26. 2019年2月05日 09:02:39 : EtdabUjioE : LQWWSXW9hOo[1]
現在アメリカと日本で運用されている制度は、「擬似民主主義」とでも呼ぶべきものである。
まず世論調査会社が嘘の支持率を流す、不正選挙業者がそれに沿った結果を出す、ネット世論工作業者が複数アカウントを使って「多数」を演出し、メディアは本質からズレた政治マターを選択して流し、アストロターフが派手に噛み付き、炎上芸人が馬鹿な発言を叩かれることによりガス抜きをする。必要とあらば俳優や新興宗教を使って現実に集会をして見せたり、賑わいを演出したりもする。
上記はすべて、「国民に支持されている政権」を擬制するための虚構である。為政者から見て、民主主義という制度は不自由で面倒くさいものである一方で政治の結果を国民の責に帰せるというメリットもあるが、この虚構を作り出すことによって、デメリットを消してメリットのみを享受できる。大枚はたいても実現する価値はあるだろう。
だから擬似民主主義における「工作員」は
・不正選挙を決して疑わない。もしくは影響を軽んじる。
・世論調査のデータを疑わない。
・選挙結果が全てであるという態度をとる。選挙前は国民の不満を選挙で表すよう誘導し、選挙後は選挙で負けたのだから結果を受け入れるよう誘導する。
・選挙結果で国民に不利な結果が齎されるのは、多数が愚かであるからと説明する。
・重要でない政治マターに拘泥する。
などの特徴を見せる。
主体は広告会社だろう。
現在、この擬似民主主義が米国で破綻している。もしくは、しかけている。
擬似民主主義は真実の世論とは違った虚構の世論を本物に見せかけ、責を民衆に追わせる手法である。当然ながら、本物の世論とはズレがある。長く使っていればズレは大きくなってゆくだろうし、またそのズレこそが多くの金銭的・人的資源を投入してでも得たいものなのだから、規模が拡大するにつれズレが大きくなるのは投資対効果の観点から見て当たり前だとも言える。
恐らく原初の民主主義の時代から種を宿していたこの考え方は、主要メディアの寡占とネットの台頭を機に全人類的な規模で表象する場を得て、911の欺瞞を覆い隠す必要性から実現するに至った。そして15年目の今に至って、民衆が受容できないほどズレが大きくなったのである。
アメリカの場合、やはりトランプの存在が大きいのだろう。彼は聖人君子でも品行方正でも学識豊かでもないが、全米の擬似民主主義を正そうとする民衆の受け皿になった。その意味で、彼は英雄であるとは言える。またウィキリークスやアノニマスの存在の大きさは言うまでもない。
日本でもそういう受け皿になる人間が出てこれば、同じことが起きうるのかも知れない。(三宅洋平は愚かすぎたが)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/166.html#c26