[雑談・Story41] 明治維新を しなければよかった 蒲田の富士山
15.
蒲田の富士山[148] ipeTY4LMlXiObY5S 2017年8月18日 15:51:02
: kVBXq2BgOc
: lDGKGWPeYfs[1]
13様、14様、コメントありがとうございました。
去年の今頃、「もりた なるお」さんという人の「昭和維新―小説五・一五事件」という本を借りていて、大変読みやすい本だっだけど、なんか、漫画みたいで、途中でいやになった。それで、全部は読まずに、宿題の「明治維新の国際舞台」を読んでみたら、読みやすい本ではなかったなあ。まあ、しかし、読み通しました。
この、「小説五・一五事件」は、漫画アクションとかビッグコミックとかに連載されていれば、よかったかも。
冒頭、のっけから井上日召が出てくる、橘孝三郎が出てくる。
のだが、なにか作者の立場が野次馬的な感じがして、実際、野次馬だったのかもしれないが、漫画風に仕上がっている。
橘孝三郎は農本主義の人だったらしいが、「愛郷塾」とか小さいのではなく、国営農場とか主張しなかったのか?
とりあえず、実践として、試行として、やってみた。
そんな感じかな。
戦後は大人しくしていたのではなく、全日本愛国者団体会議という右翼団体の顧問になっている。
−−以下Wikiより引用
発会時には生産党、国粋会、殉国青年隊など80団体が参加した。1964年の第6回大会までには440団体に増加した。1960年には28団体が参加した児玉誉士夫系の青年思想研究会も結成された。
議長団には佐郷屋嘉昭(日本同盟)、小崎金蔵(日本同盟)、高橋正義(日乃丸青年隊)、西山幸輝(昭和維新連盟)、荻島峯五郎(暴力団日本国粋会前川一家総長。愛国青年連盟)が選ばれた。最高顧問には三浦義一、児玉誉士夫、井上日召、橘孝三郎、顧問には天野辰夫、笹川良一、吉田益三、寺田稲次郎、大沢武三郎らが就任した。
−−引用終了
別に、右翼は右翼でいいのだが、右翼団体というのは、戦後アメリカの、泳がせ政策の結果である。
右翼が思想を持つことなど、アメリカは許してはいない。
アメリカ人は右翼団体が好きなのだ。
独自に行動しない限りは。
愛されているのだ。
原田伊織、という人。
右翼なのだろうか。
予約待ちではなかった本で、「大西郷という虚像」という本を借りてきて、読み通したが、気になった個所がある。
−−以下引用
私どもの少年時代、青年時代までは、まだどこの田舎にも「青年団」という組織が残っていたはずである。これも、「若衆組」の存在と真っ直ぐに繋がっている。
−−引用終了
そのように信じたいのは、別にかまわないが、近代を甘く見ていないか?
真っ直ぐに繋がっているものなど、あるのか?
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/520.html#c15