3. 2017年1月14日 11:55:47 : sWo82d8D3k : lQr_fE4RrF0[1]
本文>「小池氏は憲法を守る立場から、譲位は「皇室典範の改正」しかないと考えている。特例法は憲法違反だという主張だ・・・政府は、譲位の問題を国民の目に見えない「水面下」で決めてしまおうと考えている」
歴史は繰り返す、151年を経て、似たような状況になってきおったよ。2次長州征伐は幕府の完敗の中で、京都も薩長に制圧されたが、その状況の中で、幕府存続による国政改革派の中心孝明天皇が突然逝去した。1866年9月であった。翌1867年の11月には、同じ京都で坂本が暗殺されたが、最近発掘の坂本の三岡(由利)宛て手紙には、“新国家”の文字がある。坂本も、幕府存続をキイポイントとして新国家体制を構想しおったつうんは、事実じゃろう。幕府存続派はバタバタと逝ったのは事実だ。孝明天皇も、資料に依る限り暗殺であったようだ。
『…近年、当時孝明天皇の主治医であった伊良子光順の残した日記が一部公にされ、光順の子孫である医師伊良子光孝氏によって、孝明天皇の死は、光順日記で見る限り明らかに「急性毒物中毒の症状である」と断定された。やはり毒殺であった』(出所:佐々木克「戊辰戦争」中公新書、1977)。疱瘡からほぼ完治で立ち直りかけた孝明天皇をみて、焦った岩倉が、手のもんに言い含めて、1日3回の服薬に砒素を混ぜて一気にやったつうんが、正直のところじゃろう。これが可能となったんは、薩長が圧倒的な軍事力で京都を制圧しとった背景があった、事実に注目する必要ある。
151年後の今また、衆院圧倒的数で国家権力を握った長州が、場所は京都でなく東京じゃが、陛下の座所つうことはおんなしじゃが、押せ押せで天皇を圧迫しちょる。安倍長州は、場合によっては岩倉とおんなしこつも、やり兼ねねえ心境じゃあねえかい。既に西村とかちゅう手のもん送り込んであるし、口も封じてあるけんのう。国民は、長州の横暴を許しちゃあダメだ。狂気の長州は、CIAに言い含められて、我が国を戦争国家に引きずり込むためには、どんな手段も厭わない気持ちでいる。その最大の障碍が、平和愛好の両陛下なんだ。も一つ、長州の前に立ちはだかっちょるんが、日本共産党だ。日本共産党は、長州の野望を必ず打破するよ。小池さんは、日本共産党の先頭にたち、長州の野望を打ち砕くよ。更にもう一つ、1881年創立の自由党が復活したが、長州打破の闘いでは、自由党復活も大きい。1880年代、薩長藩閥と命がけで闘い、そのため目の敵にされたんが自由党じゃったかんな
安倍長州恐るべし、じゃけん2回も長州に勝たせちゃダメだ、国民は、野党共闘に結集し、自由共産社民や市民・ママ・農民・非正規・労働者等の総力で、国家国民の利益を守る闘いに、勝利しよう。小池さんに、エール送ろう。
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