の戦争犯罪および人道に対する罪
訴因54 1931年9月18日以降における戦争法規慣例違反の命令・授権・許可(※松井大将の場合)
訴因55 1931年9月18日以降における戦争法規慣例違反の防止義務の無視(※松井大将の場合)
(※『東京裁判の国際関係 日暮吉延著』より引用)
※4・東京裁判判決
第十章 判定 松井石根
本裁判所は、被告松井を訴因第五十五について有罪、訴因第一、第二十七、第二十九、第三十一、第三十二、第三十五、第三十六及び第五十四について無罪と判定する。
※5・有罪科目再掲=これが南京事件における日本の戦争犯罪の全て
訴因55 1931年9月18日以降における戦争法規慣例違反の防止義務の無視(※松井大将の場合)
★捕虜の扱いが戦時国際法違反←以上1点
★他は、東京裁判において、起訴されたが、無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
無罪と判定されている
★1931/09/18以降、同義の処刑者総数がこの殺人の対象とされた数
★10万人以上の不法殺害とは、南京事件の被害者ではなく、1931/09/18から南京事件終了まで、日本軍が拘束しながら裁判無く処刑した中国兵総人数の概数で、曖昧な数字であるものの、南京事件単体の犠牲者ではない
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/550.html#c220
撃沈ぶりが痛すぎる件
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/550.html#c221