27. 2017年12月19日 03:22:51 : 4JWlJakzD2 : L99zCb@fC9o[1]
22ですが、>>25様へ
IDが違うかもしれませんが(画面を滅茶苦茶にされるので、リセットの為に強制的にOFFにして、電源も切ることがシバシバあるので仕方ないのです)
よろしければ下記ブログをお読みください。
保守主義の憲法改正私案
池上彰は、日本社会主義青年同盟(社青同)出身?雑感、雑考、レビュー 2014
2014.9.13
http://kenpoukaisei.jugem.jp/?eid=67 (無断で全文拝借御免)
●ブログ管理人は、過去から現在に至るまで、朝日新聞を定期購読したことがありありません。せいぜい、暇なときに図書館などでまとめて目を通す程度です。そのため、朝日新聞のコラムを執筆していたことを初めて知り、少なからず驚きました。
●ここで声を大にして言いたいのですが、池上彰はジャーナリストとして、これまで朝日新聞の従軍慰安婦についてどのように認識していたのでしょうか。誤報を疑って、自ら詳しく調べようと思ったことはないのでしょうか。想像するに、池上は吉田証言の虚偽について、薄々分かっていたはずです。それでいて等閑視していたのであれば、もうこれは池上の思想に関わることだと思います。TVで冠番組を持ち名声も富も得ている池上が、あの悪名高い左翼新聞に原稿を執筆するのはよほど特別なことがあるはずです。
●そこで、この機会に池上彰について調べることにしました。
世評の高い池上彰像に怯むことなく、池上の内面に迫りたいと思います。
●先ず、出版されている著書の「著者紹介」を読みました。
1950年生まれ、慶應義塾大学卒業後、NHK入社。32年間、報道記者としてさまざまな事件を担当するとありますが、それ以上の情報はありません。
そこで、池上彰著『記者になりたい!』(新潮文庫、2008年)を読んでみたところ、若き日の池上に大きな影響を与えたであろう出来事を知ることができました。少し長いのですが引用します。
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●新聞記者が「社会の悪」と勇気を持って全面対決する。ぼくは、これにあこがれた。新聞記者はまさにぼくにとって「正義の味方」だった。....
●高校生のころは、ベトナム戦争真っ盛りでもあった。新聞で、ベトナム戦争の記事を熱心に読んだ。....
●特に、朝日新聞の夕刊に連載された本多勝一記者の「戦場の村」は衝撃的だった。本田記者が南ベトナムの人々の暮らしをリポートしたものだ。これは、その後、本にまとめられ、いまでも文庫で手に入る。....
この連載記事では、一枚の写真が脳裏に焼きついている。アメリカ軍の戦車が、南ベトナムの田んぼを走り抜けている写真だ。せっかく実った稲が、無残に倒されている。
(赤字および背景色ブログ管理人)☚(※赤字は本田勝一の部分)
●池上彰『記者になりたい!』新潮文庫、20〜21頁
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●池上家では朝日新聞を自宅でとっていて、子供のころからなじみがあったようです(同28頁)。また、就職は朝日新聞とNHKの両方に願書を出しました(同27頁)。
●池上は、幼少の頃から、朝日新聞を読み続け朝日少年となり、成長して更に朝日を信じ込み、朝日青年になりました。20歳を超えて就職を考える時期になっても、なお朝日ですから、池上の生まれてからの四半世紀は、寝ても覚めても“朝日、朝日、朝日”の日常であったことが窺えます。
●加えて特筆すべきは、前述の引用に出てきた本多勝一記者。
拙ブログの読者であれば、すぐにピンと来る名前ですが、『中国の旅』などで中国共産党のプロパガンダ(南京大虐殺や731部隊)をさも真実のように著し、日本を名誉をとことん毀損した張本人です。従軍慰安婦を報道した植村隆(当時・朝日記者)と同じように「反日国民」と言ってよいでしょう。池上はこうした人間を「正義の味方」として憧れたのです。
●さらに、池上にはウィキペディアにおいて日本社会主義青年同盟(以降、社青同)出身の評論家とされています。社青同は、旧社会党の支持協力関係にあり完全に左翼の青年同盟ですから、仮に事実であれば、池上は当時筋金入りの左翼です。
●もちろん、ブログ管理人はウィキペディアは間違いが多く、特定勢力による情報操作も可能であるので、信用に足りるメディアとは思っていません。が、若き日の池上を調べるにつけ、この情報が誹謗中傷ではないと思えるのです。
●池上は、1950年生まれですから、大学入学の1968年ごろは70年安保闘争の真っ最中。朝日新聞に“純粋培養”され、朝日青年であった池上が、社青同に参加しても何ら不都合がありませんし、むしろ自然な流れです。
(完全に真実とする確証がないので、一応「?」という疑問符をつけます。)
●以上から、池上が朝日新聞のコラム執筆を引き受けた経緯が分かるような気がします。池上にとって、朝日の悪に目をつぶっても、「正義の味方」である同紙に寄稿することは無上の喜びであったのでしょう。(純粋培養された人間には、ありがちな倒錯した心理です。)
●では、今般のコラム降板騒動はどのように決着するのでしょうか。
心の奥底に秘めた朝日新聞の「偏愛」に変りがないのであれば、おそらくコラムは続けることになると思います。そもそも、ブログ管理人は、今回の池上コラム降板騒動は、吉田証言の誤報から国民の目をそらせるために、池上が自ら仕掛けた芝居と疑っています。今回の騒動で、同紙の自浄作用は確保されたとして、ふたたび同紙の販促の顔として、部数回復に貢献することが容易に想像できます。
●また、もし、コラムを降板することがあっても、何らの形で朝日新聞に関わり続けるでしょう。例えば、朝日新聞改善の外部委員会の委員となることなどが予想されます。いずれにしろ、同紙を「改革進行中」「まだまだ大丈夫」などとして、改善アピールに手を貸す“援護射撃”をするのではないでしょうか。
2015.6.25追記
●記事中、本多勝一を本田勝一と誤記していました。本日、訂正しました。
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